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静岡県湖西市

浜名湖と遠州灘に面した田園都市 小雨に煙る静寂の名刹、本興寺

にぎわいいずこ、白須賀宿
広重も立った? 公園のある地

 潮見坂は国道1号を行くドライバーにおなじみのところ。急な坂道を上り切ると、眼前に遠州灘が広がっている。久しぶりに来たこの名所も意外と閑散としていたのは、平日だったためか、あるいは高速道路ばやりの旅行事情のせいか。

 一休みしたあと、すぐ近くの白須賀宿跡へ――。白須賀は東海道53次の宿駅の一つ。「東海道宿村大概帳」によると、天保14年(1843)の時点で人口2704人、家数613軒あり、そのうち本陣、脇本陣が各1軒、旅篭は27軒を数えた、とある。

 さっそく車を捨て、歩いてみることにした。本陣や脇本陣は見る影もないが、それに代わってしゃれた案内標識が立てられていた。このあたりが宿場の中心で、脇本陣の隣には高札場もあったはずである。

 脇本陣横の道を一本隔てた向かい側が本居宣長門下の国学者・夏目甕麿(みかまろ)とその長男で紀州藩の国学所総裁となった加納諸平(もろへい)の屋敷跡。街道に沿って成林寺、京福寺、庚申堂、十王堂、礼雲寺などの寺々が昔ながらの位置にいまもある。このあたりは国道からはずれたせいか、町並みは比較的よく残されているが、さすがにうらびれた感は否めない。

 ぶらぶら歩いていると、白須賀中学校に出た。その横手にある潮見坂公園からの眺めはなかなかのもので、すぐ下を先ほど来た国道1号が曲がりくねりながら走っていた。そして、前方はるかには群青色の遠州灘が広がっている。

 どこかで見覚えのある光景……と思っていたら、安藤広重の描く白須賀宿の風景だった。いま見ている景色と案内板に描かれたその絵とをたがいに見比べ、見比べ、しばしあたりの風景を楽しんだ。旅人たちを悩ませた急坂の難所を、いまはさまざまな車がすいすいと走り去って行く。

 

冬の風物詩、白須賀の大根干し、
甘いエンドウも名物の一つ

 かつての宿場を少し離れると、周りすべてが大根畑だった。ところどころには大きなハサが作られ、漬物用の大根が行儀よくつるされている。あるいはまた、千切り大根を干すヨシズの棚では、一面に広げられた大根が、雪のような白さを見せていた。

 それにしても、ものすごい風だ。からっ風は遠州名物と聞かされてはいたが、さえぎるものとてない台地上をビュービューうなり声を上げながら吹き抜けてゆく。そんな中で作業中の人を見つけたので、ちょっと声を掛けてみることにした。

 「ここの千切り大根は日本一うまいに。ちっと食べてみて。他の大根とは味が全然違うで。温暖の地にこのからっ風で、2、3日もすれば干上がってしまうで」

 つきたての千切りを一つつまんでみると、これが大根かと思うほどの甘さだった。その人、白井尚之さんは「漬物はどこも同じようなもんだけど、切干の味だけはどこも負けんに」と、絶対の自信を見せた。そばで奥さんが作業中の手を休め「料理するんでも砂糖がいらないで」と相槌を打たれるのだった。

 近くにあった温室をのぞき込むと、エンドウが紫色のかわいい花を咲かせていた。「これも甘くて“砂糖エンドウ”と言われとる。温室栽培のもんでは日本一のシェアを誇っとるに」と白井さん。エンドウは寒い冬を超さないと実を結ばないそうで、苗は夏場に三河の高冷地へ持って行って育てられているとか。

 湖西市は自動車関連を中心とした産業都市だが、その一方ではこうした農業も盛んに行われている。近くの農業公園「緑とふれあいの里」は新しい農業のあり方を求めるものであり、最近は直売や体験学習など観光農園としても人気を集めつつある。からっ風に吹かれながら、冬の風物詩“白須賀の大根干し”をしみじみと眺めたものである。

 

「障子を開けてみよ、外は広いぞ」
出よ! 第二の豊田佐吉

 湖西市ならではのものを探すとすれば、織機の“発明王”豊田佐吉ではなかろうか。佐吉は慶応3年(1867)現在の湖西市山口の農家に生まれ、明治24年、木製人力織機を開発、以来、発明改良を積み重ねてついに自動織機を完成させた。後にトヨタ自動車を創設する佐吉の長男・豊田喜一郎もこの地で誕生している。

 翌日、生地にある豊田佐吉記念館を訪ねた。そこは小山を背にしたのどかな山里で、暖かな冬の日だまりの中にあった。記念館とはいっても特別の施設があるわけではなく、佐吉の屋敷全体を利用した生きた資料館である。

 展示室には手織機や動力織機、G型織機をはじめ、佐吉の取得した許可証など、ゆかりの品々が並べられていた。改めてその業績を知ると、佐吉がわが国産業の近代化にいかに大きく貢献したかが分かってくる。ましてや資源に恵まれず、発展途上国の追い上げも激しい今日、第二、第三の豊田佐吉が待たれているときなのかもしれない。

 「障子を開けてみよ、外は広いぞ」――佐吉のこんな言葉も紹介されていた。記念館の事務長・三浦仁さんは「来館者は年間約2万人。そのうち4割は社員研修の一環としての見学であり、トヨタグループはもちろん、同業他社の方たちの訪問も多いですよ」と話す。創意工夫というか、知恵を絞り出す原点がまさにこの記念館にあった。

 広い敷地内には散策道が巡らされ、ところどころに佐吉翁の胸像や生家などもあった。中でも生家はこの近くにあったそうだが、平成2年、記念館の敷地内に復元された。家の中にはかつての暮らしぶりをしのばせる民具や雑貨などが並べられており、また、家屋自体も湖西地方の農家の造りを代表するものとして市の文化財に指定されている。

 記念館の裏山は少年時代の佐吉がよく遊んだところでもある。近くには仲間を集めて夜学会を開いたという観音堂もあった。頂上の展望台まで登ると手に取るように湖西市と浜名湖が見渡せ、天気のよい日にはここから富士山を望むこともできるそうである。

 

“東海の名刹”本興寺に遊ぶ
雨の日もまたよし

 本興寺を訪ねるころ、急に怪しくなった空から雨がぱらつき始めた。広い境内に四つの塔頭があり、書院、客殿、本殿へと続いて行く。寺は新潟県に本山を持つ法華宗陣門流の古刹で、今川氏や徳川氏などの厚い保護を受けてきた。


谷文晁も筆を振るった本興寺大書院の壁画
谷文晁も筆を振るった本興寺大書院の壁画
 大書院の襖や壁には江戸末期の文人画家・谷文晁(ぶんちょう)が存分に筆を振るっており、この寺は別名“文晁寺”とも言われているほど。また、奥書院は総門とともに吉田城(豊橋)から移築されたもので、城内にあったころは奥方の住居として使われていたそうだ。両書院の前には小堀遠州の手になる庭園があり、ここを訪れた北原白秋もその美しさに引かれて歌を詠んでいた。

 そして2本の大きな開山杉の間を通って、国の重要文化財にも指定されている本堂へ。どっしりとした茅葺きの建物が雨に濡れてひときわ印象的だった。案内には和、唐、天竺の三様式を折衷した室町時代の代表作、とある。

 寺は600年の歴史を誇ってきただけに、国や県、市指定の文化財を多く抱えている。三方を山に囲まれ、木立の中に点在する大小の堂宇。そして、春にはサクラやツツジ、秋にはモミジで彩られるという華やいだ一面を見せてくれる寺でもある。

 湖畔に面した喫茶店で一息入れている間に、どうやら雨も通りすぎたようだ。これ幸いと入出漁港や今川氏ゆかりの宇津山城跡、摩利支天(まりしてん)を祭る東雲寺、日本武尊の伝説も残る熱田神社などを駆け足で回った。先ほどの喫茶店の人も「冬場はあまり見るところはない」とおっしゃっていたが、どうしてどうして、それなりに新しい発見のある有意義な2日間であった。

 

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