マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
愛知県鳳来町 |
どこにいるか、ブッポーソー 自然あり、歴史あり、温泉あり
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鳳来寺は山岳修験の霊山
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ブッポーソーに会える?鳳来寺山 |
突然、子供たちの歓声が響いてきた。脇にある石段から続々と上ってくる。どうやら小学生たちの遠足らしい。
「1425段もあるんだよ」
「だってぼくたち、数えて登ってきたんだもの」
「おじさん、モリアオガエルの卵、こっちにはいっぱいあったよ」
元気な子供たちは息をはずませ、口々にこう教えてくれた。本来の参拝はその石段で来るべきだろうが、こちらはドライブウエイで裏から回り込む格好で来ていた。それまで静かだった境内はひとしきり元気な子供たちの歓声でわき返るのだった。
「阿寺の七滝」は優雅だった。階段状に七つの滝が連なっており、水は美しい曲線を描きながら落ちている。その姿はまるで天女のひるがえす羽衣のようにも思えてくる。
全長は6、70メートルもあるだろうか。水量は意外なほど少なく、サラサラ流れ落ちるといった感じだ。一番下の段の滝壷には1人の釣り人がおり、先ほどから10センチほどもあるオイカワを面白いように釣り上げていた。
滝の脇には小さな祠が祭られている。ここへ来る途中、「子抱観音」と書かれたノボリを何本も見かけたが、それがどうやらこの祠らしい。一帯では小さな石が堆積して固まった〃子抱き石〃が見られるそうで、そのゆかりから祭られることになったのだろう。
七滝のもっと奥には「百間滝」という大きな滝もあるそうだ。早速、車を走らせることにしたが、こちらの滝へ到着するにはアップダウンの激しい山道をかなり歩かされるはめになった。それだけに深山で見る滝は豪快でさわやか、吹き出した汗がみるみるうちに引いていく。
百間と名付けられてはいるが、実際には67間、約120メートルほどらしい。それにしても大きいことに変わりはなく、愛知県下では最大との折り紙付きとか。滝は中央構造線の大断層にできており、むき出しの岩を滑り出た水はしぶきと轟音を伴って落下する。が、その全容は立木などにさえぎられ、見えないのが少し残念と言えば残念だ。
こちらが男性的とするなら、阿寺の七滝はまさに女性的。男滝と女滝とが対になっている感じだ。二つの滝は東海自然歩道によって結ばれているそうで、その帰り道、何組かのハイカーとすれ違うこととなった。
一汗流したあと、湯谷温泉の「ゆ〜ゆ〜ありいな」へ。露天風呂やサウナなどもある大浴場が人気の的で、この日も多くの人たちでにぎわっていた。ここには温水ならぬ温泉プールまで併設されており、泳ぎながら温泉を楽しむこともできる。
湯谷は大自然につつまれた静観な温泉地。大滝、馬の背岩などもある景観に富んだ宇蓮川の両岸に、10数軒のホテルや旅館などが建ち並んでいる。そうしたところの泊まり客でさえ、ここ「ありいな」の魅力に引かれてやってきている。
「ありいな」でゆったり湯にひたり、ぶらぶら散歩としゃれ込んだ。旅館などを除けば、これといったものはない。それがまたいいのだ、と自分自身に言い聞かせた。
はずれの駐車場の片隅に、無人の温泉スタンドがあった。町の人たちが車にポリタンクを積んでやってくる。そのうちの一人は「万病に効く。おかげでじいちゃんもばあちゃんもピンピンだよ」と言って笑った。
そのスタンド近くに、おじいさんを型取った一体の石像があった。これが鳳来寺の開山・利修仙人だそうで、仙人もまた修行の合間にこの温泉を楽しんでいたらしい。湯谷は温泉発掘ブームでできたいまはやりのものとは違い、1000年をはるかに超す長い歴史を誇る名湯であった。
かたわらに掲げられた案内板には、次のような内容の説明書きがあった。そのいわれを知れば、万病に効くというのも素直に納得できようか。
「仙人は百済国で仏法を学んだあと鳳来寺山で修行、大宝元年(701)、京に招かれてて文武天皇の病気を治した。『鳳来』の寺名はそのとき鳳(ほうおう)に乗って来たゆかりで天皇から授かったもの。309歳、山中の岩窟で入定。温泉は鳳来寺山の霊水がたまって薬泉になったと言い“鳳液泉”と呼ばれている」(要約)
翌朝、鳳来湖を見た、長篠の城跡を見た、自然科学博物館も見た。この町は見どころが多く、その選択に迷うほどだ。「あまり人の行かないところは?」と昼食をとった店のおばさんに聞くと、しばらく考えた後「ちょっと遠いが仏坂街道はどうかのう」。
何よりも「仏坂」の名称にひかれた。そこは鳳来町と設楽町とを分ける峠道にあるらしい。その途中で偶然に見つけた千枚田の風景がこれまたよかった。
しかし、そこには悲しい歴史が秘められていた。明治37年、突然襲った山津波で民家10戸と田畑を流失、しかも11人の死者まで出す大惨事となった。村人たちは悲しみの涙をクワとモッコに代え、幾年もの歳月をかけて荒れ地に石垣を組み、水田に変えてきたのだった。それがいま青々とした稲で埋め尽くされ、その数は1296枚にもなっているという。
千枚田を通りしばらく行くと仏坂トンネル。そのすぐ手前を東海自然歩道が横切っているが、これが信州とを結んだ中馬街道の一つ「仏坂街道」だった。道は鳳来杉の見事な林の中をぬうようにして通っていた。
トンネルから歩いて20分ほどで峠に着いた。この間、さすがにすれ違う人とていなかった。昔はこんなにさびしく厳しい道を、馬を引いて通っていたのだろうか。
そんな道のところどころに、馬頭観音や三十三観音などの石仏が祭られていた。難所ゆえに仏の助けを借りる必要があった。峠の片隅に置かれた石に腰を下ろし、難儀して通ったかつての旅人たちに思いを馳せてみるのだった。
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