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愛知県渥美町

目の前に黒潮おどる太平洋 半島の先端、観光と農業の町

潮の香いっぱい、伊良湖岬
海きらきら、風さわやか

 名も知らぬ遠き島より 流れ寄るやしの実一つ
 故郷の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

 あまりにも有名な島崎藤村の「やしの実」の詩。夏の伊良湖岬は明るく開放的で、南国ムードにあふれていた。道の駅を併設する旅客ターミナルの1階には「やしの実博物館」があり、展示された様々のやしの実や南洋の暮らしぶりなどを眺めていると「遠き島」も目の当たりにあるようだ。


伊良湖岬に建つ灯台

 ターミナルビルの屋上は絶好の展望台だった。眼下の港ではフェリーや観光船が盛んに出入りし、遠くに目をやると知多半島や志摩半島が黒々と横たわっていた。目の前に浮かぶ小島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった神島である。

 急な階段を下りて灯台の建つ海辺に出た。海に沿うようにして整備された遊歩道があり、太平洋側の名所、恋路ケ浜から日出(ひい)の石門(せきもん)へと続いている。移動にはレンタサイクルが人気のようで、自転車で駆け回る中学生のグループや若い女性らにしばしば出会うこととなった。

 恋路ケ浜は白い砂浜が1キロほど続き、「日本の渚100選」にも入れられた景勝の地。この甘美な名前はかなり古くからあったらしく、文化5年(1808)に吉田(豊橋)の歌人林織江が「春さめにぬれてひろはんいらご崎 恋路ケ浦の恋わすれ貝」と歌っているとか。恋を語り合いながらそぞろ歩きをするにはぴったりのところだが、皮肉にも最近の若い人たちの間では「ここでデートすると分かれる」との伝説も生まれつつあるらしい。

 女性的な恋路ケ浜に対し、日出の石門付近だけは岩がむき出しになった男性的な光景だった。海岸にはしわの寄った奇岩がそそり立ち、沖合には浸食で中央部をくり抜かれた石門も浮かんでいる。ここから東へはまた「片浜十三里」と名付けられた優雅な砂浜が延び、太平洋の荒波が絶えることなく砂浜を洗っていた。

 

愛弟子励ます松尾芭蕉
望郷の思い、いかばかり

 鷹一つ 見付けてうれし いらご崎

 貞享4年(1687)、俳聖芭蕉は名古屋の俳人越人(えつじん)とともに伊良湖を訪れている。ここには芭蕉の愛弟子だった杜国(とこく)が不遇の身をかこっていた。彼は名古屋城下で米屋を盛大に営み、蕉風発祥ともなった画期的な選集『冬の日』にも加わった逸材だったが、空手形を出した罪によって名古屋を追放されていた。

「鷹一つ」の句は傷心の杜国をはるばる訪ね、3人で吟行したときに芭蕉が詠んだもの。その句碑は伊良湖シーサイドゴルフ場近くの国道259号沿いにあった。杜国はさらに東上した福江の美保に住んでいたが、その屋敷跡も小公園となり、そこには「春ながら名古屋にも似ぬ空の色」と刻まれた杜国の句碑も建てられていた。

 芭蕉はこの翌年、杜国を伴なって畿内を旅している。蟄居中の彼をいかに思いやっていたかがうかがわれる。その旅の様子は芭蕉の死後『笈(おい)の小文』として刊行されるが、杜国もそこにも名を残すことになる。

 屋敷跡近くにある潮音寺が杜国の菩提寺。境内には杜国の墓と芭蕉、越人の句碑が並べて建てられていた。墓は当初、自然石を利用した粗末なものだったらしいが、没後55年に当たる延享3年(1744)、地元の俳人によって新たに建て直されている。

 居合わせた参拝者は地元の方だった。その人は「杜国さん」と親しげに呼び、「毎当10月10日に、いまも供養祭が営まれている」と教えて下さった。碑の脇には投句箱が置かれ、秀作の何点かも掲示されていた。

 「鷹一つ」はむろん杜国のことだが、伊良湖はタカの渡りでも有名なところ。10月10日前後は南国を目指すタカがここに集まり、その様は“タカ柱”ができるほどだとか。まもなく野鳥ファンを楽しませる季節もやってくる。

 

歴史あり、文学あり
東大寺の瓦、ここからも

 郷土資料館は福江の近く、古田地区の山の手に建てられていた。広い敷地内に役場と中央公民館、文化会館もあった。それぞれが独立した建物で、なかなか立派なたたずまいである。

 渥美町は風光明媚な地だが、観光だけの町ではない。「やしの実」の詩はこの町に滞在した民俗学者の柳田国男が親友の島崎藤村に語って生まれたものだったし、いま見た芭蕉と杜国を巡るエピソードもある。また〃漁民歌人〃糟谷磯丸の出身地でもあったし、古くは天武朝の皇族で『万葉集』に載ることになった麻続王(おみのおおきみ)の流された地でもある。文学的にも話題は豊かで、そうしたゆかりの歌碑などを伊良湖岬周辺のあちこちで見かけたものだ。

 館内は埋蔵文化財室、郷土文化財室、民俗文化財室などに分けられ、遺跡からの出土品、古文書や古地図、民具や漁具などが展示されていた。縄文、弥生時代の石製品も数多く並べられていたが、その中でも釣りに使った重り“石錘(せきすい)”には大きなものが目立った。彼らは早くも波静かな三河湾で大物ねらいに挑戦していたのだろうか。

 東大寺に寄進された屋根瓦も興味を引いた。ここへ来る途中、初立ダムの堰堤下に公開保存されているその窯跡を見てきた。窯は斜面を利用してトンネル状に造られており、貴重な遺跡として国の史跡に指定されていた。
 いま目の前にする平瓦や軒丸瓦などは思っていたよりもはるかに大きなものだった。中には「東大寺大仏殿瓦」と刻印されたものもある。これらの瓦は鎌倉期の再建時に焼かれたそうだが、それにしても伊良湖は早くから海上ルートで中央と交流していたことを物語るものでもある。

 知らない町を訪ねると、こうした資料館へ立ち寄るのが楽しみでもある。一つ一つ現地を訪ね歩くことはできなくても、それなりの情報をインプットすることができる。この資料館も町の歴史や文化をいっぱい詰め込んだ、夢のあるおもちゃ箱のようだった。

 

華やか、フラワーガーデン
大人だって童心に返る?

 渥美町はまた農業の盛んな町でもある。メロンやトマトなどが道路沿いの各所で売られ、メロン狩りも人気を集めているようだ。交通量の多い国道はさながら“メロン街道”とでも呼べそうである。

 お腹を満たしたら、今度は目の保養へ−−。6000平方メートルの伊良湖フラワーパークには大小三つのパビリオンやフラワーガーデン、ヨーロッパ風の大花壇、芝生広場などがあった。園内には色とりどりの花が咲き乱れ、華やかでなごやいだ気分にさせてくれる。

 ヤシやパパイヤ、マンゴーなどの生い茂る温室は南国情緒いっぱいだった。南米のアンデス山脈にしか咲かない球状ベゴニアも色鮮やかな花を付けている。花にはそれほど関心があるわけではなかったが、めずらしい花々に見とれていると、時の経つのを忘れてしまうほどだった。

 富山から観光バスで来たご婦人たちと巡り合わせた。「この見事な花には負けるわよね」「いーえ、私たちだっていまが花よ」。きれいな花をバックに記念の写真を撮りながら、にぎやかにはしゃぎ回っている。

 旅の終わりに再び恋路ケ浜を訪れることにした。浜辺にみやげ物などを売る店が並んでいたからだ。早速、店先で名物の大あさりを焼いてもらい、海を眺めながらビールでのどを潤した。

 海は果てしなく広がり、潮騒が耳に心地よい。ぼんやり眺めていると、心がいやされてくるようだ。人の気配も少なくなった浜辺を見ていたら、ふと「やしの実」の歌を口ずさんでいた。

 

[情報]渥美町役場
〒441−3613愛知県渥美郡渥美町大字古田字岡ノ越6−4
TEL05313−3−1616

 

 

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