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静岡県富士川町

日本一の富士山を目の前で見てみたい 富士山、富士川と共に生きる町

サービスエリアに夢ふくらむ
町おこしの起爆剤に

 高速道路のサービスエリア(SA )はドライバーにとってオアシスのようなもの。そのSAのまったく新しいタイプがここ富士川町で生まれた。ドライバーがパーキングに車をとめ、自由に外へ出られる「開かれたSA」だ。

 高速道路に不可欠のSAも、地域との結び付きとなると、必ずしも十分とは言えなかった。これまでの単なる休憩・補給基地の役割から、地域との交流・交歓の場にまで高めたい。そんな願いから生まれてきたもので、言ってみればこれも「規制緩和」の一種なのかもしれない。

 富士川SAはすぐ脇を通る県道と一体となり、東名と一般道のドライバー、さらには地域住民との相互乗り入れのできる、これまでにないSA。県道脇に「道の駅」が造られ、二つの道路を結び付けるようにして「川の科学館」とショッピングセンターもある。

 川の科学館には巨大なスクリーンのあるバーチャリウムシアターをはじめ、川と水をテーマとした博物館もでき、ショッピングセンターには地元の特産物を集めた「駿河名物市」やそれらをメニューに生かしたレストラン「おいしんぼ館」、太陽熱を利用した温泉「清流館」などが入る。

 SAのある場所は町のほぼ中央部、富士川の右岸沿い。この位置からは富士山が目の前に迫り、河畔の散策も可能になった。オープン早々、ドランバーらの間で大きな話題となっている。

 「SAの利用者数はこれまでの倍近くになるのではないか。地域振興のためには願ってもないチャンスです。もう実際に動き出しているんですよ」

 町では早くから「富士川まちづくり会社設立準備室」をスタートさせていた。話をうかがっていると、いかに待ちこがれたものだったかが伝わってくるようだ。農協も負けじと特産品の開発と育成に取り組んでおり、貸し農園など滞在型の農業体験施設まで浮上してきている。

 SAの全景を見に、近くの高台に登った。この日はあいにく富士山を望めなかったが、手前にSAと富士川、その向こうに富士市の市街や田子の浦、遠くは伊豆半島までがうっすらと見えた。

 

山あり川あり、坂道の似合う町
スケールにびっくり“迎賓館”古谿荘

 江戸末期の民家を移築した民俗資料館の駐車場に車をとめ、町の中を歩いてみることにした。このあたりが役場などのある中心部。すぐ近くに東海道の一里塚が対で、道の両側にほぼ昔ながらの形で残されていた。

 その旧道を5、600メートルほど歩くと、左側に新豊院という曹洞宗の古刹があった。毎年3月には「大観音祭」と言って、観音像を描いた180反もの白布が掲げられるそうだ。祭り当日に使われる巨大なフレームが三十三番巡りを再現した〃厄除け〃観音坂の脇にあった。

 道路の反対側には“迎賓館”古谿荘があった。明治39年、時の宮内大臣田中光顕伯爵によって建てられたもので、後に講談社の野間清治社長の手に移り、いまは財団法人野間奉公会の所有になっている。1万6000坪という広大な敷地に、和風建築の屋根がちらほら垣間見られる。


“迎賓館”古谿荘にて
“迎賓館”古谿荘にて
 ちょっと中へ入らせてもらった。一部は果樹園にもなっており、みかんがたわわに実っている。古谿荘から赤松の林を通って大広間と八角堂前に回ると、川や滝、森まである日本庭園が広がっており、そのスケールにはただただ驚嘆するばかりだった。

 町は西を山に、東を富士川にはさまれて、南北に細長く延びている。こうしてぶらぶら散歩していると、いくつもある坂が変化に富んだ空間を作り上げていることに気付く。川沿いの公民館の裏手には昭和天皇の歌を記した歌碑公園があり、すぐ脇の堤防道路にはかつての街道を物語るかのように美しい松並木が続いていた。

 川に沿って1キロほど上ったところに、渡船のための「上り場」常夜灯と富士川開削に貢献した角倉了意を讃える記念碑が並んであった。先ほどの古谿荘庭園からといい、いまいる富士川河畔からといい、一目だけでもどかーんと居座った富士山を見てみたいものだが、それがまったく見られない。曇天とはいえ、それほど悪い天気でもないのに、その姿を見せてはくれないのか。

 

どこにあるのか、柱状節理「俵石」
血流川に合戦をしのぶ

 朝起きるとすぐにカーテンを開けたが、今日もやっぱり見えそうにない。昨日と同じく、どんよりとした曇り空。富士市で泊まったホテルのフロントマン氏は「風さえあれば見えるんですけどねえ」とすまなさそうな顔をした。

 今日は町の上流部を中心に見て回るつもりだ。なんでも「俵石」という奇岩がこの町で出るとか。それは大昔、富士山の噴火で流れ出した溶岩が冷やされて収縮、五角形または六角形の柱状節理となったものらしい。

 バイパス沿いに見られると聞いて探したが、それらしいものは全然見当たらない。通りすがりのお年寄りに聞くと「ここにはもうないずら。20メートルぐらいほじくって、長い柱のような石を切り出したもんだよ。いまはみんな埋め戻しちまったよ」とのこと。道理でいくら探しても、見つからないわけだ。

 ウロウロしていたとき「血流川」という川に出くわした。名称の由来を尋ねると「昔、武田信玄が攻めてきてさ、ここらあたりで合戦になったんだってさあ。沢山の人が死んだっちゅうよ。川は血で染まったっちゅうよ」。山梨の甲府は遠いものとばかり思っていたが、富士川沿いに南下してくれば、わずか5、60キロの距離でしかない。

 あいにくここに俵石はなかったが、すぐ近くの富士川沿いで見られるとか。蓬莱橋を渡って対岸の富士宮市側から見ると、川ぶちに霜柱状に黒い石が並び断崖となっていた。その一つ一つを眺めていると、なるほど、俵を縦にぎっしり並べたようにも見えてくる。

 この石は記念碑などに利用されることが多いらしい。昨日見たJR富士川駅前にあるキウイパークの巨大な石柱や一里塚の名称碑、歌碑公園の歌碑などに使われているのも、言われてみればみなこの俵石だった。ちなみに、キウイフルーツは町の特産でもあり、目下、キウイワインを新商品として売り出し中のようである。

 

手つなぎ地蔵と子抱き地蔵
ハイキングに絶好、野田山緑地公園

 さらに奥へ行った第二小学校近くの小公園。その片隅にお目当ての「手つなぎ地蔵」はあった。地蔵を型取った2人の姉妹が手をつなぎ、やさしいまなざしでたがいに見つめ合っている。

 昭和15年8月26日のこと。高岡姉妹は父に代わって郵便局に勤めていたそうだが、その帰り道、有無瀬川を渡ろうとして濁流に飲み込まれてしまった。地蔵はこの姉妹を哀れんで建てられたもので、姉のふさはいまだ14歳、妹のシズエは11歳であった。

 小道一本へだてた公園の外にも小さな祠があった。中をのぞき込むと、こちらには赤ん坊を抱いた愛らしいお地蔵さんが祭られていた。そして脇にある古木の根元には馬頭観音もあった。

 その有無瀬川を渡った妙松寺にも足を延ばしてみた。石段を登ってゆくと、立派な山門が見えてくる。手前には桜の老木2本がまるで寺を守護する仁王像でもあるかのように枝を広げており、この桜が町の名木になっているそうである。

 時間にまだ少し余裕があったので、野田山緑地公園に車を走らせた。先ほど出会った老人が真っ先にあげた町の名所がこれだった。いまはシーズンオフだが、春から秋にかけてはハイキングにキャンプ、バーベキューにとにぎわいを見せるらしい。

 標高530メートルの金丸山の頂上部にはキャンプなどのできる芝生の大広場があり、付近には展望台やアスレチックなどの施設もあった。ここからは遠く駿河湾も見渡せるが、肝心の富士山はこのとき初めて山頂の一部を申し訳程度にうっすらと見せてくれた。それにしてもこんなに近くまで来て、ついにその雄姿を見ることができなっかたとは……。

 

[情報]富士川町役場
〒421-3305 静岡県庵原郡富士川町岩渕121
TEL:0545-81-1111

 

 

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