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長野県富士見町

八ケ岳山麓に広がる雄大な富士見高原 澄んだ空気を胸に「さわやか信州」を体感

眼前に八ケ岳、見事
かつては日本一の山?

 中央自動車道を南諏訪インターチエンジで下りた。ゲートの係員氏に「どこかそばのうまいところは?」と尋ねると、迷わず「富士見町のおっこと亭がいいよ」との返事。町営のそば処にはそば打ちのできる「ふるさと体験館」もあり、信州の味に舌鼓を打とうとする多くの人たちでにぎわっていた。

 まずは腹ごしらえをして、入笠山中腹の富士見パノラマへ。この町へ来たからには、何が何でも富士山を見なくては。が、この日は抜けるような青天井だというのに、その姿を拝むことはできなかった。


八ケ岳を背景にして見る町内の田園風景
八ケ岳を背景にして見る町内の田園風景
 しかし、周りの景色は「すばらしい」の一語。眼前にはノコギリの歯のような形をした八ケ岳がそびえ、樹林に覆われた山麓がようやく尽きようとするところに町並みが広がっていた。いま来た中央自動車道やJRの中央本線、“甲州街道”国道20号なども手にとるように見える。

 富士見町は高原の中にある町。空気までがおいしい。町内のあちこちに別荘やペンションなども建ち、思っていた以上に大きな町のようである。

 八ケ岳に見とれていたら、かつて耳にした伝説を思い出した。八ケ岳と富士山が背比べをしたところ、八ケ岳の方が少し高かった。これに怒った富士山に八ケ岳はなぐり付けられ、そのために山頂部分が吹っ飛んで、デコボコの山になってしまったというのである。

 いまいるここ入笠山はその八ケ岳に対峙し、“南アルプス”赤石山脈の北端に当たっている。端っこにある山とは言え、標高で1955メートルもある。町内に入ったとき右手に入笠山を、左手に八ケ岳を仰ぎ見て感嘆したものだが、この雄大な大自然こそが多くの人々の心を引き付けてきたのであった。

 

町はアララギ派の聖地
作家救った考エ療養所

 中心街にある文学博物館「高原ミュージアム」。図書館とセットにされた建物だが、これがなかなか興味深い施設だった。富士見町がこんなにも多くの歌人や作家に愛された町だったとは--。

 「アララギ」と言えば、伊藤左千夫や斉藤茂吉の名が秒ゥんでくる。正岡子規亡き後、雑誌「アララギ」を通して短歌の革新の乗り出すが、富士見考エは彼らの好んで訪れたところでもあった。ここに来る前に立ち寄った富士見公園は左千夫自らが設計したものだそうで、園内には彼らの歌碑が何本も建てられていた。

 諏訪出身の小学校教員で雑誌「比牟呂」を発行していた島木赤彦が彼らと出会うのもここ富士見町だった。明治41年、二つの雑誌は合同で歌会を開くことになるが、その開催場所に当てられたのが今晩泊まることになっている駅前の旅館だった。赤彦は左千夫の没後、上京して「アララギ」を編集、グループの中心的な存在となってゆく。

 この町が多くの作家と結び付いたもう一つの舞台が、サナトリウム「富士見高原療養所」である。町内に入ると近代的な病院が目に飛び込んできたが、その前身がわが国唯一と言われた高原療養所だった。かつては高原特有のさわやかな空気とあふれる日差しが結核の治療によいとされ、それに悩む作家や文人らが申し合わせたようにやってきたのである。

 療養所の生みの親、正木俊二は「不如丘」を号し、文壇でも活躍した人物。ここに入所した人の中には堀辰雄や竹久夢二、久米正雄などがおり、彼らは療養所を舞台に作品を次々と発表してゆく。しかし、何と言ってもこの病院を有名にしたのは、映画にもなった久米正雄の「月よりの使者」だった。

 普通なら固いテーマの博物館に陥りそうだが、ハイビジョンなども取り入て分かりやすく紹介されていた。とりわけ、大型スクリーンに映し出される考エの四季は美しく印象的だった。こんな緑豊かな環境に身を置けば、一介の旅人もそれなりに歌人や詩人になれるのかもしれない。

 

行く人なし、信玄の棒道
八ケ岳の山麓に遊ぶ

 「ええっ、あの道へ行くんですか。車なんかでは、とても無理。歩いて行くのも大変なほどですよ」

 八ケ岳のふもとで見つけた「信玄の棒道」案内板。車で乗り入れてみたものの、その言葉通り、すぐガタガタの山道になってしまった。信玄が北信濃攻略のために造らせたという軍事道路だそうだが、いまではまったく形無しの様子である。

 こんなさびしいところを「風林火山」の旗をなびかせ、武田の騎馬軍団は走り抜けて行ったのか。しばらく歩くと、シカの白骨死体があった。驚いたことにそこから10メートルと行かぬうちに、また1頭の死体が転がっている。

 同行の友人は「タヌキかサルの集団に襲われたのでは」と推察した。そんな? タヌキやサルがシカを襲うのか。しかし、アウトドア派の彼の言うことだから、むげに否定することもできない。

 ほうほうのていで引き返すことにしたが、気がつけば、道路脇に立てられた「シカ注意」の標識。ということは、車にはねられたシカが獣道と化した棒道で息絶えたということではないのか。それにしても恐ろしい「遊歩道」があったものである。

 八ケ岳の山麓にはそれほどシカが多いということらしい。近くにある町営のクアハウスはその名も「鹿の湯」。ケガをしたらシカだって入りたかろうが、これは帰りの楽しみとすることにして、さらに山の奥へと車を進めた。

 山腹に設けられた展望台は「創造の森」と名付けられた彫刻公園。ここはまたかつて「信玄ののろし場」とされたところでもある。シラカバやカラマツの茂る展望台からは入笠山や南アルプス、遠くは北アルプスの連山まで望め、これまた入笠山からの眺めに負けず劣らずの大パノラマだった。

 

縄文の里、のどか
ロマン漂う井戸尻考古館

 八ケ岳山麓は縄文人にとってもパラダイスだった。町の南端にある井戸尻遺跡には考古館が建てられ、2000点にも及ぶ土器や石器などが展示されていた。その中には石製の鋤などもあり、すでに縄文時代に農耕文化があったのではないか、とする仮説にも興味をそそられた。

 館外では10数軒の住居址も発掘され、そのうちの一つは復元されていた。周辺の田畑にはハスやアヤメ、ショウブなどの花々も植えられ、そんな水面ではアメンボウやトンボなどの姿も見受けられる。遠くの森からはカッコウの鳴き声もしきりに聞こえてきた。

 少し先の田んぼでツバメが乱舞している。何ごとかと思って近寄ってみると、水田からわずかに顔をのぞかせた土がお目当てのようだった。いまは巣作りに大忙しといったところか。

 昨日からの懸案はこの町から見る富士山だった。位置的には南アルプスと八ケ岳との間に遠望できるはずなのだが、やはりここでも無理なようである。

 考えてみれば、滅多に見られない山が見えたからこそ、その感動で「富士見」の名が付けられたのではないか。これがいつでも見えるのであったら、別の名前になっていたにちがいない。名古屋にも「富士見」地名はあるが、見えるか見えないかはいまでも論争になっているほどだ。

 縄文早期から始まるこの井戸尻遺跡は昭和41年に国の史跡に指定されている。はるか数千年前のここでの暮らしや風景は、一体、どんなものだったのだろうか。小鳥のさえずりや小川のせせらぎを聞きながら、しばし考エの風とたわむれてみることにした。

 

[情報]富士見町役場
〒399-0214 長野県諏訪郡富士見町落合10777
TEL:0266-62-2250

 

 

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