マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
愛知県足助町 |
香嵐渓あり、三州足助屋敷あり “塩の道”伊奈街道の宿場と商業の町
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足助の守り神にごあいさつ |
四季を通じて人気のある香嵐渓 |
四季を問わず、この寺へも香嵐渓へも、何度か訪れている。しかし、背後にひかえる飯盛山にはまだ登ったことがない。寺の鎮守でもある豊栄稲荷の脇から、山頂へ通じる小道があった。
おびただしく並ぶ赤い鳥居に導かれるようにして山の中に入った。歴代住職の墓やこけむした十六羅漢の石仏があった。足助城主として戦国の世を生き抜いた鈴木氏5代の墓もあった。
さらに進むと「装束塚」と書かれた案内板。南北朝期の歌学者で関白をも務めた二条良基(よしもと)がこの地に逃れ、重範の娘である滝野(たきの)と恋に陥った。後に京都へ帰った基久が亡くなったのを知り、滝野は滞在中に着ていた装束を埋めてその霊を慰めたという。
2人に間には三吉丸という子供がいた。成長して成瀬基久と名乗るが、これが尾張藩の付家老(つけがろう)となる犬山城主成瀬隼人正の先祖だそうである。装束塚のそばには良基や重範、滝野、基久など、関係者の古びた五輪塔なども建てられていた。
やがて山頂に出た。標高254メートルの独立した山で、眼下に足助の町並みや巴川も見える。ここは足助氏の本城とされた山だったが、重範亡き後は急速に勢力を弱め、新たに真弓山の鈴木氏が台頭してくるのだった。
ひところ、築城ブームが起き、あちこちに城ができた。単に城跡というだけで、ありもしない天守閣も登場した。「城にはやっぱり天守閣」という考えも分からないでもないが、足助城はそんな見てくれのよさを捨て、戦国時代の山城にかたくなにこだわった。
「なんかお城ではないみたい。西部劇の砦みたいじゃん」
「昔はお城と言ってもあんなもんだったよ。いまの人の方が殿様よりいい家に住んどるかもしれんぞ」
登ってくるとき、すれ違った親子のこんな会話も耳にした。お城と聞いてきた子供の目にしてみれば、確かに頼りなく映ったのかもしれない。そんな心配も恐れず、発掘調査などに基ずいて忠実に復元したのは、なかなかの英断であったにちがいない。
城跡は公園として整備され、いくつもの曲輪を伝うようにして、山頂へと続いている。途中に二つの物見台が造られ、本丸には2層の櫓と平家建ての長屋もあった。それらは以前訪れたときよりも古めかしくなっており、周りの風景にしっくりとなじんできた感じだ。
この城がいつ、だれによって築かれたかは分かっていない。15世紀の後半、西三河山間部に勢力を誇った鈴木氏の一族が進出、「足助七城」とも言われる城を各地に築き、足助周辺に足場を広げてゆく。しかし、ここは交通の要衝であっただけに、岡崎の松平氏や駿河の今川氏、さらには甲斐の武田氏からもねらわれることとなった。
永禄7年(1564)松平勢の猛攻に遭ったのを機に、勢い盛んな元康(家康)の配下に属することになった。天正18年(1590)、家康の関東移封に伴い、足助城は廃城となっている。以降、この城が再び使われることはなかった。
櫓の2階からは手に取るように、足助川に沿って建ち並ぶ、足助の町並みが見えた。初めはこの城の城下町として形成されたものだ。足助は山の中の都を思わせるほど、早くから発展したところでもあった。
江戸時代に入ると、いよいよ栄えた。足助は名古屋や岡崎と信州方面とを結ぶ、物資の中継基地として重要性を増してきた。道は「伊奈街道」と呼ばれ、明治になってからは「飯田街道」の名も付く。
この街道を通じて多くの塩が馬の背に乗せて運ばれていった。「伊奈街道」がまたの名を「塩の道」とか「中馬街道」と呼ばれる由縁でもある。往時の道はいまもくねくねと曲がりながら、町の中を通り抜けている。
早速、歩いてみることにした。道の両側に塗り込め造りの重厚な民家が建ち、そうした旧家の奥には白壁の土蔵も見られた。町の中ほどには「右ほうらいじ道」「左ぜんこうじ道」と彫られた道しるべも立てられている。
旧銀行の社屋を活用した「足助中馬館」。この町の交通や商業など、発展ぶりを知る格好の資料館だ。建物のある辺りが宿場の中心地で、かつての面影を色濃く残している。
「大きな塩問屋が何軒もありました。名古屋や三河方面から運ばれてきた塩は山道でも運びやすいように改装され、ここからは“足助直し”とか“足助塩”と呼ばれて運ばれて行きました。海もないのに塩で有名な町だったんですね」
居合わせた女性の係員は展示物の一つ一つをていねいに解説してくれた。かつての塩問屋では天気の悪い日に、いまも土間だったところから塩がにじみ出てくるとか。近くにあった銀行は民家風の2階建てで新築され、古い町並みにうまくとけ込んでいた。
旅の最後は岩戸山観世音寺に足を延ばした。日本一の呼び声も高い大岩窟「風天洞」がある。紹介するスペースがなくなってしまったが、足助を語るにはここも一度は見ておきたいところである。
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