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岐阜県明智町

大正の面影が残る郷愁の町 モボ・モガも歩いた? ハイカラ小路も

地図を片手に町の中へ
人気の出てきた「大正村」

 「名古屋からおんさったの? 明治村と違って、ここは特別の施設があるわけじゃないでのう。なんにもないちゅうか、町中が博物館ちゅうか……」

 明智の人は観光客に妙にやさしい。イラストマップを片手に「北コース」から回ろうと歩き出したところ、すれ違ったおじいさんに「どちらから?」と声をかけられた。後で知らされたのだが、ここは住人たちがボランティアとなって運営にも一役買っているとか。

 日本大正村──明智町が“開村”宣言をしたのは昭和59年のこと。以来、「ジジババばかりの古びた村」(同)を逆手に取り、資料館や史跡などを整備して「大正」の復元に努めてきた。おかげでいまや年間50万人を呼び込むまでになり、特にここ数年は増加傾向にあるらしい。

 観光の“中核”大正村資料館は銀行の蔵を改造した、木造4階建ての堂々たる建物。「明治から大正にかけては生糸の一大産地。これはマユを納めたマユ蔵なんです。飛騨の人たちは野麦峠を越えて向こう(信州)へ行くか、こちらへ来るかと言われたほど」。お茶を出して下さった係の人も、これまたボランティアでやっているというおばさんだった。

 白い石畳の両側に黒い羽目板の蔵が建ち並ぶ、その名も大正小路。明智川に架かる橋の上からそんな“絵になる”風景に見とれていたら、今度は買い物帰りらしいおばさんが、橋のたもとにあるお地蔵さんを指さして教えて下さった。「かつてはこの橋の下あたりに大きな淵があり、女工さんたちが身投げしたことも」。かたわらには「糸曳き乙女地蔵」と書かれた小さな案内板があった。

 石畳を踏みしめながら、ゆるやかな坂を上ってゆく。当時はモダンな建物だったであろう、木造の西洋館は旧明智町役場だった。この町の生んだ画家、山本芳翠の記念館もある。明智遠山氏ゆかりの代官所陣屋もあった。

 明智町と言えば、明智光秀の名を挙げねばなるまい。龍護寺にはその供養塔があり、すぐ隣の八王子神社にはお手植えのカエデもあった。光秀に寄せる町の人たちの思いに、並々ならぬものを感じさせられた。

 「石塔が割れとるだら。高野山にある五輪塔の真ん中も、おんなじように割れとったでのう。光秀公にやましいことはないに。腹の中まで見せたいと言っといでる。信長を討つことになったのも、朝廷かどっかから密命を受けてやったんだに、きっと」

 お寺参りに来ていたおばあさんに、ここでも話を聞くことができた。この町の人は本当に人なつっこい。

 

「うかれ横丁」に往時の面影
二つの街道が交差する宿場町

 ふりだしに戻って、今度は「南コース」を歩いてみることにした。明智川のほとりにある「遠山桜」は樹齢400年と言われる巨木。「この桜吹雪が……」とタンカを切る〃遠山の金さん〃こと遠山左衛門尉景元は明智遠山氏の分家筋に当たるそうで、ひょっとしたらあの彫り物もこの桜をヒントにしていたかも?

 中馬街道と南北街道の交差する界隈はかつて宿場としてにぎわったところ。信州と尾張、三河とを結ぶ交通の要所で、道の両側に並ぶ古い家並がいまも往時をしのばせてくれている。道路脇に設けられた案内ボックスのボタンを押すと、解説とともにのどかな馬子歌が流れ出した。


「女工哀史」の歴史が伝える糸曳き乙女地蔵
「女工哀史」の歴史が伝える糸曳き乙女地蔵
 「南北街道の両側の家々にはのう、3尺ばかりのヒサシがあってのう、雨の日でもカサなしで歩けましたわ。昭和になると馬車がトラックになってのう、削り取られてしまいましたけんどね。このへんは『うかれ横丁』と言ってのう、旅館や料理屋とかがずらっと並んどってのう、そう言えば、どえらい立派な劇場なんかもあったのう。街道を行き交う人とか、製糸工場で働いとる糸曳きさんたちで、ほんとに人でいっぱいだったのう」

 スピーカーの音を聞きつけてか、説明に登場して下さったのは、すぐ前にお住まいの堀善男さん。当時は町のあちこちに工場が建ち、たまの休日はここへ遊びに来るのが唯一の楽しみだった。この町でそれほど製糸業が栄えたのも、夏場の涼しさが良質のマユを作り出したためだとか。

 明治から昭和にかけてのおもちゃを集めた「おもちゃ資料館」、京都のカフェーを復元した「天久資料館」をのぞき、明智大橋を渡れば、この散策コースも終わりだ。南北両コースを合わせても、4時間ほどあれば十分である。

 近くの食堂に入り、ビールで乾いたノドを潤した。たった1人の客は地元にお住まいの方だった。この人も遠慮深いのか「何にもない」と謙遜し、「若い人の中には『つまらない』とか『だまされた』とか言う人もいますよ」と苦笑した。

 確かに京都や高山、あるいは木曾の妻籠などのように、華やかさに欠けるところはあるかもしれない。しかし、旅人をもてなそうとする心遣いは大したもので、なかなかどうして、実に楽しいひとときであった。

 

光秀は心の中に生きている
親から子へ、語り継がれてきた歴史あり

 明智氏の城は明智町になかったし、肝心の光秀もこの町とは無縁だった--こんなことを書き出すとおしかりを受けそうだが、最近の研究では光秀ゆかりの明智城は可児市(岐阜県)の明智城(別名・長山城)ということになりつつある。光秀の前半生は不明なことが多く、「逆臣」の汚名がそれにいっそう輪をかけてしまったようだ。

 しかし、こう結論付けてしまったのでは、わが町の英雄とする明智町の立場がない。「光秀公の名前さえはばかられた時代に、この町では親から子、子から孫へと語り継がれてきました。学者先生がどう言おうと、私たちにとってはこれが真実なんです」。昨日、食堂で会った人はこう言って、伝承されてきた〃事実〃を強調するのだった。

 その産湯の井を見に、千畳敷公園を訪れた。井戸は金網でふさがれ、周りを木枠で囲まれていた。脇の案内板には「伝説によれば」と前置きして解説されていたが、やはり正式に名乗り出るには遠慮があるのだろうか。

 それにしても、光秀ゆかりの史跡は町内のあちこちにある。幼少のころ学問に精を出したという天神社、光秀が勧請したという柿本人麻呂社、母お牧の方の墓石の脇にはその名にちなみ、樹齢数百年の高野マキがどっしり腰をすえていた。

 そして毎年5月の第一日曜日には町を挙げて「光秀まつり」が繰り広げられる。この日は光秀や姫君、腰元などに扮した行列が町内の目抜き通りを華やかにパレードする。もちろん、ここには信長も秀吉も登場してこない。

 千畳敷公園の展望台で町を見下ろしながら、2人の主婦が弁当を広げていた。「町民として、どうお考えですか」と水を向けると「だれが何と言っても、そりゃこちらですよ。観光客の中には本当はどちらなんだ?と食い下がる人もいますけどね」と言ってたがいに笑い合った。町当局の統一見解というものはなく、説明はボランティアの自主性に任されているらしい。

 

明智城に戦国の悲哀
光秀も明智に来ていた!

 光秀と並んでこの町にゆかりの深いのが“遠山の金さん”のルーツである明智遠山氏だ。明智の築城は鎌倉時代にさかのぼるとも言われ、戦国時代の初めには遠山景行が居城して恵那、土岐2郡に勢力を張った。景行の墓は安住寺にあったが、寺はその奥方の開いたものでもあった。

 あまり高そうな山でもないので、登ってみることにした。農作業中の人に道を尋ねると親切に教えて下さったが、ここでもまた「何にもないですよ」の言葉。むろん、天守閣などは期待していないので、その心配には及ばない。

 昨夜は寒さで震えたものだが、日中は春のような陽気となった。額に汗をにじませながら、しばらくは杉木立の中を歩いた。天神社の横を通り、いくつかの曲輪を通り抜け、山頂の本丸跡に到着した。

 本丸跡に立てられた案内板には意外にも光秀の名が登場していた。天正2年(1574)3月、武田勝頼は1万5000の大軍を催してこの城に押し寄せた。景行の孫・一行(かずゆき)からの急報に、信長は長男・信忠と光秀を呼び寄せ、自らも3万の兵を率いて救援に駆け付けた。

 勝頼は騎馬軍団の勇将・山県昌景に命じ、6000の兵でその行く手に立ちはだかった。さすがの信長も山岳戦での不利を悟り、はやる光秀らをなだめて引き揚げてしまう。見殺しにされた城兵たちは岩石を落とすなどして激しく抵抗するが、怒涛のように押し寄せる「風林火山」の旗の前に、もはや風前のともしびであった。

 「なるほど、そうだったのか。すると、光秀も明智の地を踏んでいたことに……」

 文字を読んでいて、思わずつぶやいてしまった。この戦いで光秀らの思いはかなえられず、500を超す兵たちは城を枕に討ち死にしている。美濃、信濃、三河の国境付近に位置したことから、戦国時代にはここを舞台に数々のドラマが繰り広げられてきたのだった。

 城は急峻な地形を巧みに利用して築かれており、尾根伝いに大小20余の曲輪と土塁、空堀跡などが残されていた。石垣の見事な隣接の岩村城などとは違い、ここは土盛りして築かれた素朴とも言える山城だ。これだけ原形をとどめているのは珍しく、城跡一帯は岐阜県の文化財にも指定されている。

 帰りは陣屋側に下りた。遠山氏は江戸時代になって旗本に転じるが、その出先機関として利用されたのがこの陣屋だ。すぐ近くにはこれまた観光の目玉となった「大正ロマン館」があった。

 

[情報]明智町役場
〒509-7700 岐阜県恵那郡明智町843-1
TEL:0573-54-2111

 

 

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