冬でも暖か、ミカンの町 七里御浜、海岸美見事
伊勢自動車道の安濃サービスエリアで伊勢うどんを食べ、尾鷲の魚市場でサンマずしに舌鼓、御浜町に入ってめばりずしをほうばった--。
名古屋から車で約4時間。この町への旅は郷土食を味わう楽しみまで加わってきた。こうなると時間のかかる国道42号を走るのも楽しくなってくる。
上り下りの続いた道も、熊野市を越えたら一変した。国道左手には美しい松林が続き、その向こうには光る海が見え隠れ。それまでの曲がりくねった山道とは違い、ここは平坦で一直線に延びる快適なドライブコースだ。
御浜町の中ほど、阿田和(あたわ)地区にある道の駅「パーク七里御浜」。観光センターや紀南地域活性化センター、ショッピングセンターなどの施設が一カ所に集まり、熊野と新宮とを結ぶ格好のオアシスになっている。広い駐車場にはマイカーや観光バスがひっきりなしに出入りし、特産のミカンや水産物などに観光客らの人気が集まっていた。
場内をひとしきり見物した後、松林を横切って海岸へ出ることにした。水平線がどこまでも広がり、「地球は丸いぞ」とでも言いたげに見えてくる。足元は丸い小石で埋め尽くされており、そうした中の形や模様のいいものは〃御浜小石〃としていま訪れた店先に並べられていた。
さすがに熊野灘、波が荒々しい。小石を巻き上げながら激しく打ち寄せ、そして、ガラガラ音を立てて奪い去ってゆく。この果てしない繰り返しがまるで一つ一つを丁寧に磨いたような、スベスベの丸い石に仕立て上げてきたのだ。そんな小石が延々と続く浜辺も、遠くは波しぶきにかすみがちであった。
海辺にたたずむお年寄りがいた。聞けば今日は特に荒いそうで、いつもなら釣り人でにぎわうとのこと。そして「今年はなぜかサンマ漁がさっぱりだよ。サンマずしができねえ」とこぼした。浜辺や民家の軒先で見られるサンマのすだれ干しは冬の風物詩と聞かされて来たが、そんな光景を今回の旅ではついぞカメラに納めることができなかった。
熊野古道「浜街道」を行く 一里塚跡や巡礼供養碑も
いま、熊野古道が静かなブームを呼んでいる。ここでは熊野詣でのコースが国道42号やJR紀勢本線と重なるようにして通っていた。神志山(こうしやま)駅のある御浜町の北端まで、二駅分を実際に歩いてみることにした。
道の駅の前にある松原には、散策のための遊歩道も設けられていた。市木川に来た手前で左に折れ、国道を山側に横切った。道路脇に置かれていた大きな石をのぞき込むと「史跡市木一里塚」の文字。かつての街道を思わせる細い道をさらに進むと大小二つの橋が架かり、川を渡って反対側の海辺に出ることができた。
このあたりの川は小石が荒波によって押し上げられ、河口は「完全に」と言ってよいほど、ふさがれてしまっている。市木川はその典型とも言えそうな川で、流れを失って海の手前で大きな遊水池を形作っていた。その河口付近にはひっそりと水神が祭られていたが、これは海水の逆流から村を守るために建てられたものだそうな。
ここで熊野から歩いてきたという、リックを背にした中年のご夫婦にお会いした。「潮騒を聞きながらの快適なコースですけど、小石や砂を踏みしめての歩みは結構疲れますわ」。そう言いながらも、過ぎ去る2人の足どりは軽く、かなり歩き込んだ人と見た。
こちらも負けてはならじと、ザクザク音を立てて進んだ。歩き始めたころは一見のどかな巡礼道のように思えたが、こうして歩いていると山道にも劣らぬ難所だったことが分かってくる。志原川の河口近くまで来ると波にさらわれて亡くなった人の供養碑もあり、この付近は「親知らず子知らず」と恐れられていたところだったそうである。
そんなエピソードを残す熊野への浜海道も、いまは日本の「白砂青松100選」に選ばれた名所。美しい松林は江戸時代の初め、紀州藩祖となった徳川頼宣(よりのぶ)に従って入国した家老の水野重仲(しげなか・新宮城主)が防風林として、旧領の遠州浜松から移植したのに始まるそうだ。散策の途中、しばしばそんな松林や広葉樹林の中を通ったが、そこはまた野鳥の天国でもあった。
オオカミの血を引く“猛犬” 阪本は紀州犬発祥の地
道の駅で紀州犬のふるさとがこの町の阪本地区であることを教えられていた。紀州犬は秋田犬や土佐犬などと並ぶ日本犬の代表格。その祖先は同所に住んだ猟師弥九郎の助けたオオカミの子供だったとか。
阪本の集落は内陸部に入った、棚田の広がるのどかな山村だった。その奥の方にポツンとある一軒家が紀州犬を何頭も飼っている亀田昭治さんの家。訪れると庭に3匹の成犬が寝そべっており、犬小屋の中には生後50日と30日の子犬が合わせて10匹ほどいた。
ちょこまか動く子犬のしぐさが何とも言えない。そのかわいさに目を細めていると、亀田さんは「いまはいいけど、猟犬だからやっぱり気は荒いよ」「武士のように二君に仕えずといった気質がある。だから子犬のころから飼育しなくては」「ペットには向いていない。好きでないと飼えない」と飼育についてひとくさり。それでも全国に愛好者がいて、近くもらわれていくことになっているそうだ。
みな白い色をしているが、子犬の中の一匹だけは褐色の耳をしていた。不思議に思って尋ねると、たまにはこうしたものも生まれてくるとか。本当に遠い先祖とされているオオカミの血が交じっているとでも言うのだろうか。
紀州犬の発祥地は和歌山にもあると聞いている。しかし、亀田さんはそんなぶしつけとも思える質問に笑みを浮かべ、「伝説に登場する弥九郎のご子孫はいまもこの村にお住まいですよ」と自信たっぷりの様子。天然記念物でもある紀州犬の飼育を町もバックアップしているそうで、そうした愛好者たちによって「弥九郎の会」も結成されているとのことだった。
亀田さんは実りの秋ともなると、田んぼに犬小屋を移すそうだ。紀州犬がいるというだけで、シカやイノシシも近寄ってこない。こんなことができるのも村人の顔を覚えてしまえる、小さな山里ならではの活用方法と言えようか。
深山に迫力満点「不動の滝」 熊楠が救った「引作の大楠」
「わっ、これはすごいや!」
不動の滝は角を曲がったとたん、いきなり目の前に現れた。しかも、見上げた頭の上に水しぶきが降りかかってきそうな感じだ。勢いよく空中に飛び出した水は水滴となり、青空をバックにキラキラ輝きながら落ちてくる。
高さは20メートルほどもあろうか。しかし、この滝に滝壷はない。下の方には水を受けとめるように岩が張り出してきており、気付くとその岩の片隅に滝の名前ともなっている不動明王の石仏が安置されていた。
滝のあるのは市木川の上流部。車を捨てて山へ入った入口の景色がこれまたすばらしい眺めだった。大きな岩山が立ちはだかり、墨絵などに見る深山幽谷の雰囲気。そんな仙人境を思わせる山道を20分ほど分け入り、ようやくたどり着いた滝であった。
しばらく見とれた後、今度は引作地区にある大楠を見に。不動の滝の迫力にも驚かされたが、こちらの大楠も目の前にして「あ〜」とか「ほ〜」とか、出るのはため息ばかりで言葉にならない。巨木はあちこちで見てきたが、けたはずれのスケールである。
かたわらの説明板に「樹齢1500年、幹の周り15.7メートル、高さ31.4メートル」とある。樹勢はいまもなお盛んで、環境庁の調査により「三重県下随一」のお墨付きももらっている。1500年前と言えば古墳時代に当たっており、大和政権がようやく動き出したころではないか。
この楠も明治44年、付近に林立する杉などとともに、危うく切り倒されるところだった。それを知った民俗学者であり植物学者でもあった南方熊楠(みなかたくまぐす)は知人である柳田國男に連絡、彼の尽力を得てこれだけは難をまぬがれることになったとか。南方と言えば和歌山県出身の偉人だが、そんな話が語り継がれてきたのも、名木を語るにふさわしいエピソードのように思えてきた。
[情報]御浜町役場
〒519-5204 三重県南牟婁郡御浜町大字阿田和6120-1
TEL:05979-2-1311
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