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三重県南島町

海釣りだけの町じゃない…… 明媚な眺めと潮の香に誘われて

潮風ほほに心地よく
絶景に思わず歓声

 南島町は変化に富むリアス式海岸の町。伊勢志摩国立公園の最南端に組み入れられ、海岸線の美しさと熊野灘の青さが目にまぶしい。町の入口、ここ古和浦のニラハマ展望台からの眺めは抜群であった。

 古和浦と言えば、原発反対でよく耳にする名前だ。先ごろ町は懸案だった芦浜原発の撤回を決めたが、町中には「補償金は一時、海の幸は永遠」などと書かれた看板も残されていた。観光案内を見ると、あちこちにある入江は絶好の漁港となっており、県下屈指の漁業の町であることを改めて教えられる。


風光明媚な南島町の海
風光明媚な南島町の海
 まずは海辺のドライブとしゃれ込んだ。岬と海が複雑に入り組み、まるで絵葉書でも見ているような美しさ。鏡のように穏やかな海にはタイやハマチの養殖いかだなども浮かんでいる。

 鵜倉半島を一周する、鵜倉園地周遊コース。ところどころに展望台が設けられており、高台からたっぷり絶景を堪能することができる。後ろの森ではヒグラシに負けないほどウグイスやホトトギスも鳴き、目の前では早くも赤トンボまでが飛び交っていた。

 町のシンボルである南島、阿曽浦の親子大橋を渡って、さらに奥へ。どこへ行っても漁港があり、そして海釣りを楽しむ人たちがいた。そのうちの一人にビクを見せてもらうと、40センチはあるボラが勢いよく飛び跳ねていたが、その人は「これじゃ、うれしさも中くらいだよ」と意外とも思える返事だった。

 そういえばここへ来る途中、浜辺でとったばかりのタコを洗っている漁民にも出会った。カニをエサにして、引っ掛けてとるそうだ。「こんなに沢山!」と驚くぼくに「今日は25匹でいつもの半分くらい」と、これも不満そうな口振りであった。

 国立公園内の観光地とはいえ、ここの主流はやはり釣り客。海には天然のタイなどの釣れるいけすもあり、こちらも多くのファンでにぎわっていた。そしてこの日の夜、泊まった宿で思わず顔をほころばすことになるのだった。

 

この人をご存じ?
漁民の子倅から旗本に

 この町の生んだヒーローが江戸時代初期に活躍した商人で海運、治水の功労者・河村瑞賢(ずいけん)だ。宮東集落の国道260号脇に記念公園が造られ、土木工事を指揮する瑞賢の銅像があった。裏手にはその菩提寺大仙寺と両親、弟を弔う大きな五輪塔もあった。

 案内板の解説によると、瑞賢は元和4年(1618)にこの村で生まれている。13歳のとき江戸へ出て荷物運びとなったが、その約10年後、品川の海岸に流れ着く盂蘭盆のウリやナスを見て、塩漬けにして売り歩くことを思いついた。これが商人としてのスタートとなったが、よほど目先の利く人物だったにちがいない。

 明暦3年(1657)の大火では木曽材を売って巨利を得、江戸でも指折りの材木問屋にのし上がった。寛文11年(1671)には幕府の命令で奥州の官米を江戸へ輸送する東回り航路を開発、その翌年には酒田から輸送する西回り航路も整備している。これらは単に米の輸送にとどまらず、他の商品流通にも飛躍的な発展をもたらすこととなった。

 天和3年(1683)幕命により畿内の治水工事を行い、中でも有名なのが淀川治水のために切り開いた安治川だ。川の両側に問屋が建ち並ぶようになり、やがて「天下の台所」とまで言われるほどになってゆく。瑞賢はこうした功績が認められて旗本に取り立てられるが、ここに立つ銅像は元禄12年(1699)、再び大坂で陣頭指揮した工事の雄姿を再現したものだとか。

 以上はかたわらに設けられていた案内板からの受け売りである。読み終わって思ったのは瑞賢の偉業もさることがら、わが子の才能を見いだして単身江戸に送り込んだ父親の心情だ。まさにトンビがタカを生むことになったが、父はこの寒村からはるか彼方の江戸を見続けていたのだろうか。

 瑞賢は恩返しに大仙寺へ大般若経を寄進し、近くの八柱神社には石の鳥居を奉納している。宮東の誕生地には彼を顕彰する石碑もあった。地元の人たちはここを「瑞賢の郷」と称しており、彼に寄せる思いのほどがひしひしと伝わってくるようだった。

 

海の幸、お腹にいっぱい
素晴らしい海上からの眺め

 宿は「瑞賢の郷」近くの旅館にした。部屋に通されるともう布団が敷かれており、あまりの無愛想さにいささかあきれてしまった。が、ひと風呂浴びて大広間に行き、またまたびっくりである。

 食卓には海の幸が所狭しと並べられている。それどころか、食べている最中に、次から次へと出てきた。タイやヒラメ、ウニにアワビ、イセエビまで1匹丸ごと出てきて「これは何かの間違いでは?」とちょっと心配になってくるほどだった。

 周りを見回すと、みなうれしそうに舌鼓を打っている。ほとんどが釣り客かその家族のようだが、この豪勢なもてなしが南島町流とでも言うのだろうか。海の豊かさを体感して、大満足の一夜となった。

 翌朝、ご主人が海から案内して下さることになった。乗り込んだのはぼくと釣り客の家族ら5、6人。旅館や民宿は釣り船を持っており、客を釣り場へ運び終えてのひとときだった。

 「おか(陸)から見る風景とはちょっと違うやろう。どのへた(岬)も断崖や絶壁でなあ。あの岩場には空洞ができとって、その穴はずっとあっちの方に通じとるんや。また向こうにはコウモリ穴というのがあって、コウモリがようけおるんや」

 高台からはのどかに見えた光景も、こうして海から眺めてみると、人を寄せ付けない厳しさがある。どの岬も先端部には道一つない。絶壁に囲まれるようにしてわずかにできた砂浜もあり、「あそこはだれも来ないから、バーベキューなどをするには最高の舞台だよ」との解説まで加わった。

 ご主人の案内で湾内のあちこちを見物させてもらえた。これも思いがけないサービスだった。漁港に戻って海の中をのぞき込むと、小魚が群れをなして泳ぎ回っていた。

 

漁村にも悠久の歴史
平家の隠れ里、いくつも

 南島町は「浦」とともに棚橋竃とか小方竃など「竃」の付く地名も多い。こうしたところには平家の落人が住み着いていたそうで、「竃」は彼らが生計の糧に塩焼き竃を築いた名残だとか。これらの集落ではいまも毎年1月上旬、「竃方祭」と呼ばれる伝統行事が厳かに行われているとのことだった。

 町内には興味深い史跡も沢山あった。古和浦には南朝に忠誠を尽くした「古和一族の軍忠碑」があった。北畠親房に味方した豪族加藤氏の居城、薬師山城の跡は住宅に囲まれた高台にあった。近くには「倭姫命の腰かけ岩」と呼ばれる石もあった。

 「わざわざこんなとこへよう来たなあ。お伊勢さんの場所を決めるに当たってな、倭姫様はあちこちを探し回られたそうじゃ。こちらへも立ち寄られたげなが、なんせ山をいくつも越えてこられたでお疲れになってなあ、この岩の上に腰を掛けられということじゃ。近くに伊勢地というとこもある」

 大きな松の木陰で一休みしていると、通り掛かったおじいさんが声を掛けてくれた。南島町へは来ても、ここを訪ねる人はまずいまい。それだけにめずらしく、目にとまったらしい。

 「慥柄浦」と書いて「たしからうら」と読ませるが、そこには風呂屋川の古戦場もあったとか。中学校の脇に、海へ注ぐ小さな川があった。享禄4年(1532)の秋、ここへ海賊が攻め込んで来て合戦となったそうだが、そういえば先ほど案内してもらった洞門などは水軍の船の隠し場所として使われることもあったのだろうか。

 島が水に浮く? 道方集落には水面の上昇に合わせ、浮き上がる不思議な島があるそうだ。訪ねてみると周りは公園として整備され、水田もなくなったいまではほとんど動くことはないとのこと。何でも島は植物などが堆積してできているらしく、県の天然記念物にも指定されているほどのものだった。

 この町に来て、釣りにはまったく無縁だった。しかし、存分に楽しめる2日間であった。

 

[情報]南島町役場
〒516-1422 三重県度会郡南島町神前浦15
TEL:05967-7-0002

 

 

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