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岐阜県春日村

伊吹山や国見峠を間に、滋賀と接する村
全村が山岳地帯という“緑の王国”はいま

国歌「君が代」発祥の地
石位左衛門、石を歌に

 わが君は 千代に八千代に さざれ石の
   いわおとなりて 苔のむすまで

 岩が小さくなるというのなら分かるが、小さな石が固まって本当に大きな岩となるのか。この疑問に答えてくれるのが、伊吹山の登山口にもなっている「さざれ石公園」である。そこには大きく“成長”したさざれ石がど−んと置かれ、周りには厳かに注連縄まで張られていた。こうした石は石灰岩が長年の間に雨水で溶け出し、それが次第に周りの小石を固めて岩になったものだとか。


「さざれ石公園」にある巨大なさざれ石とその碑
「さざれ石公園」にある巨大なさざれ石とその碑
 このめでたい石を産出するおかげで、村は国歌「君が代」発祥の地をうたっている。そう聞かされてやってきたが、その程度の話ではなかった。「君が代」のもととなった歌も、実はこの地で詠まれたものだった。

 時は平安時代の初め。文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王は第四皇子(後の清和天皇)に皇太子の座を先んじられ、一時期、近江の小椋郷(永源寺町)に隠れ住んだ。当初、天皇は親王を推すつもりでいたらしいが、第四皇子の生母が摂政を務める藤原氏の出だったことから、これをはばかったと言われている。その悲運の親王が後にお椀や鉢などを作る木地師の祖神とされ、小椋郷は彼らのふるさととして聖地のようになってゆく。

 さて、その親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ケ畑から良材に恵まれた春日の地へやってきた。あるとき君ケ畑に向かう途中、いまある公園付近の地でめずらしい石を目にし、それを見たまま感じたまま歌に託した。冒頭にあげたのがそれだったが、やがてこの歌は京の都で評判を呼び、『古今集』に採録されるまでになった。

 男は身分が低かったため歌集では「よみ人知らず」として扱われたが、やがて名もないこの男がフットライトを浴びることになる。朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣(あそん)石位左衛門」の称号を賜ったのだ。村の中央部に当たる小宮神地区にはいまも木地師の遺跡や系図などが保存され、その一族とみられる末裔90余戸も残っているとのことである。

 

充実した施設「長者の里」
森がテーマの博物館も

 村内を流れる揖斐川の支流・粕川をさかのぼると、川はやがて左右二つに分かれる。左に折れた長谷川の上流に「さざれ石公園」があったわけだが、今度は反対の表川(粕川の本流)に沿って行ってみることにした。スキーファンには長者平や国見岳の名をあげれば分かってもらえようか。

 こちらは秘境の面影を一層色濃く残していた。気がついたときには、川はいつしか山あいをぬう、か細い谷川に変身している。長者平スキー場のさらに奥へ進むと、いま村が力を入れているリゾート施設「長者の里」があった。

 「まさかこんなところに、こんな立派なものがあろうとは……」

 その入口に立って感心してしまった。中心となる宿泊施設「セントラルハウス」をはじめ、キャンプ場やバンガロー、コテージ、さらにはテニスコートやバーベキューハウス、アトリエに喫茶店、売店、そのうえ何とこの村ならではの森林をテーマとした「森の文化博物館」まである。これだけの施設を擁しながら、まだ夏休みの期間中だというのに、利用者らしい人を全然見かけない。これも驚きの一つだった。

 「それでもお盆までは結構にぎわっとったよ。山家だからまあ、こんなもんじゃろ。名古屋からも近いことだし、まあちょっと来てまえるとありがたいんだがのう」

 喫茶店で一休みしていた老人も、いささか手持ちぶさたの様子。この人は最近になってようやくアマゴ養殖のコツを会得したそうで、「安く分けているから、みんな大喜びだよ」と付け加えた。ここではこうした地元のベテランたちが自然観察や渓流釣り、トレッキング、バードウォッチングなどのガイドをする、森の案内人制度「グリーン・パイロット」のサービスしているそうだ。

 長者の住んだ伝説もある里とはいえ、閑古鳥の鳴くようでは、いささか宝の持ち腐れ。これだけの施設があるのだから、もっと多くの人に知られてもよい。広い園内を散策していて、どうしたら都会の人たちを呼び寄せられるか、と人ごとながら考え込んでしまった。

 

美濃と近江を結ぶ裏道
落人めぐるやさしい話も

 村は伊吹山を越えて滋賀県へ出る間道に当たっている。このため昔から落ち武者などもしばしばここに立ち寄った。そんな目で村内を見回してみると、それらをしのばせる史跡と出会うことになる。

 村の入口にある右手の山に、土岐氏ゆかりの小島城があった。足利氏に推された北朝の後光厳天皇は一時期、この城に逃れてきたとも伝えられている。その仮りの住まい「行宮(あんぐう)」は隣接する揖斐川町にあったとされているが、ここ地元では小島城の城内にあったとする見方もあるほどだ。

 時代は下って関ヶ原合戦のあった直後。戦いに敗れた西軍の将、小西行長も長谷川沿いの尾根を伝ってこの村へ落ち延びてきた。そのとき、名主を務める四位新九郎は家康側の東軍に味方していた。

 しかし、新九郎は落ちぶれた姿を見て、これをかくまうことにした。彼の祖先もまた平家の落人であり、一瞬、行長に祖先の面影がだぶって見えたのかもしれない。かくまわれた山中地区の観音寺には行長の画像も残されているとのことだったが、彼はやがて岩手城(垂井町)の城主竹中重門によって捕らえられ、京都の六条河原で斬首されている。

 この合戦で思わぬとばっちりを受けた人もいた。後に東本願寺の初代法主となった教如上人がそれ。上人は10数人の従者とともに関東へ下っていたが、その帰り、美濃まで来たとき、まさに合戦が始まろうとしていた。

 上人は家康と懇意だったため石田三成の追手に追われ、村人らに助けられて国見峠近くの「鉈の岩屋」というところに身を隠した。戦いは家康の勝利により無事京都へ帰ることができたが、そのとき受けた村人らの支援に感謝して自画像を贈っている。村ではいまも「五日講」と称して毎月八つの寺で法要が営まれているほか、村人の捧げる粗食で露命をつないだという「鉈の岩屋」も峠付近に残されているとのことである。

 

人気、薬草風呂と薬膳料理
特産の薬草で“夢おこし”

 紹介が遅れてしまったが、この村には“薬草の里”という、もう一つの顔がある。それは「さざれ石公園」の休憩所でも売られていたし、「長者の里」のアトリエでは薬草を使った染め物まで行われていた。また、昨夜泊まった宿では薬草のいっぱい入った風呂で歓待された。

 よく知られているように、伊吹山は薬草の宝庫である。村では古くからこれを暮らしに利用し、あるいはまた、遠くまで出荷して生計の足しにしてきた。特に、数種類の薬草を混ぜ合わせた「伊吹百草」はお茶と並んでこの村の特産品だったそうである。

 平成9年、村の中心部の粕川沿いに、こんな薬草を生かした楽しい施設ができた。村のシンボルである森と元気もりもりの「モリ」とをかけ合わせた「かすがモリモリ村」がそれである。「虹のかけ橋」と名付けられた橋を渡ると、トウキやシャクナゲ、ツリガネニンジン、ギョウジャニンニクなど、様々な薬草を植えた「薬草園」があり、その向こうには風呂やレストランなどの入った「リフレッシュ館」もあった。

 風呂のドアを開けると薬草特有の香りがぷーんと漂ってきた。中は思っていた以上のにぎわいぶりである。湯舟に首までつかってじっーとしていると、薬草が体のしんにまで効いてくるようだ。

 「毎日のように来るんで、肌はすべすべじゃよ。この年になっても、まったく医者知らずでな。当初の予想をはるかに上回る人気だそうで、いいものができたとみんなが喜んどるよ」

 隣り合わせた村人の一人は自慢げにこう話してくれた。村外からわざわざこの風呂に入りにくる客も多いらしく、昨日訪れた「長者の里」とは好対照を見せていた。湯舟に身を沈めながら、ここへ来る客足を何とかあそこまで延ばせないのもか、とまたまた考え込んでしまった。

 風呂から出れば、レストランで薬膳料理がお待ちかね。これまた薬草をふんだんに使ったメニューが用意されており、それぞれの体調に合わせて料理を選ぶこともできる。例えば、肝臓が心配な人には肝機能によいとされる食材を使った「貝月膳」、胃腸の弱い人には「長者膳」といったあんばい。なるほど、料理と風呂を楽しめば、体の内と外からダブルでリフレッシュされてきそうな感じだった。

 

[情報]春日村役場
〒503−2502岐阜県揖斐郡春日村六合3080
TEL0585−57−2111

 

 

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