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静岡県小山町

群青の空に霊峰富士の雄姿 金太郎伝説ゆかりの地を歩く

金太郎はわが町のヒーロー
伝説と現実が巧みに同居

 さすがは金太郎の町、小山町である。商店街に入ると、金太郎をあしらった看板がずらりと並んでいた。その目抜き通りを過ぎ、まずは金時神社のある金時公園へ--。

 神社は公園の奥にあった。入口には大きなマサカリの作り物があり、池にはコイが悠々と泳いでいた。祭神の坂田金時は子供の守り神だそうで、じっくり眺めていると社殿の朱塗りも金時カラーに思えてくる。

 金時はここで育ったとされ、神社はそのゆかりで昭和9年に創建されている。かたわらの案内板に「中島(町内)の彫物師十兵衛の娘八重桐は京へ上り、やがて大宮人坂田蔵人と結ばれて懐妊、故郷に帰って生む」とある。そして天延4年(976)源頼光と対面、正暦元年(990)大江山の酒呑童子を退治、寛弘7年(1010)55歳で没、と。童謡などで知られた元気者の金時だが、筆者とさほど変わらぬ年齢で亡くなっていたわけか。


好天のときの金時山からの眺め
好天のときの金時山からの眺め
 町は金時のふるさとだけに、あちこちに史跡が点在していた。爪で地蔵の顔を彫ったと言われる「爪地蔵」、クマと相撲を取るなどして遊んだ「金時山」、母八重桐が安産を祈った「遊女の滝」や源頼光と出会った「対面の滝」など。伝説と現実が巧みに入り交じり、訪れた者をほのぼのとした気持ちにさせてくれる。

 そういえば、鯉幟に染め抜かれた金太郎の由来も、ここへ来て初めて分かった。金太郎は沼子の池で大きなヒゴイを見つけ、飛びつくとコイは空高くはね上がった。鯉幟の絵は捕まえるその勇姿だったわけだが、ゆかりの池はいまショウブの名所として人々に親しまれている。

 町名は「小山」と書いて「おやま」と読む。一般にはあまり馴染みのない名前かもしれないが、金時誕生の地がまさにここなのだ。東名高速を走るときには足柄サービスエリアで一休みし、周囲の景色を楽しみながら金太郎伝説に思いを馳せてもらいたいものだ。

 

歌でも詠むか、足柄の関
関東と関西の分かれ目

 くねくねした山道を伝い、やっとのことで足柄峠に着いた。いまにも雨が降り出しそうな空模様なのに、こちらは観光客で大層なにぎわいぶり。車を捨てて新羅三郎義光が笛の奥義を伝授したという「吹笙之石」や弘法大師が勧請した「足柄山聖天堂」を見て、足柄山の関所跡へ--。

 関所の入口部分が古道脇に復元されていた。旅人が手をついて通行手形を差し出したという「おじぎ石」や関所破りなどの犯罪者を処刑した「首供養塚」もあった。しかし、他にこれといった施設があるわけでもないのに、これだけの人を引き付けるとは一体どこに魅力があるのか。

 関所は昌泰2年(899)に置かれている。『常陸風土記』にはこの関を境に「東は関東、西は関西」と称したとある。鎌倉時代に入ると箱根越えが一般化し、足柄の関所は自然と廃れていったらしい。

 ここで女性ばかりの吟行グループに出会った。あたりは『万葉集』や『古今和歌集』などにも詠まれた歌の名所。ある年輩のご婦人は「下の句がどうもねえ」とつぶやきながら、先ほどからしきりに首をひねっているのだった。

 関所脇にあった小道を上ると「万葉の古道」の看板。遊歩道は足柄城の城跡に設けられており、やがて本丸、二之丸跡に出た。この二つの廓は公園になっており、堀跡や土橋跡などの遺構も比較的よく残されていた。

 公園からは目の前に富士の大パノラマが望めるそうだが、曇天の今日はあいにく影も形もない。すぐ左手の山が標高1213メートル、箱根外輪山で最高峰の金時山。こちらも頂上部分には雲がかかり、せっかくの眺望がうらめしく思えてくるのだった。

 

ついに微笑んだ、日本一の山
小富士からの眺めも格別

 小山町へ来ながら、富士の姿が拝めないとは--。「たとえ雰囲気だけでも」と翌日、須走口(すばしりぐち)5合目へ車を走らせた。途中、快適だった登山道「ふじあざみライン」も3、4合目あたりから急坂に変わり、車のエンジンが苦しそうに悲鳴を上げる。

 5合目は黄葉が見事だった。山頂は雲におおわれて見えないが、刻々と変化する雲の動きが面白い。そして、どこから湧き出してきたのか、一瞬にしてあたりを乳白色につつみ込むのだった。

 山小屋で少し早めの昼食をとった。明るくなった日差しに誘われて外へ出ると、それまでとはうって変わり、頭上にひときわ大きな太陽が輝いていた。居合わせた観光客たちの間からは「わあ、きれい」「来たかいがあった」と歓声が上がった。

 眼前には山頂がくっきりと見えた。黒い山肌に群青色の空。それまで意地悪なと思っていた雲はいつしか消え、それでも執拗にまとわり着いているひとにぎりの雲も、いまはかえって景色を引き立たせる小道具として効果的ですらある。

 しばらく大迫力の富士を堪能した後、今度は水平移動して小富士へ。樹林の中で時々見かけるナナカマドの赤さがひときわ鮮やか。小富士の頂上は一面が軽石状の小石におおわれ、賽の河原もかくや?と思われる不思議な光景だった。

 ここからの眺めもまたよかった。見上げれば抜けるような青空をバックにして富士の勇姿があり、眼下には緑の裾野が広がり、そして小山町の町並みや山中湖、さらには丹沢の山々も見渡せた。帰りを急がせるかのようにまたまた曇が湧き始め、それだけにひとときの晴れ間はこの日訪れた人たちに最高のプレゼントとなった。

 

富士スピードウエイのある町
富士浅間神社、森の中にひっそり

 ふもとの冨士浅間神社に参拝した。この神社は須走口登山道の守護神で、夏山シーズンには安全を祈願する登山者でにぎわったはず。延暦21年(802)に富士山が噴火しており、ここで鎮火の祭事をしたのが創建のきっかけになったとか。

 門前に立派な狛犬があったが、何と台座は溶岩を型取って造られていた。社殿は古木の茂る森の中にあり、祭神の木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)が花咲じいさんの昔話と結び付けられたのか、賽銭箱には五弁の桜の花が描かれていた。境内には富士講の講社碑や灯篭が林立、隆盛を極めたかつての富士信仰がしのばれてくる。

 帰り際、役場に立ち寄った。富士を楽しめたからいいようなものの、不幸にして雨などにたたられたらどうするか。産業観光課の若い職員は露天風呂もある「わさび平温泉」や日本画家山本丘人の作品を納めた夢呂土美術館などをあげ、こうおっしゃるのだった。

 「人口2万3000人ほどの町ですが、年間訪れる観光客は280万人にも達しています。中でも富士スピードウエイと富士霊園の二つが圧倒的で、富士の登山者はシーズンが限られることもあって7万人ほど。もちろん富士はわが町最大の観光資源ではありますが、町内には他に見どころも多く、雨には雨なりの楽しみ方がありますよ」

 名刺には菜の花をバックに、雪をいだいた富士の写真が印刷されていた。菜の花が「町の花」でもある。そして富士山は天気さえよければどこからでも眺められ、とりわけ足柄峠や金時山からの眺望は自慢の一つにもなっている。

 御殿場のインターへ向かう途中、突然、富士山が雄大な姿を現した。平地から初めて見る光景だったが、それが幻だったかと思えるほど、またたく間のうちに消えてしまった。そして旅から帰って1週間後、新聞の1面は5合目まで初冠雪した美しい富士の写真で飾られていた。

 

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