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岐阜県海津町

水との闘いを物語る千本松原 花と緑に彩られた木曽三川公園

難敵に苦悶する薩摩隼人
値千金、タワーからの眺め

 東に木曽川と長良川、西に揖斐川。岐阜県海津町は木曽三川の寄り添うデルタ地帯にある。あたりは海抜1メートルにも満たない低湿地で、古くから水との闘いが繰り返されてきた。

 中でも最も有名なのが、宝暦3年(1753)の暮れ、幕府から薩摩藩に命じられた治水工事、いわゆる「宝暦治水」である。同藩は家老の平田靭負(ゆきえ)を総奉行に約1千人を派遣、工事に当たらせるが作業は困難を極めた。とりわけ長良川と揖斐川とを分離する、油島の締切堤は最大の難工事となった。

 ただでさえ財政難に苦しむ同藩は40万両という巨費を強いられ、おまけに幕府役人との間で感情的な対立まで加わった。一説によると、この工事で自決した者53人、病死した者32人を数えたとも伝えられている。指揮した家老の平田はこうした責任を取り、工事の検分を終えた5月末に自刃して果てた。


チューリップ祭りでにぎわう木曾三川公園
チューリップ祭りでにぎわう木曾三川公園
 その油島にある木曽三川公園のシンボル「治水タワー」に昇ってみた。薩摩隼人のそんな苦労も、いまでははるか昔のことか。展望台から眺める景色は底抜けに明るく、訪れた人たちの声もはずんでいる。

 「山が近いやんか」
 「濃尾平野もこうして見ると意外に狭いもんやねえ」

 地上65メートル、360度の大パノラマ。関西弁の若い女性グループははしゃいでいた。ここからは日本アルプスや伊勢湾も手に取るように眺められ、足元には3本の大河が悠々と流れているのだった。

 

「感謝の言葉もない」と地元民
女性神主、神前にふるさとの水

 すぐそばにある治水神社へ。これは昭和13年になって創建されたもので、平田靭負をはじめ80余人の犠牲者を祭っている。タワーのある公園とは道一本隔てているだけなのに、こちらへ足を運ぶ人は少ない。

 参拝を終えてきびすを返すと、脇に供えられているものに気付いた。ベットボトルに入れられた錦江湾の水、桜島の溶岩と火山灰、それに築堤に使われた蛇カゴの模型。それらはマツカサを敷き詰めた上に並べられていたが、工事で亡くなった人たちにふるさと薩摩を伝えようというのだろうか。

 境内を散策中に、一人のおばあさんに出会った。その人、山内萬寿さんは3代目の祢宜さんだそうで、「もう50年もお守りをさせてもらっている」とのこと。それにしても、女性の神主さんというのはめずらしい。

 「薩摩にはこんな大きな川はない。あのときのご苦労を思うと、いくら感謝してもしすぎるということはありません。桜島も見たかったでしょう、焼酎も口にしたかったでしょう。そんな思いを察してお供えさせていただいております」

 神社は洪水から救われた海津郡一帯の人たちにより支えられているそうだ。ときには鹿児島からはるばる参拝に訪れる人もあるらしい。そんなとき、山内さんは参道を歩く足の音や神前で打つ柏手の音などで、遠来の客であることが分かってしまうそうである。

 神社から南の方へ延びる松林が千本松原である。林の中を縫うようにして、一本の遊歩道が作られていた。両側に林立する巨木は工事に当たった薩摩藩士たちが涙ながらに植えた、その小さな苗木がいまに育ったものだった。

 

水郷の里、明るくのどか
釣り人ら、無心の境地

 海津町は治水の行き届いたいまでも、水郷の町であることに変わりはない。川が町内を縦横に走り、あちこちに池が点在していた。かつて洪水に悩まされた地も、いまは豊かな穀倉地帯に変わっている。

 中江川に沿うようにして、町の中心部へ移動した。つつじ池や朝日池は釣り堀のメッカだそうで、太公望たちがうららかな春の光を全身に浴びながら、のんびりと釣り糸を垂れている。また、緑の芽吹いた川岸でも釣り人たちの姿をよく見かけた。

 右岸が柳の並木道、左岸は桜が並木道。新緑に誘われて川辺を歩いてみたくなり、近くの空き地に車を捨てることにした。土手にはタンポポが可憐な花を咲かせ、川面では沢山のカモが羽根を休めている。

 大江川の方に回ってみると、小舟で魚を取るお年寄りの姿を見かけた。「取れますか」と声をかけてみたら、わざわざ岸辺まで舟を寄せてくれた。舟の中にはコイやフナがいっぱいである。

 「こいつが今日一番の大物だよ。刺身にしてもうまいよ。1週間ほど前にはな、この倍くらいのものも上がった」

 老人は1メートル近い大きなコイを重そうに上げて見せ、カメラに笑顔で納まってくれた。7、8年ものだそうで、重さは8キロくらいあるとか。コイやフナ、ウナギなど川魚は町の名物となっているが、その豊かさに川の恵みを改めて教えられたようでもあった。

 

好奇心くすぐる歴民資料館
町の名物湯「100円温泉」

 ここは役場に近い歴史民俗資料館。偉容を誇る建物は尾張藩の分家、高須松平家の城館をモデルにして造られたとか。庭には水との闘いの中で発達した、この地方独特の水田“堀田”も再現されていた。

 館内に入ると1階中央に巨大な輪中の地形図があり、音と映像も交えて海津町のかつての様子を解説してくれていた。順路に従って進むにつれ、宝暦治水や明治期に行われたオランダ人技師デ・レーケによる分流工事の様子、さらには輪中での暮らしや文化などが紹介されていく。そして、3階には高須藩の御殿の一部が復元されており、とりわけ能舞台と50畳の大広間の造りは見事なものだった。

 高須は3万石の小藩ながら、多くの名君を出している。本家の7代宗春が失脚した一大事の後、高須藩主が跡を継いでお家断絶の危機をまぬがれた。また、幕末には3人の兄弟がそれぞれ尾張、桑名、会津の藩主に就任、激動の歴史に大きな彩りを添えることとなった。

 隣接する南濃町の行基寺が菩提寺と聞き、そちらにも足を延ばしてみることにした。寺は見晴らしのよい養老山脈の中腹にあり、万一のとき、ここを城に当てる考えもあったらしい。境内の奥まったところに、歴代藩主らの墓が建ち並んでいた。

 参拝しての帰り、「100円温泉」で親しまれている海津温泉を訪ねた。この温泉は庶民的なのがいい。首まで湯舟に浸かりながら、今日一日の見たこと、聞いたことを振り返ってみた。

 そして、ふと思った。宝暦治水のときは高須の3代藩主が尾張藩主に就任していたときだ。幕府が薩摩に命じた大工事は、ひょっとすると御三家筆頭・尾張藩の意向を受けたものではなかったか、と。

 

[情報]海津町役場
〒503-0654 岐阜県海津郡海津町高須515
TEL:0584-53-1111

 

 

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