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長野県泰阜村

ユニーク、村民の育てた学校美術館 伊那山地の南に、清冽な秘境

学校を選んだのが密かな誇り
ユニークな施設、次々と

 岐阜の人が嘆いていた、「出張して領収書をもらうとき、社名に付く岐阜の字を正確に書ける人はまずいない」と。確かに「岐」は分岐点の「岐」でまだいいとしても、「阜」はちょっと説明の仕様がない。その人は「教師の師の右側の下に漢字の十を書くと説明するんですが、すると妙に細長い字になってしまいましてね」と言って苦笑したものだ。

 泰阜村はたった八画でありながら、もっともなじみの薄いその文字を村名に持つ。恥ずかしい話だが、筆者も最初にこれを見たとき「やすおか」とは読めなかった。辞書を引くと「阜」は訓で「おか」と読み、山側のけわしい地形を表した象形文字、とある。

 村は伊那山地の南側に位置し、ところどころに小さな盆地を造りながら、天竜川の渓谷に傾斜していた。北の“玄関”唐傘地区が天竜ライン下りの終点になっており、川に寄り沿うようにしてJR飯田線が村内を走っている。道路脇に車をとめて周りの景色に見とれていると、足下では一艘の小舟がゆっくりと下ってくるところだった。

 ふるさと創生資金のおかげもあり、南信地方には温泉施設が多い。飯田から国道151号を走ってきたが、そうした案内板をあちこちで見かけた。役場へ観光案内をもらいに立ち寄った際、このことについてもちょっと聞いてみた。

 応対して下さった振興課の小林清美さんは「村内でも温泉の出ることは分かっています。1億4、5000万をもあれば掘ることは掘れますが、充実した関連施設を造るとなるとその何倍もの資金が必要になりますからね」と口ごもられた。そして、村は周辺町村とは別の道を選んだのだった。

 泰阜村には温泉こそないが、ユニークな施設が誕生している。村の中央部に中学校を新設、南北二つあった学校を統合した。パターゴルフやアスレチック、ジャンボボブスレーなども楽しめる自然公園「あいパーク」を造った。休日ともなると「スポーツランド泰阜」へはモトクロスファンが静岡や名古屋などからもやってくる。

 万古(まんこ)渓谷へ行く途中、小林さんが「この地方では随一」と太鼓判を押された統合中学校があった。山を切り開いて造ったという、真新しいモダンな校舎。大きな体育館や広い運動場もこの村の将来を背負って立つ生徒たちにとっては絶好のプレゼントとなったことだろう。

 

これぞ秘境、万古渓谷
入るには準備と覚悟が

 万古渓谷は天竜川の支流、万古川の上流にある。いただいたパンフレットには「大自然の芸術」「信州の代表的秘境」とあり、いよいよ期待が高まってくる。しかし、そこへ行くまでの道は心細くなるほどの山道が続いた。


万古渓谷のほんの入口
万古渓谷のほんの入口
 やっとのことで入口にあるキャンプ場に到着、赤い釣り橋を渡って渓谷に分け入った。ここからは奇岩や深淵、滝、洞窟などが次々と展開し、それらの一つ一つには「猿岩」「オシドリ岩」「魚止めの滝」「犬返し」などの名前がぎっしり書き込まれている。足下を流れるせせらぎはあくまでも清く、森では野鳥やセミがしきりにないていた。

 ところがまだ歩き出したばかりだというのに、突然、道が消えてしまった。行く手を岩と渓流にはばまれ、これ以上は進もうにも進めない。こうなっては左手の山を登って回り込むより他に方法はなさそうだ。

 「なるほど、これは聞きしに優る秘境だよな。自然がそのままにあるとはこういうことだったのか」

 笹を握り締め木にしがみつきながら、急斜面を登ることおよそ30分。それにしても、よくもこんな難コースを歩かせるとは。下を見ると渓谷ははるか下を流れ、見上げれば岩山がおおいかぶさってくるようだ。

 さすがに進退きわまり、あきらめざるを得なかった。どう見ても登れそうな山ではない。結局、何一つ見ることもなく、おずおずと引き上げたのだった。

 帰り道、やっと出会った村人に尋ねてみた。すると「あそこは沢を歩くしかない」と言われ、「そんな格好じゃとても無理」と笑われてしまった。道なき道を岩にしがみつき、鎖をたぐり寄せながら進むコースもあるとか。どうやら万古渓谷は半端な秘境ではなさそうである。

 

知る人ぞ知る、山里の珍味
泰阜村の隠れた名物「ゆべし」「柿巻」

 道路端に「ゆべし」の看板を見つけて車をとめた。ゆべしは泰阜村ならではの珍味。ゆずの実に信州みそや米の粉、クルミ、ゴマ、砂糖などを詰め込み、自然乾燥させた“ふるさとの味”である。

 その一切れをほおばると、ゆずの香りとほろ苦い味が口いっぱいに広がった。独特の風味に魅せられ、クセになる人も多いとか。お茶やお酒の友として喜ばれ、伊那谷のおみやげとして観光客にも人気がある。

 「もともとはこの地方の保存食としてありましたが、昔のものはみその味がもっと強かったですね。ちょっと改良しましたら、思わぬ人気が出ましてね、いくつかの賞までいただきました。酒好きの方にはウイスキーのつまみにいいみたいですね」

 こうおっしゃるのは名物の生みの親、松下良子さん。かたわらでご主人の文夫さんが「五百石ゆべし」のいわれについて「この地が天領でちょうど500石でしたからね」と。年貢は「くれ木」(板材)で幕府に納付されており、その完納を祝って行われた五百石祭り(くれ木踊り)もいまに伝えられているそうである。

 ゆべしの製造は11月から3月ごろまで。すべてが手作りであり、作るのは年間1万5000個ほど。松下さんの裏庭には大きなゆずの木があり、村ではゆずも特産の一つになっている。

 訪れたとき、ご夫妻は「柿巻」を作っておられた。こちらはゆべしを市田柿でくるんだもので、これまた良子さんのアイデア商品だとか。ゆべしに干し柿の甘みが加わり、お茶請けにぴったりの感じだった。

 

山の学校美術館、さわやかに
「貧しくとも貪しない」

 「すみません、いまはこっちにあるんですよ。どうぞ、どうぞ」

 村立美術館を訪ねたら、すぐ前の小学校の方へ案内された。その名も学校美術館は〃空き家〃となった北中学校の旧校舎にあった。ついこの前までは小中学校がいっしょだった。

 「学校の中に美術館があるのがめずらしいらしく、よくマスコミなどにも取り上げられます。これはここにあります吉川宗一校長が貧しくとも貪しないことを願い、子供たちの情操教育のために発案されたと聞いています。確かスタートは昭和5年のことでした」

 解説して下さったのは北小学校教頭の古越豊寿先生。はいったところに提唱者の吉川先生をはじめ、功労者たちの顔写真がも掲げられていた。そうした経緯をお聞きしていると、温泉掘削よりも学校建設を選んだ背景もそんなところにあったのかと思えてくる。

 館内には日本画や洋画、彫刻、書などが雑然と並べられていた。PTAが中心となり、あるいは同窓生が資金を出し合いコツコツと集め続けてきたものだ。いまではそうした作品が230点を越し、美術館の名称は決して看板だけのものではなかった。

 訪れたとき、ちょうど昼休みだった。館内を撮影していると、元気な子供たちがカメラの前にどっと集まってきた。教頭先生はそんなそんな光景に「都会の子たちとはちょっと違うでしょ」と目を細められるのだった。

 

[情報]泰阜村役場
〒399-1801 長野県下伊那郡泰阜村3236-1
TEL:0260-26-2111

 

 

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