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岐阜県蛭川村

恵那峡観光、こちらからも 石の彫刻が歓迎する“石の里”

抜群、大橋からの眺め
わが国初、大井ダム

 青く澄んだ湖面、新緑に染まる山々。木曽川の流れをせき止め、延長12キロにも及ぶ人造湖・恵那峡。木曽川に名勝は数々あるが、ここもまた代表的な景勝地の一つだ。

 蛭川村に入る恵那峡大橋は格好のビューポイント。鏡のような湖面に遊覧船が白い航跡を残してさかのぼってゆく。下流遠くには大井ダムの堰堤も見える。

 確か恵那峡と名付けたのは明治の地理学者・志賀重昴(しげたか)だったか。彼を感動させた大峡谷は湖底に沈んでしまったが、それでも両岸に点在する奇岩や怪石は往時の面影をしのばせてくれる。そんな岩陰などで咲く朱色のヤマツツジがさわやかな光景に一層の彩りを添えていた。

 先ごろ、レジャー施設「恵那峡ランド」は休園に追い込まれた。対岸の恵那市と空中で結んだ球形のロープウェイもいまはない。動かない大観覧車はどこかさびしげだが、これに代わる新たな村おこしに期待したいものだ。

 大河をせき止める大井ダムは大正10年に着工、同13年に完成したわが国最初のダム式発電所。この難事業を成し遂げたのが福沢諭吉の養子で大同電力の社長だった福沢桃介であり、彼は女優の川上貞奴を伴ってしばしばこの地を視察に訪れたとか。かつてNHKで放送された大河ドラマ「春の波涛」が思い出されてくる。

 高さ55メートルの堰堤からの眺めも、またなかなかのものだった。ダムでせき止められた下流の両岸には浸食された花崗岩が延々と連なっている。そんな光景を眺めていると、往時の大峡谷も一層リアルに夢想されてくる。

 堰堤を通り抜けて恵那市側へも足を延ばしてみた。こちらは表側に当たるだけに、多くの観光客でにぎわっている。大井ダムと恵那峡大橋とを周回する遊歩道を作り、こちらの客を引っぱり込む方策も考えてみる必要があるのではないか。

 

紅岩に哀れなお姫様伝説
全国屈指の“石の村”

 恵那峡大橋に差しかかると、正面の山の山頂付近にある、赤みをおびた大きな岩が目に飛び込んでくる。村のシンボルにもなっている紅岩だ。昔、中山道を行き交う旅人たちも、この岩が見えてくると大井(恵那市)の宿も近いとほっとしたそうである。

 天佑稲荷の横を通って山の中へ。およそ20分ほどで紅岩の前に出た。高さ27メートル、幅18メートルの巨大な花崗岩のかたまり。表面を赤くおおっているのはコケの一種で、現在も少しずつ広がり、色も天候によって微妙に変化するという。

 この不思議な岩にはいつしか伝説も生まれた。戦国時代のころ、落ち武者たちがこの地に隠れ住んだが、次々と討ち取られて残されたのは千鶴姫というお姫様ただ一人。嘆き悲しんだ姫は岩の上で自刃して果て、岩が赤みをおびているのはその血のせいだとか。

 村は花崗岩を産出し“ひるかわ御影石”の名称もあるほど。福島県の石川、滋賀県の田の上と並び、わが国の三大鉱物産地の一つに数えられている。村内を回っていると石材業者をよく見かけ、また、荒々しい光景の石切り場にも出くわすこととなった。

 ユニークな石の博物館「博石館」を運営しているのもそんな石材業者の一つ。石のピラミッドを造り、世界中からめずらしい石を集め、岩風呂も楽しめれば、地ビールも飲める。スケールの大きな施設はすっかり村の名所になった感じである。

 石の村だけに石のオブジェが道端の要所要所におしげもなく置かれている。護岸の石や民家の石垣、門柱などにもぜいたくな造りが目立つ。電話ボックスや郵便箱まで石でできたものがあり、さすがは“石の村”といった感じである。

 

人気者、花咲かじいさん
シバザクラ咲き誇る

 「まあ、きれい。こんなにもたくさんの花が」
 「すごい人ね。恵那峡よりもこっちの方がにぎわってるわよ」

 同村棚田地区の青山豊一さん宅前は時ならぬ人だかり。狭い農道を次から次へと車が乗り入れてくる。多い日には1日に700人から800人も訪れるとか。

 家の前の畑は一面のシバザクラ。紅色、白色、淡い青色など、色とりどりのかれんな花がいまを盛りと咲き誇っている。奥さんが趣味でやり始めたのを定年後に引き継ぎ、1200平方メートルにまで広げたとか。


咲き誇るシバザクラの広場
咲き誇るシバザクラの広場
 この花は庭先や石垣の上などでしばしば見かけたりするが、これほどまとまって咲いていると見事と言う他ない。訪れた人たちはお花畑の中の小道を散策したり、記念に写真を撮り合ったり。多くの来訪者がいながら、入場料も駐車料も求められない。

 「なかには銭を取れと言う人もいるけど、そうすると駐車場やトイレなどの設備も作らなならん。花の見ごろは4月の約1カ月だけだしね。わしはもう年なもんで、来年もこうしてみんなに見てもらえるかどうかも分からん」

 青山さんは「喜んでもらえるのがうれしい」とあっさりしたもの。美しい花を咲かせるには施肥や除草、雪よけなど、一年中手入れを欠かせないとか。こうして見事な花を咲かせるにはそれなりにご苦労も多かろう。

 かたわらで興味深げに話を聞いていたのは吟行で訪れていたグループ。そのうちの一人は「これだけ人気が出てくると、将来的には村や観光協会などがやらなくては」と口をはさんできた。なるほど、個人のボランティアではいずれ限界も出てくるだろうし、人気のあるところを見ると新名所に大化けする可能性だってないわけではない。

 

南朝伝説、あちこちに
真っ二つ、お地蔵さん哀れ

 村の北方、中切地区にある安弘見(あびろみ)神社。勾配は低いが長く続く石段が印象的だ。神仏習合のころは牛頭(ごず)天王社と称していたが、明治2年、分離に伴って現在の社名に改められている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。

 この村にはあちこちに南朝伝説が残されている。信濃にあった後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王はその子・●良(ただなが)親王を木曽川沿いのこの地に派遣、南朝方の再起を促した。先に見てきた“蛙薬師”高徳寺も●良親王から賜った薬師仏を本尊に創建された寺だった。

 神社には派手な衣装を身につけて杵を打ち合わせながら踊る「杵振り踊り」という神事芸能も伝えられている。いまでは毎年4月16日直近の日曜日に奉納されているが、もとはと言えば、南朝方の落ち武者が昔をしのんで剣を手に踊ったのに始まるとか。剣はいつごろからか杵に代えられ、五穀豊穣や家内安全を祈る祭りとなった。

 ●良親王はこの村で亡くなったと伝えられている。神社から車で2、3分奥へ行ったところにある古びた墓は「親王墓」と呼ばれていた。近くの白山神社内には南朝神社もあり、南朝の伝説を色濃く残す村と言える。

 方向を転じた安弘見神社の南方には念仏堂がひっそりとたたずんでいた。小堂の前には無数の石仏が一カ所に集めて祭られている。よく見るとそれらの多くは割られたり、打ち砕かれたりしていた。

 ここ苗木藩では廃仏毀釈の嵐が最も強く吹き荒れた。寺は一寺も残さず破壊され、住職はことごとく還俗(げんぞく)させられた。無惨に打ち砕かれた石仏を見ていると当時の激しさが伝わってくるようだが、そういえば定徳寺も堂宇を失った後に再興されたものだった。

 帰りに河畔に建つ村の保養施設「紅岩山荘」に立ち寄った。ラジウム鉱泉ながら村にはこの紅岩温泉をはじめ、東山温泉や岩寿温泉もある。展望浴場からは眼下に恵那峡が見下ろせ、心までさっぱりと洗われる思いだった。

 

[情報]蛭川村役場
〒509-8392 岐阜県恵那郡蛭川村鳩吹区2178-8
TEL:0573-45-2211

 

 

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