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愛知県津島市

津島のシンボル、“天王さん”津島神社 津島衆の意気込みを、いまこそ


歴史と信仰の息づく町
3大川祭りの一つ、津島の天王祭り


日本三大川祭りの一つ、津島の天王祭り
日本三大川祭りの一つ、津島の天王祭り

 津島と言えば真っ先に浮かぶのが津島神社。祭りが好きで各地に足を運ぶことが多いが、ずば抜けたスケールで展開される津島の天王祭りにはいつもながら感服させられてしまう。かつてここがいかに富裕の地であったか、この祭り一つからもしのばれてくる。

 町は津島神社の門前町として発達し、後には佐屋路脇の宿場としてもにぎわった。そして、ここはまた桑名へ出る川湊の町として早くから繁栄していた。中でも中世、武士と商人とを兼ねた津島衆らが活躍、当時“自由都市”としてその名を知られた堺にも似た独特の町を造り出してきたのだった。

 駐車場に車をとめ、まずは神社に参拝する。老樹がうっそうと茂る中、朱塗りの本殿や楼門、南門が目に鮮やか。この日は平日のため人影はまばらだったが、土日や祝祭日ともなれば多くの参拝客でにぎわうはずである。

 天王祭りのシンボルが夏の夜を彩る幻想的な巻きわら船とするなら、もう一つの祭り、津島の秋祭りは威勢よく町へ繰り出す山車からくりだ。前者が津島衆の生み出した華麗な祭り、後者は町方衆の心意気を示す威勢のよい祭りと言えようか。

 以前、ある町内の山車を引かせてもらったことがある。祭り当日は市内から13両の山車が繰り出し、それに3台の石取車も合流して大鳥居をくぐり、ここ楼門前の広場に集まってくる。玉砂利を踏みしめながらそのときの熱狂した光景を思い浮かべると、鐘や太鼓の音、にぎやかな掛け声やお囃子までが耳元に響いてくるようでもあった。

 

カーブが描くユニークな景観
本町筋にかつての風情をしのぶ

 神社から名鉄「津島」駅まで、真っ直ぐ東へ延びた広い道路がこの町一番の繁華街「天王通」である。その中ほどを南北に小道が横切っているが、これが「巡見街道」とも言われたかつてのメインストリート「本町筋」。現在の津島は町の中心軸がちょうど90度回転したような形になっている。

 旧街道本町筋に沿って米町、米之座町、本町、池麩町、今市場、筏場町、舟戸町など、かつての商工業者や水運関係者たちの住んでいた町が続く。この道を歩いていて感じるのは、まるで記号の「〜」のように、道が大きくゆるやかにカーブしていることだ。この曲がりくねった感じが妙に落ち着きと安らぎを与えており、町全体になかなか味わい深い風情を醸し出している。

 道の両側に格子戸を持つ2階建ての家々が並んでいる。表通りから一歩奥へ入った路地にも板塀や長屋などが見られ、下町らしい光景が見え隠れする。そして、町角のところどころには津島詣での人たちを案内した道標があったり、あるいは古い共同の井戸跡が残されていたりもする。

 神社や寺院が多いのも、津島の町の特徴の一つである。南朝の悲話を伝える良王神社、“津島御坊”とも言われる成信坊、加藤清正ゆかりの清正公社や妙延寺など。本町筋や天王通かいわいだけでも30を超す寺社があるそうだ。

 しかし、町の真ん中を通り抜ける街道だけに、往時の面影を追うのは次第に難しくなってきた。あちこちで建て替えや改築が進み、そうでもない建物は老朽化が目立つ。市ではこうした町家建築の実態調査なども行っているようだが、町並みの積極的な保存となるとそこに住む人たちの思惑もあって、なかなか手をつけかねるのが実状のようだ。

 津島は人口約6万3000人、どこにでもありそうな、ごく普通の町である。それでいながら、あれほど豪勢な祭りが維持されてきたという事実は、考えてみればすごいことだ。この町のどこに、そのようなパワーとエネルギーが秘められているのだろうか。

 

憩いのオアシス、天王川公園
「東洋一」の規模、公園の藤棚

 町を歩いていると目に付くのがコイやドジョウ、ナマズなどの川魚を売る店と、それらを使った料理店。津島の周辺部は水郷地帯として知られており、店のメニューにもモロコの押しずしやナマズの蒲焼き、コイのあらいなどが並んでいる。

 造り酒屋の前を通って小さな坂を上ると天王川公園に出た。天王川はいま池となっているが、かつては佐屋川に合流して伊勢湾へ通じていた。ここには舟番所も置かれ、多くの舟が出入りする川の湊でもあった。

 祭りの巻きわら舟はこの池を舞台に繰り広げられるが、祭り以外にも公園が人で埋まるときがある。それは毎年5月のゴールデンウィークを中心に開かれる藤祭りのときで、「東洋一」との呼び声も高い藤棚が大勢の見物客らを集める。祭りの最中には市内のあちこちで山車の展示やからくりの実演、文化財の公開など、さまざまなイベントも組まれて大いににぎわいを見せる。

 公園には津島の生んだ世界的な詩人ヨネ野口の像があった。毛織物の一大産地に育て上げた片岡春吉の像もある。どこかの幼稚園児が遠足に来ているのか、園内の遊園地や広場からはかわいい歓声が風に乗って流れてきた。

 いささか歩き疲れて、近くのベンチに腰を下ろした。酒蔵で買い求めた大吟醸の小びんがバッグにあったのを思い出し、こんなところで早くも封を切ることになってしまった。こうして極上の酒を口にしながら、独りぼんやりしているのもなかなかいいものだ。

 真紅のツツジが咲き乱れ、新緑が目にまぶしい。そういえば、池のほとりにはスイレンが可憐な花を咲かせている。はるかかなたの堤防上に望む松の並木も、こうしてじっくり観察すればなかなか風情があるではないか。

 

信長も秀吉も歩いた町
先人に見習って、もっと元気に

 一服した後、御旅所前を通って“振り出し”の津島神社へ−−。堀田邸があり、大橋邸もある。いずれも津島衆ゆかりの旧家で、堀田邸は黒塀に囲まれてとりわけ壮大な構えでいまに残されてた。

 近くにあった勝幡(しょばた)城主織田信秀は、ここ津島を押さえることによって経済的な基礎を確立した。その子信長と斎藤道三の娘を見合わせたのが堀田道空その人であった。道空は美濃の斎藤氏にも仕えたと言われ、当時の津島衆の行動の広さがしのばれてくる。

 このあたりは「祢宜(ねぎ)町」の町名からも分かるように、津島神社の神主や御師(おし)たちの住んだところ。現在の堀田家は慶長5年(1600)に居住し、神社の神官からスタートしている。いまでは祢宜町らしい雰囲気は消えてしまったが、それでも町を歩いていると、それらしい方の表札もあるにはあった。

 日暮れにはまだまだ時間がある。近くの喫茶店でまた一休み。この町の見どころは中心部に集中しており、4、5時間も歩けば主なものは大体見ることができる。

 津島は古くから栄えてきた町だけに、歴史が至るところに転がっている。ここを訪れる人は参拝客や祭りの見物客を中心に年間200万を超すそうだが、もっと埋もれた歴史的遺産を見直し、観光客の誘致に努めるべきではないのか。喫茶店のご主人に「博物館もほしいですねえ」と水を向けると、「なかなか。懸案だった新しい図書館がやっとできたところですわ」との返事だった。

 かつての津島衆は意気盛んだった。だからあれほど立派な川祭りも残った。津島よ、海部郡の盟主たれ。

 

[情報]津島市役所
〒496−0044愛知県津島市立込町2−21
TEL0567−24−1111

 

 

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