マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
長野県清内路村 |
ぜいたくなほど、山や谷の景勝 秋の夜を焦がす、村人自作の花火
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歓声がこだまする自然園
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かつては関所も置かれていた清内路村 |
テニスやサッカーに興ずる若者がいた、釣りを楽しむ親子がいた、木陰でうたた寝している人がいた。園内には一周4キロの遊歩道があり、さらに足を延ばしたい向きには信濃路自然歩道へも出られる。ここへ来れば大自然のふところに抱かれ、それぞれがのびのびとした休日を過ごせそうである。
村は上下二つの集落から成り、ともに諏訪神社が祭られていた。いずれもありふれたたたずまいの神社だったが、秋祭りに奉納される花火の豪華さはこの地方でとりわけ有名らしい。祭りは上の諏訪神社が10月6日、下の諏訪神社が10月7、8日の両日だ。
この花火、村人が三河へ特産のタバコとお六櫛の行商に行き、その折に教わってきたと伝えられている。すでに260年も続いている伝統行事だそうで、花火の実施される日には数千人の観衆が詰め掛けて火と煙と音の饗宴に酔いしれる。ここの特徴は村人自身の手で行なわれていることで、その日に使われる花火も火薬製造の免許を取得した人たちが秘伝の技術で作り上げたものだ。
「こっちは諏訪様とおたけ様で二晩やった。いまは若い衆も会社勤めで花火は8日の一晩になってまったが、ほかじゃちょっと見れん仕掛け花火だ」
「ここの境内に3階建てのやぐらを三つ建て、花傘や己車、綱火や三国つう花火を出すんだけどよ、そりゃあ結構なもんだで。専門の花火師も舌を巻くほどだよ」
「大己車(たいしゃくま)は一番いいなあ。さしわたし15尺(直径約4、5メートル)もある円板に立派な龍の絵を書いてなあ、それが火の粉を撒き散らしながらぐるぐる回るんじゃ。まったく見事なもんだで」
「打ち上げ花火は仕掛けの合間に業者の作ったのを出すけど、音が谷間にこだましてよ、他の所のものとは一味も二味もちがうよ」
下の諏訪神社に居合わせた2人のお年寄は目を輝かせて説明してくださった。が、その素晴らしさはとても口では表現できそうにないと思われたのか、「こればっかりはな、実際に見てもらわんと」と言って互いに顔を見合わせて笑い合われるのだった。ちなみに、話に出た“おたけ様”は建神社というのが正式名称で、いまは諏訪神社に合祀されている神様だそうである。
トウモロコシを材料に、人形を作る名人がいると聞いた。桜井わかみさんがその人。この村は桜井姓と原姓がほとんどで、中でも桜井姓は全体の6割を占める。
“きび人形”と呼ばれるそれはトウモロコシの毛をシンに、皮でつつみ込んで頭部を作る素朴なものだった。それに布切れで作った着物を着せ、子供や孫たちのおもちゃ代わりとした。わかみさんもこの作り方をおばあさんから教わったそうだ。
「皮は一度ゆでてから干すと、こう白くきれいになるんや。この毛のことをこちらでは“じょろ”と言っとるがな、私はじょろの代わりに綿を使ってやってます。きれいな包装紙などがあると布の代わりに使ったりするけど、紙で作る衣装も味があっていいもんだに」
白く透けたような繊維質の顔はなかなか上品な仕上がりだ。「これに目鼻を書いたら」と言ったら、「ないからいいんですよ。どんな顔かと想像したくなるから」。実際に作るところを見せていただくことになったが、髪も島田や桃割、丸髷といろいろあってなかなか芸が細かい。
この人形を色紙に張り付けてみたら、部屋の飾り物になると好評だったとか。しゃれた言葉の一つでも書き、国道沿いの売店にでも置けば、村の名物になる!?
「いやあ、そこまでは考えたこともない。200体以上作ったけど、これで1銭ももうけたことはないよ。きれいな布切れや紙があると送ってきてくれる人がいるし、喜んでくれるから作ったものはみんな差しあげてるよ」
さすがこの村でも、きび人形を作れる人は少なくなってきたらしい。村では村民を対象に、公民館で人形教室を開くことも。先生として“教壇”に立つわかみさんはもっとも生き生きとした表情を見せるときでもある。
黒川をさかのぼった、飯田市との境界近くにある赤子が渕。深い森の中に、渓谷美が見事だ。岩をかんで水がごうごうと流れ、じっと見つめていると吸い込まれそうにも思えてくる。
ここには飯田落城にまつわる悲話が残る。赤子が渕の名も、このあたりで赤子のすすり泣きがすることから名付けられた。そんな不気味な話を思い浮かべると、一人でいるのが心細くもなってくる。
この村一番とも言える景勝地だが、途中に案内板は一つもなかった。道に迷ってやっとの思いで到着したのだったが、後で村人に聞くと「危険だから出していない」とのこと。それも一理あると妙に納得させられた。
いま来た川を少し下り、もう一つの支流小黒川へ。こちらには樹齢300年というミズナラの大木があった。たくましい幹は大地にどっしりと根を下ろし、いくつにも分かれた枝には青々とした葉を茂らせている。
根元には小さな祠が祭られていた。地元では“山の神のおおまき”と呼んでいるそうで、そのすぐ脇の谷川に架かる橋が大槙橋。右へ左へ、近くで遠くで――あちこち角度を変えて大木を仰ぎ見るのだった。
そんなことをしているうち、偶然見つけたのが橋の下にあったささやかな水飲み場。パイプからちょろちょろこぼれ落ちる水は、まるで岩からしみ出してきたかと思うほど透き通った冷たい水だった。一口含んで思わず「うまい!」と声を上げてしまったが、歩いてきた後だっただけに、そのおいしさは格別だった。
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