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三重県阿山町

古代ロマン漂わせる歴史の町 忍者の里で出会った農業の達人たち

花火も上がる陽夫多の祇園祭り
神社の境内に鐘つき堂が

 町へ入ると「伊賀牛」「伊賀豚」の看板が “歓迎”してくれた。阿山町は畜産業も盛んで、特にブタはその品質の高さを買われて県下随一の生産量と聞く。ここはまた「伊賀米」の産地としても知られ、新しい農業のあり方を実験中の注目の町でもある。

 まず最初に訪れたのが村の入口近くにある陽夫多神社。石製の鳥居をくぐると、広い境内の正面奥深くに古風な拝殿と社殿が望めた。かたわらの「由緒書」に「西暦538年、伊賀の国造が疫病退散を願って創建した」旨が記されている。

 神社は須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神とする式内社で「河合の天王さん」「河合の祇園さん」の名で親しまれているとか。厄除けや縁結びの神として、あるいは学問や産業の神として、崇敬を集めているらしい。本殿を見ようと拝殿の後ろに回ってみると、2本の大杉がそれを守護するかのようにどっしりと居座っていた。

 参拝を終えて、境内脇にある古井戸へ。居合わせたおばあさんは「これは不思議な井戸じゃぞ。普段は水がないけど、祇園祭りになると決まって湧いてくるでな」。ふたを取って中をのぞき込んだが、相当深いらしく暗くて底は見えなかった。

 井戸のそばに神社にはめずらしい鐘つき堂があった。案内板に「寛文7年(1667)の銘があり伊賀地方で三番目に古い」とある。入るときには気付かなかったが、鳥居をくぐったすぐ左手に小さなお寺があり、ひょっとすると神仏習合の名残なのかもしれない。

 神社東方の御旅所には古墳があって御旅所古墳と呼ばれている。巨大な横穴式石室がむき出しになっており、これは“伊賀の石舞台”とも言われているそうだ。阿山町は古代のロマンをかき立ててくれる歴史の町でもあるようだ。

 

農業を第二次、第三次産業に
観光農園「モクモクファーム」

 1、農業振興を通じて地域の活性化につながる事業を行います。
 2、地域の自然と農村文化を守り育てる担い手となります。
 3、自然環境を守るために環境問題と積極的に取り組みます。

 これは農業組合法人「伊賀の里モクモク手づくりファーム」7つのテーゼの一部。同法人は養豚農家を中心に結成され、生産から加工、流通、さらには消費者との交流までを目指して新しい農業に挑戦している。その中核となるのが丘陵地帯に広がる6ヘクタールの観光農園だ。

 園内には地元の特産品を売る店やブタのテーマ館、バーベキューハウス、手づくりウインナー教室、体験農園などが点在していた。ウインナー教室をのぞくと親子連れができたばかりのウインナーを手に「私にもできたわ」「まあ、おいしそう」と大はしゃぎ。また、バーベキューハウスからはいい匂いが流れ、伊賀豚を使ったバーベキューに多くの人たちが舌鼓を打っていた。

 この日のお目当ては東海地方で初めて誕生したという地ビール。園内の奥に真新しいブルワリー(醸造所)があり、銅でできた重厚なタンクの様子なども見学できるようになっていた。こちらの施設もすごい人気である。

 さっそくノドを潤すと おや? 従来のビールとは味が少し違っている。すかさず「いままでにない味でしょ。せっかく作るのですから、ここにしかないものを」とスタッフの一人。現在、6種類のビールが作られているそうで、個性あるできたての生ビールが飲めるのはうれしい。

 農業というと、とかく後ろ向きにとらえられがち。が、ここへ来てみると、それが立派なビジネスになることを予感させてくれる。いま飲んでいるビールも「大麦は集団転作した地元産」と教えられ、農業で夢おこしにかける彼らの意気込みが伝わってきた。

 

忍術の達人、長門守ここにあり
正覚寺に一族の墓

 伊賀と言えば忍術、阿山町には何かないのか。「ありますよ、忍者の大家のお墓が」。役場で教えられ、東湯舟の正覚寺へと走った。

 忍術は伊賀流と甲賀流が有名だが、二つの流派は山を背にして隣り合っている。伊賀には東の情報が届き、甲賀には西からの情報がいち早く来る。両者は対立してあったのではなく、たがいに手を結び、利用し合う関係にあったのではないか。

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伊賀流忍術の達人、藤林長門守の墓

伊賀流忍術の達人、藤林長門守の墓
伊賀流忍術の達人、藤林長門守の墓
 そんなことを考えながら、やっとのことで正覚寺を探し当てた。本堂脇に墓地があり、その一番奥に藤林長門守の墓があった。一族25基の墓が並んで建てられているが、どうやら無住の寺らしく話を聞こうにも聞けそうにない。

 役場でもらった資料によると、藤林家は服部家、百地(ももち)家と並ぶ伊賀流忍術の大家だそうな。その子孫藤林保武は『万川集海(ばんせんしゅうかい)』22巻を著し、伊賀と甲賀に伝えられた忍術の秘伝を集大成している。しかし、この地が天正伊賀の乱で焼き払われ、詳しいことはよく分かっていないらしい。

 「忍者」は文字通り「忍びの者」だ。それがあからさまになってしまったのでは最早、忍者と呼べなくなってしまうのかもしれない。妙なところで独り納得して、人影のない寺を後にしたのだった。

 帰る途中、何気ない周りの野山までが新鮮に見えてくる。阿山の忍者たちはこれらの山々を駆け登り、川を飛び越え、野原を走り回って修行に励んだのではないか。上野や名張のように有名ではないが、この町にも伊賀忍者の確かな足跡を見る思いだった。

 

手仕事一筋、職人さんの見せる技
三味線と仏像の制作工房を見学

 「関東は一人で最後まで仕上げますが、関西は棹師・胴師・仕立て師など徹底した分業ですな。向こうは腕のいい職人に金をはずんでやらせるのに対し、浪速商人は分業で効率化を図ると同時に、簡単には独立できないようなシステムにしていました」

 こう語るのは三味線作り一筋、三弦司の神山真一さん。工房をのぞくと3人の職人さんが真剣な表情で作業に取り組んでおられた。ここは関西圏にありながら、胴の部分をのぞき、一人が最後まで仕上げる関東流である。

 ご他聞にもれず、この業界も海外から安いものが来るとか。いいものは2週間前後かけるそうだが、そうも言ってはおられない厳しい現実もあるらしい。一通り見せてもらい、出るさい「ときには三味線をたしなまれますか」と神山さんに聞くと、「職人は習うなと言われています。習うと自分に合わせて仕事をしてしまいますから」ときっぱり言い切られたのが印象的だった。

 めずらしい三味線の手作り工房を見せてもらった後、今度はこれまためずらしい京仏師の服部俊慶さん宅へ。あいにく服部さんはご不在だったが、お弟子さんの堀内康永さんと姫路峰行さんの2人が応対して下さった。堀内さんはこの道20余年のベテラン、姫路さんはまだ1年ちょっとの駆け出しの身だ。

 部屋には阿弥陀如来や不動明王、吉祥天、地蔵など、完成を待つ様々な仏像が置かれている。堀内さんは金箔を細かく切り刻んで文様をちりばめてゆく、「截金」と呼ぶ気の遠くなるような作業をされていた。完成途中のいろいろな仏像を、しかもこうして目の前で見るのは初めてである。

 堀内さんは「仏師は永遠の修行者。ノミの一彫り一彫りに祈りの気持ちを込めて造る」と造仏の心を語られた。そのかたわらで姫路さんが尊敬のまなざしで「すごいですよ。ほとんど一日中、仕事されていますから」と付け加えるのだった。三味線といい仏像彫刻といい、阿山町の旅は思いがけがけずも仕事に命をかける職人たちの世界をかいま見る旅となった。

 

[情報]阿山町役場
〒518-1313 三重県阿山郡阿山町大字馬場1128
TEL:0595-43-0331

 

 

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