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■将軍毒殺―実録・名古屋騒動

 安永6年(1777)10月4日、熱田の宿はかつてない物々しい雰囲気に包まれていた。江戸の北町奉行曲渕甲斐守が与力10騎、同心50人、それに自分の家来多数を引き連れて乗り込んできたのだ。手に手に十手や突棒、刺股、捕縄などを握り、中には弓矢や鉄砲を持っている者もいる。 

 一行の到来は東海道を上ってくる旅人たちからすでに伝わっていた。「何ぞどえりゃー事件でも起きたんきゃあ」「いや、どーも京都の方へ行かっせるようだげな」。ウワサがウワサを呼び、町はこの話で持ち切りだった。

 甲斐守ら主立った者は宿場の中ほどにある「赤本陣」へ入り、他の一行は旅籠の「東梅」とその向かい側にある「銭屋」に分宿した。赤本陣の主人南部新五右衛門は後ほど来名の目的を内々に聞かされ、相づちを打つ声さえ失ってしまったほどだ。彼もまた尾張が目的地だったとは知らされていなかったのである。

 そう言われてみれば、思い当たる節もないわけではない。9月の中ごろからお城への出入りが急に多くなり、城下も何となくざわついていた、と人づてに聞かされている。もっもとらしく、江戸表から早馬が駆け込んで来た、と話す人までもいた。

 すると、あのウワサはやはり本当だったのか。9月末ごろからは夜間に登城する人も増えてきていたらしい。知人が先日、手紙を出そうと町飛脚に持ち込んだところ、普段とは違って中味についてまで厳しい吟味を受けた、ともこぼしていた。新五右衛門はあわただしく接待の指揮をしながらも、「口外無用」とクギを指されていて身内の者にすら話すわけにはいかなかった。

 夜明けを待ちかねたように、甲斐守が動き出した。江戸の北町奉行所には与力20余人、同心100余人が置かれていたが、その半数を動員しての捕り物となる。しかも御三家筆頭の尾張藩へ乗り込んでのことだ。

 まずは名古屋の出入口に当たる七口――熱田口、祢宜町口、枇杷島口、大曽根口、志水口、出来町口、川名口の7カ所を固めさせた。名古屋城へは目付役として付き従う尾張藩士の平沢只左衛門を遣わし、これから実行に移ることを通告させた。尾張藩ではすでに江戸詰めの竹腰山城守から知らされてはいるが、何分、御公儀のこととあって見守るより他になかった。

 10月6日夕方、甲斐守は城下に入ると、40人ほどの三手に分けた。大津町の河村復太郎宅、京町の蘇森長秋・子桂宅、瀬戸物町の安西文兆宅がその行き先だ。いずれの町名も名古屋城のおひざ元、現在で言えば中区丸の内三丁目地内になる。

 

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