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嬉し悲しの「200分の1」

 ちょっとケーキのいい話をしよう。こんなことは200点以上出して、初めて経験したこと。もう二度とないのではないか。

 先ごろ、荒川惣兵衛著『ナゴヤベンじてん』を復刻した。荒川さん(故人)は角川『外来語辞典』の著者としてその名を知られた人だが、方言への愛着から30年ほど前に同書を自費で出版されていた。たまたまご来店のお客さんの中に同郷の人がおられ、ご遺族に復刻の打診をしてもらったところ、二つ返事でOKをいただけた。

 500部を出版、運よく地元紙の夕刊トップで紹介された。帰りがけにジャンジャン注文の電話が鳴り出した。小社は新刊しても書店に出していないので、こうしたときの反応はてきめんだ。

 受話器を置くと、もう次の注文が。置くと鳴る、置くと鳴る。その日は恐くなって、10件ほど受けたところで逃げ出した(友人と一杯やる約束になっていた)。

 翌日、注文に備えて発送用のケースやガムテープなどを持ち込んだ。ドアを開けるともう鳴っている。受話器を置くけばすぐ鳴るし、鳴れば取らないわけにもいかない。

 途中、路上駐車をしたままであることに気付いた。あわてて駆け戻ると、あるべきところに車がない。頭の中が一瞬、真っ白になった。

 なんてこった。わずか10分か15分、とめただけだというのに。駐車違反で持って行かれるなんて、本当に何年ぶりのことか。

 この重要なときに、警察へ出頭することに。駐車違反の罰金1万8000円(交差点内)、レッカー代1万4000円が飛んでいく。

 ということは、本を20冊弱売ってその額。利益の中から払おうすると、その5、6倍は売らなければならない。うれしさも吹っ飛んだ。

 手続きを終わり、切符を切られた。悔しさもあって、一こと言ってみた。われながら往生際が悪い。

 「一つお尋ねしますが、宅配便の車は取り締まりの対象にならんですか。ポカポカやっとれば(駐車灯を点滅させていれば)いいんですか」

 「いや、当然なる。どんな車でも、たとえ3分とめようが5分とめようが、ポカポカやっとろうがやってまいが、違反は違反だ」

 「それなら、ぼくの後ろにとまっていた車はぼくよりも前からとめていたのに、そのままありましたけど……」

 こう言ったら、それまで高圧的だった係官の顔色が変わった。そして、次に出たのはこんな言葉だった。

 「われわれは……交通安全協会のもので……そういう話なら……奥の方の警察の人に……直接してほしい」

 警察署内で行われている業務だから、当然、警察官だと思っていた。暇なときなら確かめてみたいが、いまはそれどころではない。一刻も早く店へ戻りたい。

 本当は「パトカーは駐車してもいいですか」とも聞いてもみたかった。取り締まりのとき、長いこととめていた。本当はあれもれっきとした駐車違反のはずだが、こんなときにからんでいるいとまはない。

 来る来る、電話は鳴りっ放し。取ったり置いたりの繰り返しで、受話器のコードがすぐにもつれてくる。こんな経験も初めてだ。

 何事も一人だから、発送するまでが大変。本をビニール袋に包み、郵便振替用紙や広告のチラシなどを入れ、ガムテープで封をし、お届け先の宛名を書く。作業中に電話はかかってくるわ、こんな日に限って来客はあるわ、でテンテコ舞いの忙しさだ。

 結局、この日1日で120人から注文をいただいた。そして発送できたのは半分にも満たない53個。家へ帰って夜なべ仕事で精を出した。

 「ちょっとも進めせんがや」  「もたんなあ、こんなに来てまって」

 口からぼやきまで出るが、こんな仕事ならいつでもしたい。苦節30余年、「どこにこんなに読者がおった」と、またブツブツ。初めて知らされた新聞の威力だった。

 こうした状態がしばらく続き、在庫はなくなってしまった。あわてて300部の増刷を決定、その間は予約という形で受け付けた。以前、ある出版仲間からこれに似た話を聞かされたが、それは決して作り話でもオーバーでもなかったのだ。

 注文は日を経るにつれて減ってきたものの、それでも当初は日に5、60個発送していた。ところが、住所の聞き違いやら二重発送などで返品やクレームが出だした。振替による入金もドサッとあるが、中には送金してこない横着者もいる。

 悪いことに、梱包するケースがなくなってしまった。普通ならこんなもの、そんなにいるものではない。あわてて文房具屋などを駆け回るが、こうした業務用のものは取り寄せるのに一週間はかかるとか。

 本はできてきたのに、送るに送れない。注文者からは「どうなっとる」と矢の催促。冷や汗三斗で事情を説明すると、わざわざ取りに来る人までいて、ありがたいやら恐縮するやら。

 やれやれ、一段落。ところが、今度は他紙に紹介され、テレビにまで取り上げられた。普段は小さく紹介されることすらまれなのに、どうしてこんなに話題にされるのか。

 大体、新聞に紹介されたところで2、30冊も注文があれば御の字だ。記事になったぐらいで売れていたら、出版ほど楽なショーバイはない。なぜ今回に限り――200点以上も出したというのにいまごろ――こんな騒動になったのか、と考え込まざるを得なかった。

 理由としてあげられる第一は、荒川惣兵衛さんという魅力的な人、すなわち『外来語辞典』の著者であり、反戦・反骨の人だったこと。その人が意外とも思える名古屋弁に愛着を持ち、同辞典と同様に律儀なまでの本作りをしていたこと。そして、消えてゆく名古屋弁に多くの人が愛着と共感を持っていたこと。

 名古屋弁の本ならぼくも書いているし、書いてもらった本も出している。それらはさして売れてもいない。そうしたことから考えると、これまでに本格的な名古屋辞典が出版されていなかったことも大きかったのかもしれない。

 話題は話題を呼んでいた。インターネットに書き込む人もいて、名古屋圏以外の人からも注文が来だした。どうして北海道から?と尋ねたところ、その人がインターネットで紹介されていることを教てくれた。後で分かったが何人かが書いており、こうした口コミもばかにならなかった。

 本の効果は抜群で、来店客も増えた。普段は1日に4、5人もあればよしとし、10人もあった日には心の中で「万歳三唱」を唱えることにしている。それが1日に5冊、10冊と売れてゆくのだ。

 300部も増刷すれば十分と思ったが、1カ月もたたないうちに、これも底を尽いてしまった。今度は思い切って500部刷ることに。軍資金ができたから、かなり強気になっていた。

 さすがに「飛ぶように」とは行かない。が、それでも半分ほどがなくなった。あとは小社流に本と心中するつもりで、長い目で売ってゆくつもりだ。

 どうです、みなさん。うらやましいでしょう。今度はあなたの番かも。長い出版人生、こんなこともいっぺんぐらいはなければ、ね。(これは店を持っていた当時の実話です)

※荒川惣兵衛著『ナゴヤベンじてん』へはここをクリックしてください。

 

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