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メールマガジン、天国から地獄へ

【第一話】

 

昔ミニコミ、今メルマガ

 リストラや定年退職でひまをもてあまし、本を読む気力もないのにぶらっとやってくるお客。普段は訪れる人とてなく、ひまにまかせて本ばかり読んでいる本屋のオヤジ。こんな「ひま」と「ひま」とがぶつかると、それまで人気(ひとけ)のなかった店内も急ににぎやかになる。

 ぼくはついに還暦を迎えてしまった。その前まで「ひま」の持ち主は先輩たちだったが、同僚の中にも定年になって仲間入りしてきた人もいる。悪いことに(?)近くにハローワークがあるから、よけいこちらに足が向きやすい。

 お客とは言っても、本当のお客ではない。しかし、友人や先輩たちだから、お客様以上に親しい。おたがいに「ひま」人同士、時間を気にすることもなく話がはずみ、中にはこちらに代わってお客様に対応してくれる人もいたりする。

 「今日、職安へ行ったら息子のような奴から『そんな高望みしていたら、いつまでたっても仕事はないですよ』と説教されてまって。しかし、ビルの掃除や駐車場の受付、道路工事現場の旗振りではなあ」

 「子会社に回されてまって、仕事は四時に終わっちゃうよ。こんなに早く家に帰るわけにはいかんもんで、また遊びに来させてまったわ。おみゃーはえーなあ、好きなことやって、食ってけるで」

 なにがなにが、こちらだって大変ナンデス。収入源だった編集代行の仕事がなくなっしてまった。それに代わって老後戦略として取り組みだした本屋稼業はいまこうして貴殿をお迎えしているような現状ナンデス〜ウ。

 金はないけど、ひまはある。このごろ何かと話題になるメールマガジンとやらを発作的に思いついた。あれなら印刷代や郵送料など一銭もいらなし、有料にすればもうかってしまう!

 早速、パソコンの師匠でこのホームページを作ってもらっている「玉手箱」の垣添始さんに段取りをしてもらった。あとは「サルでもできる」とかで、書いた文章を相手の下敷き(?)に流し込むだけ。「舟橋武志の名古屋なんでか情報」と名付け、毎週土曜日に発行することにした。

 内容は地元の歴史と名古屋弁の二つを柱に、その周りに本や催し物などの記事をちりばめてゆくことにした。ぼくならではの情報でないと発刊する意味はないし、それに名古屋にこだわることも必要になってくる。この路線なら知識的にいままでの蓄積もあり、なんとかやっていけそうな気がしてきた。

 「こんなことでもうかったら、たまらんなあ」
 「まさに好きなことやって、食っていける」

 そうこうしているうち、垣添師匠から「『まぐまぐ』に申請しておいたで、許可が出やすぐにもやれるでよお」との連絡があった。何事にもグズと言われるほど慎重なぼくも、このときばかりはかなり舞い上がっていた。企画どころか原稿もすでに大分できてきている。

 だが一番の心配事は、読んでくれる人が果たしているかどうか、ということだ。ぼく自身、インターネットはよくやっているが、メルマガなんて一度も取ったことも、読んだこともない。第一、モニターで読むことほど味気ないものはないし、それに目の疲れることこのうえない。

 とりあえず最初の2カ月はテスト的に無料で流してみることにした。すると驚いたことに、いきなり100人を越す読者が付き、それは回を重ねるごとに増えて、最大時は260人を越えた。これまでクローしてミニコミや雑誌を作ってきたが(何回、創刊と廃刊を繰り返してきたことやら)、これほど簡単に読者が付くとは予想さえしていなかった。

 「こりゃ、ダボハゼを釣るようなもんだなあ。入れ食いだがや」
 「この3分の1が申し込んで来てくれたとしても100人近くになる。続けていくうちにどうせ増えてくるだろうから……」

 やっぱり時代は進んでいた。活字から離れた人たちがメルマガの世界にこんなにも集まっていたのか。2カ月後には無料版を打ち切って、本格的な発行に切り換えたのだった。

 

ひまがなくなり、こりゃいかん

 有料となれば中味もより充実させなければならない。文字数で言えば毎号2万字前後を入れることにした。これだけの量になると一度には送信できず、原稿を二つに分けて送らなければならなかった(これが結構めんどう)。

 購読料は一人でも多くの読者をと月300円にした。「まぐまぐ」さんのシステムではこのうちの40%を向こうに納め、残り60%を発行者がもらえることになっている。こちらは一銭もいるわけではなく、これなら本の印税(最高でも10%)よりもいいではないか。

 創刊前にあちこちへDMを打った。地域紙だったが広告も出した。うまいことに、ある新聞社から取材も受けた。

 記者から「ぼくたちでもそんなに書かないのに、本当にやっていけますか」と聞かれた。すでに2カ月の実績がある。その質問に「フリーの者はこれくらいの恥と原稿を書けなきゃ、生きていけませんよ」と軽く受け流した。

 さて、いよいよ創刊だ。ヒーヒー言いながら書き上げた真夜中、原稿を流し込んで配信予約の「確認」も得た。缶ビールを飲みながらしばらくインターネットで遊んだ後、送信記録を見ると「購読者3人」とある。

 えっ、たったの3人かよ? これにはわが目を疑った。200何人もいた読者はどうなったんだ! 400通以上も出したDMは本当に届いていたのか! ない金をはたいて広告だって出したんだぞ! それに新聞のトップに写真入りで大きく紹介されたというのに、一体あれは何だったんだ!

 「どういうこと、これ? 悪い冗談、見せ付けられているのでは……」  「いやいや、これからだよ。まだすぐには申し込まないだろうし、手続きも何だかややこしそうだし」

 どこかに光明を見いだしたかった。うれしいことに後になって「ネット上から申し込んでもなかなかうまく繋がらない」「2万字もよー読まんで、伊藤萬蔵さんの記事だけ読めんきゃあ」「パソコンはやっていないので、コピーを送ってほしい」などとメールや電話が相次いだ。中には現金封筒で半年分の購読料を送ってきたり、わざわざ申し込みのためにご来店いただいた人もある。

 が、こちらでは何ともならない。発行するのは「まぐまぐ」さんだ。読者を目の前にしながら、うまく繋がらないのがうらめしい。

 考えてみれば、郷土史を主体としたメルマガだから、読者はどうしても中高年になりがちである。これほどミスマッチの媒体もない。有料メルマガで幅をきかせているのはアダルトや恋愛講座、あるいは株やギャンブル指南の実利ものなどだ。

 当初、300円は安いと思ったが、みんなは高いと思っているのでは。事実、有料化を予告したら「メルマガでゼニを取る気か」とメールしてきた人もいた。インターネット上の情報はただのものだと勘違いしている人がいまだに多いようだ。

 しかし、気落ちしているひまはなかった。1週間がすぐにやってくる。主体が地元の歴史だけに現地取材は欠かせないし、裏付けを取るための資料あさりも大変だ。

 「これじゃあ、メルマガ地獄だがや。休んどるひまもない」
 「おだて上げられて2階へ上がったのはえーが、ハシゴをはずされてまったよーなもんだなあ……」

 かといって、意地でもやめるわけにはいかない。号を重ねるごとに読者は増えてきてはいた。が、その数は知れたもので、ついに10号からは「メルマガ」とは別に「プリント版」を出すことになってしまった。

 これからの課題はメルマガの読者をいかにして増やしていくかだ。みんなはどうやっているのだろうかと不思議に思って他のメルマガを見回っていたら、「こうすれば増える」といったノウハウを売り物にしているものがあった。かと思うと「メルマガは絶対にもうからない」というメルマガまである。

 なるほど、こちらの方が説得力がある。思わず読んでみたくなりそうで、上には上がいるものだなあと感心させられた。こっちだってあんまり読んでくれないようなら、メルマガで「私はこうして失敗した」という実践レポートを創刊しちゃうぞ。

 そんなこんなで、急にあわただしくなってきた。いまではひまだったあのころがなつかしい。ひまつぶしに遊びに来る友人や先輩に、このごろはこう言っている。

 「おれ、こう見えても結構せわしーでよう」(来てくれとも、来てくれるなとも言っていない)

 

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