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岐阜芥見村虚無僧闘争一件
(佐屋宿吐龍こと定蔵留書)

普化宗弾圧の契機となった虚無僧同志の縄張り争いとは

 小社から出版したこの本は全4冊から成る文書で、尾張の佐屋宿(村)で作成されたものである。

 天保15年(1844)2月21日、岐阜の芥見(あくたみ、現・岐阜市)で甲州乙黒村・明暗寺と遠州浜松宿・普大寺の虚無僧同志が留場(縄張り)を巡って争いを起こした。その結果、死者まで出る大事件となったのである。

 この騒動に佐屋宿(愛知県・佐屋町)の吐龍こと定蔵が関与していた。このため村役人同道で江戸の寺社奉行所へ三度まで出頭することになり、文書にはその経過や費用などがすべて記録されている。その表題も記せば下記のごとくである。
[第一冊] 天保十五、定蔵事、吐龍御召下江戸行留、辰五月、佐屋宿、源七
[第二冊] 弘化三、定蔵事、吐龍再応御召下江戸行留、午十一、但御差紙十一月相着、佐屋村控
[第三冊] 弘化四、三度目吐龍御召下諸願達留、尾州佐屋宿相控、未九月五日御差紙着、同十三日出立願、十二日名古屋迄出
[第四冊] 無題(裁許文)

 第四冊の裁許文は『岐阜県史史料編・近世二』にすでに「芥見村にて虚無僧闘論一件」と題して紹介されている。だが、愛知県の土地勘がないため地名の読み誤りもあり、かつ、原文書が弘化4年10月10日に出された裁許文と、この事件を契機に弘化5年正月に出された幕府の普化宗への弾圧政策の触れのみが筆写されていたため、事件そのものも弘化4年と誤解されてしまった。『県別大事典・岐阜県』(平凡社)の「芥見村」の項には以下のように記されている。

 「弘化四年(一八四七)当村内で遠州浜松宿の普大寺と、甲斐乙黒村の明暗寺の両系統の虚無僧が托鉢場をめぐって争い、殺傷事件を起こしている(「虚無僧闘論一件」伊藤文書)」

 また、最近の保坂裕興氏の優れた研究でも下記のように記されている(『民間に生きる宗教者』高野利彦編・吉川弘文館「虚無僧−普化宗はどのように解体したか−」より)。

 「弘化三(一八四六)年にはこの地域の芥見村(現岐阜市)近辺で両寺の大規模な抗争事件が発生し、幕府による普化宗改革につながっていった」

 本書は、この事件の発生が天保15年2月21日であったこと、また普化宗弾圧の中心人物が内藤信親であったことを明らかにするだけでなく、他にも列挙すれば、

  1. 明治4年の廃宗により抹殺された普化宗文書を充実させてくれたこと
  2. 幕府が普化宗に対する政策を転換する契機となった重要な事件の記録であること
  3. 3回に及んだ寺社奉行所での評定の経過を文書として残していること
  4. 尾張藩における唯一の普化宗に関する文書であること
 等である。

 この裁判で明らかになった普化宗の実体は先に引用した保坂氏のまとめを引用すれば、

  1. 仏道に帰依するはずの僧侶が武器を使用して縄張り争いをしていること
  2. 空き家を押し借りしたり、旅宿に押して止宿したりするなど、強談に及んでいること
  3. 人別管理に関してはほとんどの虚無僧が無宿であることを押し隠して取り立てられていること
  4. 百姓に本則を発行し、宗門縁者として組織していること
  5. さらに無宿・食売女らと交流することはもちろん、医師体になったり、浅草龍光寺門前伝七店で乞胸稼ぎをしたりした者までいること
 等であり、これが村々から留場料を収奪していた宗門の現実の姿であった。

 また、第一冊には公事宿、佐屋の陣屋の檻の存在、尾張藩の関与の実体なども含まれていて、寺社奉行所での裁判のあり方にも新史料を提供するものと思われる。

 本書はマイタウン主宰「古文書に親しむ会」のテキストとして制作したものだが、普化宗関係の史料として貴重なものとなろう。なお、一連の文書に表題はなかったが、今回出版するに当たって便宜上つけることにした。(担当講師・鬼頭勝之)

 *影印本は全四冊、セット8000円+税(50部制作)。


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