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阿弥陀経を名古屋弁に訳すと……
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はじめに
お経は意味が分からないからありがたいのではない。かつてはだれにでも分かる教えであったからこそ、ありがたがられたと思うのだが、国が違い時代が違ってくるにつれ、その意味するところが理解できなくなってしまってきている。朝夕のお勤めや法事の席などで心を込めてあげる阿弥陀経も、その意味が分かれば一層身近なものになるにちがいない。 さて、その阿弥陀経は「仏説」すなわち釈迦が説かれた阿弥陀の世界を、その死後に弟子の阿難(あなん、アーナンダ)が記録したものだと言われている。もちろん、原本はサンスクリット語で書かれており、それを後に鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーバ)が中国は後秦(こうしん)の姚興王(ようこうおう)に迎えられて漢訳した。日本へ伝えられたのはこの漢訳本で、それゆえサブタイトルに「姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳」(ようしんさんぞうほうしくまらじゅうぶじょうやく)と記されているのである。 三蔵法師というと『西遊記』で有名な玄奘(げんじょう)を思い浮かべるが、三蔵とは仏教の教え(経・律・論)に通じた高僧のことを言った。鳩摩羅什もそのうちの一人で、日本へは彼の訳した阿弥陀経が広まった。名前こそ知らない人が多いが、本当は鳩摩羅什の方が玄奘よりもおなじみであったわけだ。 全体の構成は説法に集まってきた多くの弟子たちに向かって、釈迦が阿弥陀仏や極楽について説き明かしてゆく形式をとっている。文中にしばしば出てくる舎利弗(しゃりほ、シャーリープトラ)はその中の代表者であり、釈迦はその舎利弗に呼びかけながら阿弥陀仏がいかに偉大なものであるか、そして、そこへ生まれるにはどうしたらよいのか、などを極めて具体的に述べてゆくのである。 「知らぬが仏」とは言うが、お経は意味不明のオマジナイではない。阿弥陀経に関心のある人にも、また全然ない人にも興味を持って理解してもらえるよう、その意味するところを名古屋弁に訳したのがこの本である。少々過激なやり方にご批判の向きもあるかもしれないが、そのへんのところは「仏心」で大目に見ていただきたい。 なお、これを訳すに当たっては大法輪閣から出ているわが家の宗教シリーズ『浄土宗』(若林隆光著)、『浄土真宗』(花山勝友著)を参考にさせていただいた。 本文(略) 本の紹介については出版案内をご覧下さい。 おわりに−改訂版を書き終えて 14年前、こんなおかしなもの作ってしまった。まだ42歳のときだった。そのころはありがたいはずのお経も、この程度の内容だったのかと意外に思えたものだ。 が、いまはとてもそんな大それたことを言えたものではない。よくは分からないが、書かれていることの奥行きは深い。何か言外でものすごいことを言っているような気がしてくる。 若いころ、阿弥陀経や歎異抄などの解説書を、思い出したようにひも解いたものだ。しかし、いくら読んでみても心に響くようなものは感じられず、もっぱら大学に入ってから知った唯物史観に共鳴してきた。つい先ごろまで、訪れた寺社などで格好だけは頭を下げてみるものの、そのしぐさに抵抗感すら覚えたものである。 それほど宗教とは無縁で生きてきた。むしろ、反発していたとさえ言えるほどである。 そのぼくが実は寺の長男として生まれていた。子供のころ、訳も分からずお経を教えられたので、いまでもこの阿弥陀経などはソラで読める。逆に、厳しくしつけられたからこそ、よけい反発するようになってしまったのかもしれない。 高校に入ったころ、改まって父親に「寺は継がない」とはっきり言ったことがある。そのとき、父は日ごろの言動からそれとなく察していたのか、「お前の人生だから」と一言も反論しなかった。遠い親戚の人から「お父さん、あなたが継がないと知って、随分さびしがっていたわよねえ」と教えられたのは、何年もたった通夜の席でのことだった。 「舟橋君がお寺の出身だったとはまったく知らなかった。ぼくなどはお寺に生まれてこれなかったことを嘆いているよ」 ちょうどこの本を作った直後のことだ。コピーライターをしている先輩から、こう話し掛けられたことがあった。ぼくは自分の口から寺の生まれだと言ったことはなかったし、長いこと仮りの名前で生きてきた。先輩は仕事のかたわら寺に通い、ついには得度までしていた。 いまごろになって、その気持ちが分かってきたような気もする。このごろ妙に欲のない自分に気付き、はっとするようなことがある。借金は早く返したいけど、お金がそんなにほしいわけでもない。食事にしたってそれこそ一汁一菜でもおいしくいただける。買い物らしい買い物も、ほとんどしたことがない。 いつごろからこんなに淡泊になったかとわが身を振り返ってみると、どうも50の大台に乗ってからのような気がする。もう人生の折り返し点を過ぎている。出版の修羅場を生きてきたが、いくら頑張ったところで先は見えてきたし、そろそろ年貢の納めどきのようにも思えてくる。 若くして宗教にはまり込むのは危ないが、年を取ってから無縁でいるのもさびしい。若かったころ理解できなかった歎異抄なども、いま読んでみるとおぼろげながら分かってくるような気もする。それこそ訳も分からず釈迦力に頑張ってきたが、限界を悟って周りのことどもも見え出してきたということか。 阿弥陀経にあるような「極楽」が果たしてあるかどうかは分からない。しかし、慈愛に満ちた父母は蓮のうてなを少しあけ、ぼくの来るのを待っていてくれそうな気もする。そう思うと死は決してこわいものではなく、待ち遠しくさえも思えてくる。 いや、そのためにもこの世でまだしておかなければならないことがたくさん残されている。となると、あの世へ行く準備もなかなか大変である。合掌。
平成12年1月1日 |