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静かなブーム、街道散歩

 

ちょっとそこまで、もっと遠くへ

 不景気で忙しいばかりの毎日。こんなときこそ、ちょっと仕事の手を休め、散歩に出掛けてみませんか。今回注目したのは〃忘れられた街道〃美濃路。リックを背に第一歩を踏み出せば、早くも気分は旅心。

 

いまに生きる美濃路
熱田−垂井間、1本の線に

美濃路 美濃路は東海道の宮の宿(熱田)と中山道の垂井宿とを結ぶ街道で、総延長は約58キロに及んでいる。この間に名古屋、清洲、稲葉(稲沢)、萩原(一宮)、起(おこし・尾西)、墨俣(すのまた)、大垣の7つの宿場があり、城下名古屋を除いてはそれぞれに本陣や脇本陣などが置かれていた。いまではすっかり忘れられたような存在だが、実際に歩いてみるとかつての道がまだ残されており、逆に「よくぞ、これほど」と感心させられるほどだ。

 この美濃路に注目、行政のワクを越えて町おこしに取り組んでいるグループがある。「新川(しんかわ)みのじ会」がそれ。代表の根本憲生さん(54)は「まず街道を見つけ出すのが先決」と2年ほど前、会員らと何回も自転車で探し回った。その成果は別刷りの詳しい地図を付けた『美濃路NOW』(小社刊)として結実したが、場所によっては江戸期に描かれた村絵図に当たるなど、作業はなかなか手こずったらしい。

 「美濃路について書かれた本は何冊かありましたが、それらでは実際に全線を歩くことができませんでした。何度も何度も足を運び、地元の古老などにも確かめ、やっと1本の線で繋ぐことができました。その結果、土地改良や工場誘致などによって一部では消えてしまっているところもありましたが、道は驚くほどしっかり残されていました」

 江戸時代、美濃路は「五街道」より一クラス下の「脇往還」として位置づけられていた。しかし、五街道の一つである東海道と中山道とを結ぶ重要道路であるところから、五街道並みに松並木や一里塚、宿駅の制度などが設けられていた。こうしたこともあって当時のにぎわいはなかなかのもので、西国大名の参勤交代、朝鮮通信使や琉球王使の通行など、公用道路としてもよく利用されている。

 「東海道は熱田と桑名の間が海路になっており、風雨が強いと宿待ちをしなければなりませんでした。また船旅は大部隊の移動に不便でしたし、女性や子供にとっても苦痛を強いるものでした。だから多少は距離が延びたとしても、この美濃路が選ばれることが多かったようです」(根本さん)

 そのにぎわいぶりを物語るかのように、沿線にはゆかりの史跡や遺物も数多く残されている。これらが美濃路散策の魅力の一つにもなっており、実際に歩いてみると、そうしたものに次々と出くわす。

 「まずは地図を片手に歩いてみることです。会ではときどきハイキングなども開いています。気軽に参加していただいて、歩きながらこれからの町づくりなどについても考えてみたいですねえ」(同)

 

完踏! 何回かに分けて垂井まで
美濃路の歩き方と楽しみ方

 いま中高年の間で山登りが静かなブームとなっている。が、いかに低い山とはいえ、いざやろうとなると、それなりの覚悟と準備が必要になってくる。都会で暮らす人々にとって、山は結構遠い存在なのだ。

 その点、街道散歩なら手軽にできるし、体力をそれほど問われることもない。むしろ、適度な運動は健康維持とストレス解消の面でもよい。街道をぶらぶら歩くことは今後、山登り以上に人気となるかもしれない。

 西枇杷島から萩原まで、一日がかりで歩いてみた。普段は気付かなかったものが目にとまり、道標や石碑に人々の暮らしを教えられることも多かった。うどん屋と造り酒屋は旧道にあり、ラーメン屋とコンビニは新道にあった。

 「道そのものも歩いてみると面白いですよ。いまの道は真っ直ぐで味気ないですけど、かつての街道はゆるやかにカーブしながら続いています。次はどんな景色が出てくるかと思うと、歩いていてワクワクしてきますからねえ」

 こう語ってくれたのは、途中で出会った年配の男性。すでに佐屋路(熱田と佐屋とを結ぶ脇往還)も踏破したそうだが、美濃路の方が格段に面白いとか。特に、木曽川を渡った岐阜県側にはひなびた風情が感じられていい、とのことだった。

 「新川みのじ会」の根本さんに美濃路の歩き方と楽しみ方について聞いてみた。

 「私たちは自転車で回ることが多かったのですが、本当のことを言うと自転車でも速すぎるほどですよ。実際に歩いてみると見落としてしまっていたものがかなりありました。時間はかかってもいい、距離は短くてもいい、やっぱり2本の足でゆっくり歩くのが一番です」

 そして次のような点についてもアドバイスしていただけた。
●何回かに分けて全線踏破するのも、目標が持てていいのではないか(街道は電車などの便に恵まれており、これが可能になってくる)
●独り歩きもいいが、家族や仲間との散策もまた面白い(いくつかの目で見ることになるので、その分、新しい発見も増えてくる)
●その土地の人とコミュニケーションを持つようにすると、一層楽しいものになる(何でもない会話や買い物、飲食などを通して、その機会はいくらでもある)
●菓子やうどんなど、老舗の味も楽しみたい(宣伝されることは少ないけど、隠れた名物と出会える)

 「これから美濃路に挑戦してみたいという人には、かつての宿場を2つくらい歩いてみるのがいいのではないか。4、5回に分けて1回10キロちょっと。これならだれでも歩けますし、沿道の史跡などをゆっくり見ることもできますしね。また、昼食時などには店に入ってビールでも飲みながら、店の人と雑談を交わすのも楽しいものです。沿線はいまでも人情あふれる町ですから」(同)

 

街道の面影、あちこちに
花を添える沿道の資料館

 次に美濃路の見どころをピックアップしてみよう。街道は町や村を結ぶ重要な道路であり、沿線には神社や仏閣をはじめ、一里塚や道標、本陣跡、渡し場跡などが残されていたりする。だからこそ街道散歩が楽しくなってくるわけだが、それら個々の紹介や解説は『美濃路NOW』に譲るとして、ここではちょっと角度を変え、沿道にある資料館などに絞って見てゆきたい。


熱田の「七里の渡し」場跡

 スタート、宮の宿(熱田)には「七里の渡し」があったが、あたり一帯は公園として整備され、常夜灯のそばには蔵福寺の〃時の鐘〃も復元されている。その宮の宿、伝馬町の脇本陣跡の斜め向かいにはソロバンばかりを集めた、その名も「鈴木そろばん博物館」がある。江戸期からのめずらしいソロバンを展示するユニークなミニ博物館だ。

 お宝と言えば、熱田神宮の宝物館がある。こちらはそんじょそこらにあるものではない。歴史と伝統に裏打ちされた名品の宝庫で、この宝物館と境内を見て回るだけで、先へ行けなくなってしまうほどだ。

 城下に入るとその入口付近に当たる東別院の裏手、栄国寺に「切支丹遺跡博物館」がある。このあたりはかつて〃千本松原〃と呼ばれた尾張藩の刑場のあったところで、多くのキリシタンが処刑されている。刑場は後に新川の土器野(かわらけの)に移され、皮肉にも名古屋から新川までの美濃路は〃市中引き回し〃のコースに入れられてしまった。

 城下では東海銀行本店北側の御幸ビルに「東海銀行貨幣資料館」がある。本店と同ビルは本町に沿ってあり、美濃路は本町と重なって城下を北へ抜けてゆく。資料館で本物の大判や小判を眺めれば、あなたもちょっぴりリッチな気分になれるかも?

 庄内川に架かる枇杷島橋を渡って左折すると、青果市場としてにぎわった西枇杷島の問屋町。旧家を移築して「問屋記念館」が造られており、ビデオなどで街道や町の様子を案内してくれる。最近は毎年4月、ここを中心にしてイベント「みのじ遊々さんでい」も開かれて人気を集めている。

 美濃路は西枇杷島から新川、清洲の商店街を通り、五条川を越えて清洲城址の脇へ。城跡に天下を夢みた若き信長をしのび、さらには五条川をはさんで建つ〃資料館〃清洲新城へも足を運んでみたい。

 道はかつての宿場だった稲葉(稲沢)から萩原(一宮)を経て、木曽川に突き当たる起(おこし、尾西)へと続く。尾張側で一番のハイライトとも言えるのが、ここ「尾西市歴史民俗資料館」だ。この資料館は企画展を催すなどなかなか意欲的で、しかも無料で入館できるというのがうれしい。隣接する脇本陣跡は同館の別館として公開されているが、ここの庭園がまたなかなか見応えのあるものだ。


資料館にもなっている尾西の脇本陣

 木曽川を越すと先ほどの話にもあったように、ぐっとひなびていい感じになってくる。美濃路はいまにもキツネが出てきそうな境川に沿って続き、長良川を越えると〃一夜城〃で有名な墨俣の町。秀吉の〃出世城〃墨俣城は歴史資料館でもあり、見るべきものも多くて興味は尽きない。

 大垣は水の都であり、芭蕉ゆかりの街でもある。門水川のほとりは景色のいいことでも知られているが、この一角に「奥の細道むすびの地記念館」がある。あたりにはまた市のシンボルでもある住吉灯台もあり、水都・大垣の顔となっている。


〃水の都〃大垣のシンボル、住吉灯台

 天下のかなめと言われた大垣城を見終わると、美濃路もいよいよゴールに近付く。垂井入口の追分には街角の博物館「中山道ミニ博物館」がある。これは中山道関係の著書も多い地元の研究家、太田三郎さんが独力で開設されているものだ。


唯一、松並木を残す垂井の綾戸地区

 町に公共の資料館はない。しかし、垂井は中山道との合流点でもあり、〃美濃の一宮〃南宮神社もある宿場町。そのため町内のあちこちにいまも古いものが残り、町そのものが資料館のような雰囲気さえ漂わせている。

 以上、資料館などにスポットを当て、美濃路を駆け足で紹介した。資料館を見るだけでも、時間はかなりとられる。根本さんのすすめもあったように、何回かに分けて歩いてみるのがよかろう。美濃路の散策は急がずあわてず、のんびりゆったりといきたいものだ。

 

インタビュー・この人に聞く
願いは街道の再生

 いま、なぜ美濃路なのか。新川みのじ会の会員で『美濃路NOW』の調査・編集に当たった鍵谷元夫さん(40)に話をうかがった。

 −−ずいぶん苦労して作られたとお聞きしましたが。
 「ええ、道を探し出すのが当初、考えていた以上に難しかったですね。でも、取材中の冬場は天気が安定していたし、交通量も少ないので、むしろ探索するにはぴったりでした。『あんた、だれでゃあ』といぶかられながらも、本当に多くの人たちから親切に教えていただきました。いま思うと勇気づけられることの方が多かったみたいですねえ」

 −−根本さんらと新川みのじ会を結成されたねらいは?
 「美濃路は名古屋から垂井まで14市町を通っている一本の街道です。それなのに自治体同士の繋がりがない。私たちのねらいはこれらの町の接着剤として、交流のネットワークを作ることです。そのためにもこうして民間レベルで活動することにより、行政のワクを越えた催し(イベント)にしてゆきたい。また、祭りなど宗教関係がからむとどうしても行政が前面に出にくくなりますが、こうした民間の集まりならそれらに側面から協力してゆくこともできますしね」

 −−長期的にはどんな目標を。
 「大きく分けて3つあります。まず第一が高齢者や障害者にもやさしい町(街道)を再生してゆくこと。第二が自然と共生・共存した生き方を模索してゆくこと。そしてもう一つが他の町を見ることにより、自分たちの住む地域−−私たちにとっては新川の町を再発見すること。つまり、古い街道である美濃路を見直すことによって、先人の知恵を取り入れた町づくりができるのではないかと考えています。と同時に、車中心の町づくりを見直してみる必要もあるように思っています」

 −−例えば、どんな?
 「すぐにとはいきませんが、例えば商店街の活性化があげられます。自分の足で歩いたり自転車で行ける範囲内で生活に必要なものを手に入れられる−−これは高齢化社会の進む中でいよいよ重要になってくるように思うんです。車で遠くのショッピングセンターへ買い物にいくのが長い目で見て果たして発展と言えるかどうか。街道を見直すことによって、商店街をよみがえらせるきっかけにもしたいですね」

 −−歩いてみたら意外な発見があって面白かった。全然、気付かなかったこともいっぱいあったりして。
 「私たちも最初は何にも知りませんでした。『美濃路NOW』も走り回って書いたものです。みなさんにもまず歩いて楽しんでほしい。すっかり忘れられてしまっていますが、つい最近まで−−そうですね、戦前くらいまではこれが幹線道路でしたから」
 −−これからの活動に期待しています。ありがとうございました。

●取材協力=新川みのじの会

 

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