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名古屋人の反省

 21世紀のキーワードは「反省」か? 奥ゆかしい名古屋人とて、例外ではなかった。先に「100%名古屋人」を書いた店チョが名古屋の「くらし」「れきし」「まつり」「ほん」「ひと」の5分野について、シミジミシミジミ考えた本。


[第1話]
ワンダフル「偉大なる田舎」
英国紳士が泣いて喜ぶ?名古屋の素晴らしさ

 イギリスからエアメール。さて、心当たりはないのだが。あわてて封を切れば「はじめまして」で始まり、拙著『100%名古屋人』の読者からだった。

 先ごろ、ご主人の転勤でイギリスに渡られたらしい。周りの人々に出身地を聞かれて「名古屋」と答えるが、ほとんどの人はご存じない。「豊田の近く」と言って、ようやく分かってもらえる、とか。

 「あなたの街、名古屋はどんな街?」
 「ほどほどに都会で、ほどほどに田舎よ」

 こう話すと「ワンダフル」と言って彼らの目が輝きます。そうです。イギリス人にとっては田舎に住むのが理想であり、リッチな生活を意味しています。ロンドンは人の住むべきところではないのです。

 --手紙にはこう書かれていた。まさにその通りで「偉大なる田舎」は誉め言葉だったのだ。都会と田舎が同居する名古屋は理想的な町、この世の極楽と言っても過言ではない。

 「そこにはどんな人たちが住んでいるの?」
 「そうね、あまり派手なことは好まず、堅実な生き方をしている人が多いかしら」

 決して自慢したわけでもないのに、またまた「ワンダフル」です。そういえば広大なお屋敷に住むデューク(王室のご親戚)が端のすり切れた年代物のベストをお召しになり、お客様の接待をされていました。そのお姿はとても感動ものでした。要は外見ではなく、内からにじみ出る人格です。

 --手紙には「ここへ来て名古屋のよさを教えられる思い」ともあったが、そうなのだ、名古屋というと人はすぐに「ケチ」だとか「ダサイ」とバカにするけど、堅実な生き方、地味な暮らしはいつの時代にも美徳であってほしい。ブランド品を追い求め、物をだだくさにしているあなた、少しは反省しなさい。21世紀は環境問題も大きなテーマとなり、名古屋人の生き方がいよいよクローズアップされてくるにちがいない。

 ええっ、そんなこと言ったって、お前が「ケチ」だとか「ダサイ」とか「偉大なる田舎だ」とかと書いたんじゃないかって? とんでもない。あれはそういうことを言っている人たちがいるとして取り上げたにすぎない。

 『100%名古屋人』は決して名古屋(および名古屋人)の悪口や批判などをしたものではなく、名古屋がいかにいいかについてコーサツしたものだ。もし、そのように誤解している人がいたとしたら、申し訳ないけど「読み方が不十分」と言わざるを得ない。しっかり読んでいただけば分かると思うが、あれは名古屋礼賛の書であり、名古屋人への応援歌なのだ。

 ちなみに「偉大なる田舎」について言えば、『新100%名古屋人』で「名古屋の時代がやってくる! 誇りにしたい偉大なる田舎」としてちゃんと取り上げている。あのとき、イギリス人の考え方にまでは及びもしなかったが、期せずして今回いただいた手紙と一致していたわけだ。都会と田舎が同居する、こんな調和的発展をしているところは、イギリスを探してみたところで、果たして本当にあるかどうか。

 手紙を拝読していて、この奥様はきっと周りから羨望のまなざしで見られているにちがいない、と思った。そして初めて耳にしたような名古屋という町が、彼らの頭の中にはまるでパラダイスのように焼き付いたことだろう。しかし、手紙の最後にはふるさと名古屋に思いを馳せながら、次のような彼女のチューモンも記されていた。

 「ただ正直に言って、名古屋を手放しで礼賛できないことも確かです。田舎らしさを誇るためにはもっと自然を、緑を大切にすること。また文化面にお金を惜しみなく使い、ゆとりある、自信の持てる名古屋にしていってほしいものです(そうなったら名古屋本が売れないか)」

 

[第2話]
はだか祭りは「おそがい」祭り!?
神男こそ「男の中の男」

 いよいよ国府宮の儺追(なおい)神事“はだか祭り”--。多くの祭りが休日などに変更されているが、ここはいまも旧暦の1月13日と決まっている。今年は都合がつかず、出られないのが残念だ。

 祭りはどれも楽しいが、参加して一番面白いのがこれだ。「ぼくもちょくちょく出るよ」などと話すと大抵の人は「ええっ」と驚き、中には「おそがにゃあか。あんなあらけにゃーお祭り」と言う人もいる。自分自身、出るまではそう思っていたけど、4年前に初めて参加して以来、すっかりやみつきになってしまった。

 とにかく寒いので、酒なしにはいられない。酒が入れば些細なケンカやイザコザも起き、儺追笹を担いで国府宮へ向かう道中、早くも血を流している人もいたりする。しかし、そんなケースは全体から見ればごくまれで、酔っ払っている当人たちも案外ケロッとしていることが多い。
 
 紙パックの酒をいつもはバカにしているけど、この祭りの日だけは作った人に感謝したくなる。一升ビンを持って繰り出すと、1人や2人は必ず道路に落として割らかしてしまう。後に続く人の白タビが赤タビになっているなんてこともあったが、紙パックの酒が登場してからはそんなこともなくなった。

 神男(儺追人)に触ろうとする、あのクライマックスのもみ合いも、意外にこわくはない。最初のときはあんな中で転びでもしたら……と心配したものだが、実際にその渦の中にいると転ぶような隙間などはなかった。それどころか、みんなにつられて必死に神男に触ろうとしているから不思議だ(まだ一度も触ったことがないけど)。

 「おそがい」は裸男に対してではなく、むしろ神男に使われるべき言葉だ。数千人の裸男の中へ素っ裸で放り込まれるのだから、これほどこわいことはない。儺追殿に逃げ込むまでは厄を払い落とそうとする裸男たちに、触る、たたく、つかむともみくちゃにされるので、よほど強靭な体力と意志のある人でないと、とても務まるものではない。

 みんなの厄を引き受ける神男の役は現在では応募制となっているが、昔はその年の恵方にいた旅人などを捕まえて、これに当てていた。「ここは濃尾平野のど真ん中、のどかな景色だなあ」などと感慨にひたっていると、刀や槍などを持った神主たちがどかどかとやって来て、訳も分からないうちに捕まえられて神事のイケニエにされてしまった。この儀式を“儺追捕り”と言っていたそうだが、宗春の後を引き継いだ尾張八代藩主宗勝は「いくらなんでも、あんまりじゃないか」とこの“捕獲”を禁止したほどである。

 神男が大変なのはこのもみ合いをくぐり抜けることだけではない。みんなからなすり付けられた罪や汚れを一身に引き受けた後、今度はそれを背負って夜間に追放される“夜儺追”の神事が待ち受けていた。『尾張名所図』には神男が土餅や人形を付けられ、白刃を振りかざした神主らに追い立てられている場面も描かれている。

 昼間のはだか祭りは数万という人出でにぎわうが、深夜に行われる夜儺追神事は意外と知られていない。本当はこちらが祭りの中心なのだが、もちろんいまでは白刃を振り立てて追い出すようなあらけないことはしない。まだご存じない方は暗闇の中で繰り広げられるこのめずらしい儀式を、一度ご覧になってみてはいかが。

 はだか祭りは面白いと書いたが、その理由の一つは個人プレーの祭りであり、ぼくの性に合っているからでもある。山車引きなどはチームプレーを要求されるので、やってみるとこれが案外しんどい。集団の一員になるのはどうもニガテで、マラソンはやっても駅伝にはいまだ出たこともない。

 こわくはないと言うものの、それでも裸男たちにケガやキズはつきもの(日焼けも加わって、風呂に入るのはこわい)。万が一に備えてフンドシに連絡先の電話番号を書くことになっているが、そんな男たちが担ぎ込まれる市民病院などでは結構これが重宝がられているらしい。最近はサッカーブームの影響か、顔や体にペインティングした若者を見かけたりするのも、これまたご愛敬である。

 ある年配の人は「昔はほんとにあらけにゃー祭りだったわなあ。みんな血まみれになって帰ってきたもんだ」と語っていた。それを思えば随分、紳士的になったわけである。そのせいかどうか、昨年は女性の参加者まであって、威勢のいいはずの裸男たちも思わず脱帽してしまったものである。

 

[第3話]
引っ越しシーズン、さて、あなたは?
信長も手を焼いた、社員の単身赴任

 これから人事異動のシーズン。早くも転勤の内示を受けた人もあるのではないか。それが遠隔の地であればあるほど、引っ越しをするにも決断がいる。

 大学生に一番人気のある就職先といえば、昔も今も愛知県庁ではなく名古屋市役所である。その理由の一つが辺鄙(へんぴ)なところへ飛ばされても、自宅から通えるエリア内にあること。この難関を突破するのは並大抵のことではなく、その前にまずメーデャー(名古屋大学)くらいに入っておく必要がある!?

 民間でも成長の著しい企業となると大変だ。どんどん拡大してゆくから、社員も同じところに落ち着いてなどはいられない。まだ独り身のときならそれも楽しくてよかろうが、地域に根を下ろす暮らしになっていると、新しいところへ移るにはやはり抵抗が出てくる。

 あの信長も家臣たちの引っ越しには手を焼いていた。“ふりだし”の那古野(名古屋)から清洲へ本社を移すときはまだよかった。なにせ当時は清洲が尾張の首都であこがれの地であったし、また、距離的にみても目と鼻の先だった。

 ところが、小牧への移転となると、もういけない。そこで信長社長の打った手は「尾張で一番高い本宮山(犬山)に移す」と宣言、幹部連中を引き連れて現地の視察に向かった。着くと築城の構想を示したうえ、「おみゃーはここに屋敷を造れ」「おみゃーには向こうの谷間の地をやる」などと気前よく与えていく。

 家臣たちは「はーあ、有り難き幸せ」などと言っているが、内心はまったく逆だ。口にこそ出さないが「いくら堅固な城を築けるといっても、こんな田舎へ来るのはどーもならんなあ。広い屋敷をもらっても、こんな辺鄙なとこでは」と思っている。まさに有難迷惑とはこのこと。

 こうしておいたうえで後日、社長は「いろいろ考えた結果、移転先は小牧山に決定する」と発表したのだ。社員たちはてっきり本宮山だと思い込んでいたので、近くて低い小牧山ならば……と大喜び。信長の右筆で『信長公記』の著者太田牛一は「これが初めから小牧山だったら、それさえもみんなは嫌がったにちがいない」ともらし、若社長の頭脳作戦に脱帽している。

 その後も成長は留まるところを知らない。岐阜から安土へ移ったときにはもっと大変だった。気がつけば城下にいる者のほとんどが単身赴任者ばかりである。

 生活はすさむ、身なりはみっともない、火の不始末でボヤ騒ぎもしょっちゅうだ。家族を呼び寄せるようにしばしばメーレーを出すのだが、女房たちはどっしり腰を下ろしてしまってなかなか動こうとしない。言うことをきかない社員たちに社長は業を煮やし、岐阜支店長の長男信忠に命じて彼らの在所を焼き討ちさせ、腕ずくで呼び寄せざるを得なかったほどである。

 信長が天下を取れた秘密の一つは当時としては革命的とも言える、こうした「本社移転大作戦」にあった。居城のスクラップ・アンド・ビルドで、どんどん“あがり”の京都へ駒を進めていく。今川義元や武田信玄のように本拠地にこだわっていたのでは、いくら領土を拡大したところで平たん線が延び、かえって足元をすくわれることにもなりかねない。

 ありがたいことに、いまは会社ぐるみの移転はまずない。自宅を焼き討ちされるようなことはなくなったが、その代わり「あなた、悪いけど一人で行ってよ」である。引っ越しも大変だけど、単身赴任もツライね


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