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その日その時
――舟橋武志の店番日記(その1)

めざすはカリスマ店員!

 

●某月某日

名古屋と津島とを結んだ津島上街道の本を出すため、著者の飯田さんに同行させてもらった。できかけた原稿を手に、道筋、道標の文字、寺社の来歴など、一つ一つチェックしてゆく。いっしょに行くのは二度目だが、季節が変わっていて今回も新鮮な印象を受けた。

コースは名古屋から美濃路を通り、新川橋で分かれて甚目寺町、美和町、佐織町、津島市へと続く約20キロほどの距離。この道は「津島上街道」あるいは単に「上街道」とも呼ばれていた。これに対する「下街道」が東海道の宮の宿(熱田)から津島市を通って佐屋町へと抜けた「佐屋街道」、別名「佐屋路」である。

津島上街道は名古屋近郊にありながら、かつての面影を比較的よく残している。周辺に新しい道路ができているので、車の通行量の少ないのもいい。尾張を通っている美濃路や佐屋路よりも、はるかに落ち着いていて歩きがいのある旧道だ。

沿線の“目玉”は甚目寺観音と津島神社。江戸時代には多くの参拝客が利用しており、地元よりもむしろ全国的にその名を知られたほど。それだけに道標も多く、「道標街道」と呼んでもよさそうである。

本は近々出版の予定。沿線にある史跡などを詳しく紹介したうえ、独りで歩けるように地図なども入れるつもりでいる。有名な街道ももちろんいいが、身近にあるB級街道にこそ注目してみたい。

 

●某月某日

春先に自費出版した人の本がこのほど100部増刷されることになった。著者が一生懸命に売ったこともあるが、この種の本が増刷されるのはまれだ。編集の手伝いをした者として、人ごとながらうれしい。

彼はこの本を出すためにパソコンを習い始め、一年近くかけて原稿を打ち込んだ。その数ざっと四十万字、四百字詰め原稿用紙に換算して約一千枚。それを収めたフロッピーを目の前に出されたとき、正直言って断るに断れなかった。

初めての入力と聞かされただけで、こちらは腰が引けた。案の定、誤入力や変換ミスは至る所にあり、改行マークがなかったり、改行の頭が一字あけてあったりなかったり。あまりにもお粗末なできであるし、加えて、文字量は普通の単行本3冊分以上である。

予算は編集から印刷までの一切を含めて300部(B5判)60万円。しかし、彼のこれまでの努力と執念を思うと、何とかして形にしてあげたかった。出版に当たっては8回校正し、それなりにベストを尽くしたものの、それでもミスはかなりの個所で出てしまった。

これまでに何百冊と本を作ってきたが、これほど手間のかかったものはなかった。今回の増刷で間違いなども修正でき、著者ともどもやっと納得できた感じ。それだけにこの増刷はよけいうれしい。

 

●某月某日

本のダンボール箱を持ち上げた瞬間、腰にピリッと電気が走った。「しまった、またギックリ腰だ」。思ったときはもう遅く、前かがみでしかいられない。

腰のことはすっかり忘れていた。これが二度目の災難だ。初回は何とラーメン屋のカウンター席から、中腰でどんぶりを受け取ろうとしたときになっている。

ギックリ腰の痛さは実際になった人でないと分からない。またもや整形外科に通うことになった。医者にかかるのは大嫌いだが、こればかりはすすんで行くより仕方がない。

痛い注射を打ってもらった。そのおかげか3回通って、どうにか痛さも治まった。今回は前回とは違って「名誉の負傷」だが、これからは重いものを持つときには十分気を付けなくては……。

そして、体をもっと鍛えておかなくては……と痛感した。以前やっていたマラソンも、このところ全然していない。ギックリ腰は忙しさにかまけて体力維持に努力してこなかった警告と思う他はない。

 

●某月某日

なにぃ、これ? それなりに立派な本屋が看板を換えてケバケバのアダルト関係の本屋になっている。半年ほど前に『ナゴヤベンじてん』30冊の注文をもらい、お届けしておいた店だ。

売れていれば集金と補充をお願いしたいし、残っていれば迷惑にもなるので引き上げたい。そんな思いでおじゃましてみたら、前述した通りのありさまだ。

本屋さんの廃業はいまどきめずらしくもない。そうした場合は普通、「引き取りに来てくれ」と事前に電話の一本もあるものだ。こちらも「お疲れさまでした」「ごくろうさま」と労りの言葉の一つも掛け、日ごろのお世話に感謝し「これからも頑張って下さい」と激励することになる。

が、今日は後味が悪かった。ぼくのところはいずれも少部数の出版で、本屋さんには出荷していない。しかし、こうした「売ってやる」というやる気のある店へは直取引でお願いしてきた。

うがった見方をすれば、商品が取次から思い通りに入ってこなくなったからだったのだろうか。よい方に解釈すれば、廃業直前まではやる気に燃えておられたのだろうか。それだけに土壇場に立たされても「(本を)取りに来てくれ」と言っていた人たちがいよいよ立派に思えてきた。

立つ鳥、後を濁さず。何事も後始末が肝心だ。

 

●某月某日

異業種交流会と言うともっともらしいが、その実態は単なる飲み会? 月1回のそんな集まりに参加させてもらっている。メンバーの職業は様々で、違う世界が垣間見られて楽しい。

先日開かれた例会は幕末に起きた「青松葉事件」がテーマ。講師(ゲスト)に1時間余り語ってもらうわけだが、このときも酒を飲みながら拝聴することになる。以前、「オレの話をサカナにして酒を飲むな」と怒り出したゲストもいたっけ。

これが終わると一人一人が順繰りで近況やら心境を語る「今月のストレス」。実はこれが一番面白い。ゲストからメンバーになってしまった人も多い(実は筆者も)。

「最近の株高は作られたもの。その前に小泉とヘッジファンドの代表が会っている」と証券マン氏が言えば、「もう、やってられないよ」と自衛隊関係者からの報告。放送局に勤める人は「テレビ局がつぶれてもおかしくない時代に入ってきている」といった内輪話も。

会は「メモを取るな」が原則。言いっぱなしで「ここだけの話」も多い。この会はもう20年以上も続いており、最近はメンバーの若返りが大きな課題となってきている。

 

●某月某日

急用で公衆電話を探したが、なかなか見つからない。やっと出会った電話ボックスにはすでに先客がいた。待ちながら周りの風景を眺めていたが、ふと見ると話し中の人は自分の携帯電話でしゃべっている。

なんでケータイを持っている人がこんなところで長話をしているのか。怒れてきてしまって、ドアをたたいてやりたい心境になってきた。その男はボックス内に張られたフーゾクのチラシを見ながら話しているので、こちらに気付かないでいる。

目が合うと「おれが楽しく話している最中に、なんだ、このオッサンは」といった表情でにらみつけ、渋々出てきた。こちらも「ケータイがあったら、こんなとこに入って話すな」という顔で見返してやった。とんでもないヤツがいたものである。

後で考えたら、そこは大通りに面していており、どうも騒音を避けていたらしい。これから寒くなると風除けに入るヤカラも出てくるかもしれない。ただでさえ公衆電話が減って困っているというのに、こんなのに占拠されたら利用者が迷惑する。

 

●某月某日

ブック・オフへ雑本を売りに。ダンボール箱一つ分、約40冊で1350円。1冊50円か100円で、値の付けられないのがかなりあった。

まあ、だいたいこんなものだ。安いことは分かっているが、店頭に並べてもらえばほしい人の手に渡る。ゴミに出してしまったのでは、本に申し訳ない。

古本屋はブック・オフをライバルと思われがちだが、実はそうではない。店で売れないものを持ち込んだり、いいものがあれば買ってきたりもする。たがいに補い合える、意外にいい関係にある。

熱心な古本屋ほどブック・オフによく行く。滅多にはないが、時にはよだれの出そうなものもある。そうしたものはブック・オフの店頭では売れそうにないが、それなりの古本屋に並べば売れてゆく可能性は高い。

しかし、こうした補完関係が築けるのもブック・オフくらいだ。他のリサイクル書店では本がそれほど充実していない。古本屋にとってブック・オフはゴミの山であると同時に、また宝の山でもある。

 

●某月某日

古文書の勉強会を月3回やっている。受講者は年配の人が中心だが、そんな中に交じって20代の女性もいる。実に頼もしい。

若いころから覚えれば、きっとものになる。外国語などでトップに立つのは並大抵のことではないが、古文書ならやる人も少ないのでそれも夢ではない。自分の得意技を持つ一番手っ取り早い方法は、みんながやらないことをやればよい。

印刷業界も少部数を安く作れるオンデマンドが普及し出した。中には、それを売り物に営業に来てくれる社もある。が、話を聞いてみると数冊単位なら抜群に安いが、数百冊となると昔ながらの軽印刷の方がまだましだ。

古いものの方が新しいものより優れていることも多い。時代の先端を目指すのではなく、落ち穂拾いに徹するもの一つの生き方だ。古本屋はそんな見本のようなものでもある。

街づくりにしても、古いものを守った方が時代を先取りできるかもしれない。近代化で競い合うには切りがないが、古いものの保存ならそれよりも簡単だ。中山道の妻籠宿はその代表のようなところだが、しかし、あそこまでやられるとスタジオのセットのような気がしないでもない。

このところ中山道は馬籠や妻籠よりも、醒ヶ井や柏原、鳥居本などの方へ足が向きがち。ひなびた風情がかえって宿場の雰囲気を感じさせてくれる。また関ヶ原から西の方へ歩いてみたくなってきた。

忙しいとよけいに遊びに行きたくなる。原稿の締め切り前に限って、なぜか本が読みたくなってくる。このへそ曲がりぶりには自分でもあきれるほどだ。

 

●某月某日

大学同期の同窓会があった。この年、浪人しなかった人は還暦を迎える。卒業以来、初めて旧友たちに会った。

事前に、出欠にかかわらず近況を書くように、と葉書が同封されていた。当日、それらを並べた冊子が配られた。様々な人生模様が垣間見られる中、やれやれ一休みといった安堵感が漂っているようでもあった。

冊子には60余枚の葉書があったが、縦書きで書いていたのはぼくとあと一人だけだった。これには驚いた。若い人ならいざ知らず、同年代の者がみな横書きとは。組織にいると縦書きなどは通用しないということか。

縦書きのあと一人は50歳で会社を辞め、木工職人の道を選んだ人だった。これも素直にナットクした。

大学を出て38年間、みんなそれぞれに頑張ってきたよ、なあ。中には大学の先生をしていたり、これからするという人も何人かいた。後は好きなことをして過ごすという人もいた。どう歩むにしろ、人生はまだまだこれからである。

 

●某月某日

『武功夜話』の吉田家ではいま文書の整理が行われている。これには大変な経費と時間がかかっているはず。旧家ならばこそ可能だろうが、それにしても大きな負担になっていることだろう。

同書はいまや同家だけのものではない。江南市のかけがえのない宝物であり、尾張や愛知、日本の文化財だと言っても過言ではない。「他見無用」の家訓が解かれたことでもあり、これから研究が進むことを期待したい。

同家では保存の一つとしてCD-ROMに納められているそうだ。しかし、1枚に72カットしか入らず、これからプリントアウトしようとすると、1枚に数分もかかってしまうとか。便利なように見えて結構、不便でもある。

いまはCD-ROMもいいが、10年先、20年先はどうなっていることか。ハードがどんどん進化し、ソフトが使いものにならなくなってくる。出版でもデジタル化が進みつつあるが、現時点のものには有効だろうが、後世に残すという視点ではいささか心許ない。

レコード盤はあっても、ブレーヤーがなくなってしまった。8ミリで記録した映像も、いまでは見るのに一苦労する。つい先ほどまで使っていたパソコンのフロッピーですら、MOやCD-ROMなどに代わられて姿を消しつつある運命なのだ。

そういう意味で紙媒体である本は実に偉大である。簡単に持ち歩きできるし、どこででもパッと開ける。パソコンがいかに進化しようが、停電で周りが困ろうが全然関係ない。以前「遅れているものほど進んでいる」と書いたが、そんな事例がこんなところにもあるのではないか。

 

●某月某日

デジタル放送は確かにきれいだ。が、高い金を出して買い換える気にまではならない。「チェンジ・デジテレ」などと言って宣伝しているが、現在のものに不満を持っている人がそれほど多いとは思われない。

そんな疑問を持っていたら今月の「全建総連」の機関誌がコラムで明快な答えを出してくれていた。「NHKはこれまで鳴かず飛ばずだったハイビジョンをこの機に普及させようとし、民放もアナログからデジタルへの変換にかかる約1800億円という莫大な費用を国が全額肩代わりしてくれる(当然、税金)。メーカーも新しい高価な機器が売れる」。なるほど、そういうシクミだったのか。

わが家のテレビは20年以上も前のものだが、これで別に困るというようなことはない。車だって18年目に入った。テレビは映ればいいし、車は走ればいいと思っている。

ただテレビには一つ問題がある。アンテナにカラスがとまると、どこか一局の映りが悪くなる。それが民放なら我慢もできるが、NHKに回ってくるとつらい。一度、アンテナをしっかり固定しなくては。

 

●某月某日

これから営業時間内は店内にいるようにした。片山さんが来てくれたのをいいことに、店を空けることも多かった。が、やはり専門店だから留守番がおればいいというものでもない。

本屋はこと接客に関しては「ありがとうございました」と言っていればよい商売だ。ところが、うちではいろいろ聞いてくる人とか、説明しなければならないことも多い。もちろん、中には「舟橋さんと話していると、いらぬ本まで買わされてしまう。いてもらわない方がじっくり選べていい」という声もないわけでもないのだが。

最近、お目にかかっていない人が多いことに、ふと気付かされた。どうも理由が店にいなかったことによるものではないか、と思えてきた。こちらだってお会いしたい。

店番の楽しみは本が読めることだった。お客さんがないのはさびしいが、本当はうれしかった。このごろどうもその楽しみがないと思っていたら、席を片山さんに譲って座るところもなくなっていた(狭い店内で新たに机は置けないし、まさか自分の店で立ち読みという訳にもいかないし……)。

それはともかく、これからはいつもいるようにしたい。先ごろ棚をいじくったし、在庫量も増えてきた。近くにおいでの折には気軽にお立ち寄り下さい。

 

●某月某日

「舟橋さんは著者に本を売らせとるのか。本屋にいたらおじいさんが頼み込んどるで、聞き耳を立てとったら、その本の著者だったがや」

来店した知人がこんなことを言い出した。「おじいさん」とは失礼な、散歩の達人でまだ若いぜ、飯田さんは。

彼は「売らせとる」といかにも仕向けているように言うが、著者(『津島上街道』)の飯田さんが自主的にやって下さっていることだ。うちは本を作っても自分の店に置くだけで、他店などへの営業活動はしていない。ありがたいことに、自宅近くの書店何店かに頼んでいただけた。

飯田さんからは「駅でチラシでもまこうか」とも言われたが、「そこまではしてもらわなくても」と言って遠慮していただいている。彼のような人がいると、また「この寒いのに著者にチラシまかせて、おみゃーは家で酒を飲んどるのか」と言われかねない。

この本に限らず、うちでは力を入れるのは作るまで。あとは自分で読者を求めて歩いて行け、という一種の放任主義なのだ。できのよい者は自分で落ち着き先を見つけるし、悪いのはいつまでたっても売れ残っている。

が、本というものは代替性がきかないからありがたい。探し求めている人はいろいろな手づるで、いつかはたどり着いてくるものだ。居座る本に今日も「死ぬまで面倒を見てやるから、心配しなくていいんだよ」と言い聞かせている。

 

●某月某日

名古屋駅前で再開発が進んでいる。うわさによると、豊田毎日ビルに巻き返しを図る松坂屋が入るとか。ツブレタ豊田そごうに松坂屋が入ってくれたお返しに、豊田は新しくできるビルに入れて支援するという構図らしい。

名古屋の百貨店はJRのセントラルタワーに入居した高島屋の独り勝ち。そうなると松坂屋は既存の駅前店と挟み撃ちで迎え撃つ格好になる。高島屋の快進撃を見せ付けられて、伊勢丹や大丸なども進出の機会をねらっているらしい。

名古屋はいまだに流通の暗黒大陸だ。これまでも結構、閉鎖的であった。このところディスカウント店などの進出が目立ったが、次に来るのは百貨店なのだろうか。

しかし、名古屋人も一筋縄にはいかない。相変わらず「倹約」「質素」「始末」を信条としており、どこまで財布のひもをゆるられるか。高島屋は成功したものの、やっぱり暗黒大陸のままだったりして――。

 

●某月某日

とんでもない“特ダネ”が飛び出してきた。メルマガ「名古屋なんでか情報」の連載「名古屋奇人伝」の伊藤萬蔵さんが文久元年(1861)に寄進した狛犬が見つかったのだ。一挙に20年もさかのぼることになった。

これまでに分かっていた中で一番古いのは、明治13年に寄進されたものだった。この年の常夜灯が萬蔵さんの誕生地である一宮市平島の六所神明社や熱田神宮など6カ所で確認されている。これが最初の年と思われてきたが、まさか20年も前の江戸時代のものがあったとは――。

“発見”とは言っても、その町の人や参拝した人には目に見えているものだ。が、萬蔵さんに関心がないと、その存在意義や貴重さは分からない。市江さんならではの大発見だ。

当の市江さんはいまだ興奮さめやらない様子。「こんなことで喜んでいるのは、われわれが奇人なのかも」。いや、そんなことはない。これは萬蔵さんケンキューにおける、これまでにないビックニュースだ!

 

●……それにしても「某月某日」ばかりだったなあ。    

 

 

■その日その時 ――舟橋武志の店番日記(その1)
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