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名古屋弁講座 その28

「たしない」

さすがは名古屋人、ものを粗末に扱わない

 近松門左衛門の言った商人道の三要素は「才覚」と「算用」と「始末」である。時代を先取りする「才覚」、数値でしっかり管理する「算用」、それに無駄遣いをしない「始末」があれば、だれもがいっぱしの商人=経営者になれる。が、現実となるとこれがなかなか難しく、発想は優れていても数字に弱かったり、金は稼ぎ出すけどだーだー漏りだったりと、三拍子をうまく備えるのは並大抵のことではない。

 この三要素を三英傑に当てはめてみると、信長が「才覚」、秀吉が「算用」、家康は「始末」の人となるか。地域に当てれば東京が「才覚」、大阪が「算用」、そして名古屋は「始末」の幅をきかす大都会。当然、名古屋人に人気があるのは「始末」の家康で、名古屋まつりの郷土英傑行列ともなると、家康役になりたがる人が一番多い。

 「ちょっと、ちょっと。まあちょっと始末しなかんがね」

 無駄遣いをしている人を見ると、ついこう言って注意したくもなる。名古屋人は「けち」と言われるように、「始末屋」の多いのはだれもが認めるところ。すごいのは、それでいてだれもが自分を「けち」だとか「始末屋」だとかと思っていないことだ。

 この「始末」に優るとも劣らない名古屋弁が「たしない」である。「始末」は「まだある」状態を前提としているが、「たしない」には「もうない」「いまになくなる」せっぱ詰まった状況しかない。あっても、ない……この言葉一つからも名古屋人がいかに「けち」であるかがよく分かる。

 「こにゃーだおごってまったで、今度はおごらなかんけど、小遣いがたしにゃーでやっすぃー居酒屋でごまかすか」

 こうははっきり口にしなくても、出すのを惜しんで頭の中で計算していたりして。「お米がたしない」「紙がたしない」「予算がたしない」。こうして「たしない」を念仏のように唱えておれば、少なくとも近松門左衛門の言う三要素の一つは身につけていることになる。

 これと逆なのが「粗末に扱うこと」「大切にしないこと」を意味する「だだくさ」だ。「だだくさ」は駄菓子や駄馬などの「駄」に「たくさん」がついてできたもの。無駄がたくさんあるようなセーカツは許せるわけがなく、「そーもだだくさにしやーすな」と注意したりする。「たしない」と「だだくさ」とは反対のように見えて、その実、意外と仲がよい。

 「これ、たしにゃーで、そーもだだくさに使ってかん」

 こんなふうにセットで使うと説得力が増してくる。「たしない」の意味はもうお分かりの通り、「(物が)少ない」「乏しい」ことを言う。漢字で書けば「足し無い」。『広辞苑』には浄瑠璃の「義経千本桜」から「終に泣かぬ弁慶がたしない涙をこぼせしは」の一文も載せられている。

 ということは古くからあった言葉と見られ、古語辞典にもちゃんと「たしなし」で載っていた。「たしない」は中部や関西、中国地方など広く用いられている言葉だが、何事にも「始末」を旨とする名古屋にこそぴったりのもの。これほど物があふれているときでも「たしない」は依然健在なのである。

 物を大事にする「たしない」の精神はいつまでも大切にしてゆきたいもの。「けち」や「始末」は決して恥ずべきものではなく、環境の世紀と言われる21世紀を生きるキーワードともなり得るものだ。これからは「たしない」を守り続けてきた名古屋人の生き方が世界人類のお手本になる!

 


 

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