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名古屋弁講座 その21 | |
「ひね」 |
はたちのOLより女子高校生がええと言ったらいかんよ「こんなひねカボチャ、食べてもうまにゃーでかんわ」 夏の終わりごろのことだ。畑に大きなカボチャが放置されたままになっていた。たまたま農家の人が居合わせたので「なんで捨ててくの、こんな大きいの。もってゃーにゃーがね」と聞いてみた。そのときの返事が「ひねカボチャ」だった。 「ひね米(まい)」「ひね豆」「ひねショウガ」……成長しすぎてしまったものを「ひね」と言っている。人間、高齢化するにつれて円熟味も増してくるが、カボチャや米は味が落ちてくるばっか。 いや、人間でも「ひねる」のはよくない? 小理屈を並べ立てる老人に対し「あの人はひねとるで、つきあゃーにくぃ」と陰口をたたいたり、大人びた子供に会ったりすると「おみゃー、えりゃーひねたこと、言うだにゃーか」とからかったりもする。「ひねる」は「ひね」の動詞形だ。 この「ひね」は「おくて」とか「古びること」あるいは「古びたもの」の意味。わが国最古の漢和辞典『和名抄』に「おくての稲」の意として「晩稲、比禰」とある。「ひね米」は「ひねカボチャ」同様に敬遠され、さらには大人びたことを言ったり老成した人を指すまでに発展してしまった。 「ひねる」の同義語に「ひねくれる」がある。「ひねくれる」の方が「ひねる」よりも語調は強い。「あの人はまんまりでゃーじに育てられたもんで、わがままでひねくれてまっとる」。こうした症状の人を「ひねくれ者」とも言ったりもする。 卵を産まなくなったニワトリは「ひねドリ」だ。子供のころは家でニワトリが飼われていたが、口に入るのは「ひねドリ」になってから。「わかドリ」など、もったいなくて、口にできるわけがない。 ある養鶏家にお会いした。名古屋コーチンにこだわり、その道では名の知られた人だ。普通は生後百三十日前後で出荷されるが、この人のところでは百六十日ほど飼ってからだとか。「三十日の違いはそんなにあるのか」と尋ねたら、「例えは悪いが」と前置きして「女高生と二十歳前後の女性ほどの差がある」と。これには妙に納得してしまった。 グルメ時代とあって、名古屋コーチンが見直されている。このおいしい肉を安く提供しようと、東南アジアなど海外で育てられたのも登場してきているほど。そんな中にありながら、この人のこだわり方は尋常ではない。 「飼育期間がよそより長いばっかじゃないよ。うちではひねも飼っとるでよう」 人の欲望は尽きることなく、こくがあって固めの肉を望む人もあるとか。この背後には子供のころに食べた鶏肉への思いもあるのかもしれない。 こうした要望に対応しようというのが「ひねドリ」の飼育だ。さすがに卵を産まなくなるまでとはいかないらしいが、それでもかなりの期間、飼うことになるとか。話を聞いていて、ぼくは「すると三十代か四十代の熟女くらいになるのかなあ」と勝手に想像してしまった。 この原稿を書いていたら久しぶりに「ひきづり」が食べたくなってきた。子供のころ、わが家で飼われていたニワトリもおそらく名古屋コーチンだったのではないか。名古屋コーチンはパチンコと並び、名古屋が生み出した最大のヒット作だった。 客のないのを幸い、店番をしながら原稿を書いてきたが、あれ、そう言えば棚にあるのは「ひね本」ばかりじゃないか。ひどいのは開店以来、ずっと居座り続けているものもある。やっぱり「ひね」はあまり歓迎できるものではない。 |
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