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デジタルとアナログのはざまで

【第二話】

 

夢まぼろしだった有料メルマガ

6月はメールマガジン「名古屋なんでか情報」を出し始めて一年がたった記念すべき月だ。「なんでか」は「なにやかや」とか「いろいろ」という意の名古屋弁で、それに「どうしてか」という共通語も掛けてある。郷土史を中心とした地元ネタにこだわった、毎号2万字にも及ぶ名古屋てんこ盛りマガジンだ。

この6月1日に第38号を出した。訳も分からないパソコンで原稿を書き続けてきたが、思えばこの1年は「当て事とモッコフンドシは前からはずれる」の連続だった。何かと話題になるメルマガも、「のれんに腕押し」のこんないい加減の媒体だとは、正直思ってもいなかった。

昨年の4月に同じ題名で毎週無料で出し始めた。原稿の量は現在の半分にも満たなかったが、読者は号を重ねるごとに増えていった。有料に切り替えた6月の時点で、早くも260人を越えていた。

知らない人には「何だ、そんな程度か」と思われるかもしれないが、これは大変な数字なのだ。いままでミニコミや雑誌を何度も出してきたが、こんなに反応のよいことは一度もなかった。ダイレクトメール一つを出すにしても、260通となるとかなりの労力がいる。

それが印刷媒体とは違って、1円の経費もかからない。しかも、瞬時に配信できてしまう。活字離れが言われてすでに久しいが「逃げたサカナはこんなところ(メルマガ)に集まっていたのか」と本気で思ったものだ。これではまさに入れ食い状態ではないか。

「こりゃ、有料にしたらもうかってまうがや。こんな調子で伸びていけば1000人も夢でにゃあ」

6月から税込み315円の有料メルマガにした。好きなことを書いて月に2、30万も稼げたら、こんなボロイ話はない。が、現実は前に書いた通りだった。

1年出してみてはっきりしたことは「有料メルマガは読まれない」「インターネットはタダの世界」ということだった。自分も仕事で調べものをするときなど、補助的ながらインターネットのお世話になる。が、情報を得るのに金を払ってまでしたことはなく、これに関して大きなことを言えたものではない。

では、この1年間にどれくらいの読者が獲得できたのか。これはCBA(Chubu Bakatare Association)調査?によると「同社は3桁の数字を口称しているが、その実態は2桁の前半台」という悲惨な結果になっている。こう書くと「そんなことで、よく出しとるなあ」と笑われそうだが、これが真面目なメルマガの現実なのである。

しかし、これくらいで驚いていてはいけない。お世話になっている「まぐまぐ」社は先ごろ同社のホームページを大幅に改訂した。その目玉の一つがジャンル別にした、読者数によるランキングの公開である。

ぼくのメルマガは「旅行・地域情報」部門として取り扱われているが、何とこの数字で第二位にランクされている。部数を知っているだけに、発表されたとき、これにはぼく自身が一番びっくりした。オリンピックで言うならこの数字で表彰台に立て、銀メダルをもらえてしまうではないか!

その後に得た情報によると「有料メルマガで1年も続いたケースはめずらしい」という、小誌に対する賞賛とも嘲笑とも受け取れるウワサだった。「まぐまぐ」では現在649誌の有料メルマガが発行されているが、鴨長明が「かつ消え、かつ結びて」と表現したアブクのような存在らしい。これでもうかっているのは百に一つもあるのだろうか。

このような状況の中で、ここ1年間のたうち回ってきた。当初は週刊で挑戦していたが、11月からは旬刊になり、そして今年の5月からは月2回刊になった。その間に「パソコンはやっていない」という人の要望に応え、写真などを入れて再編集したプリント版も出している(メルマガはテキストのみ)。

メルマガが月315円であるのに対し、プリント版は送料も含めて10号分1900円。自分で言うのも何だか、かなり高くついてしまう。それなのにメルマガからプリント版に乗り換える人も結構ある。

デジタルばやりの昨今だが、歴史のあるアナログは簡単には死なない。ましてや読むという行為はモニターになじまないのではないか。いま必要なことはおたがいのいい面を理解し、上手に使い分けてゆくことだと思っている。

 

発行は楽しく、執念深く

ライターの悪習は締め切りがないとなかなか書こうとしないことだ。「いつでもいいですから」などと言って頼んだ日には、いつ出来上がってくるか分かったものではない。ものごとを頼むとき「暇な人よりも忙しい人に頼め」と言われているが、まさにそれと似ている。

メルマガを出し始めて一番よかったのは、確実にその締め切りが来てしまうことだった。たとえ読者はわずかだったとしても、待ってくれている人がいる。何回かは遅れて発刊したこともあったが、締め切りに追われて何とか出し続けてきた(ただし、月2回刊に切り替えるとき、1カ月だけ休刊している)。

当初は週刊でめちゃめちゃやる気でいた。それが売れないと悟ったいまでは1日と15日の月2回刊。ペース的にはこのあたりが無難なところだろうか。

若いころからミニコミや雑誌をよく出してきた。ツブレルから出すことになるわけだが、いま思うとわれながらあきれてくる。あのころ、現在のようなメルマガがあったら、無駄な時間や金を費やすこともなかったはずである。

20代に『名古屋ジャーナル』を市販したが、わずか3号で廃刊になってしまった。これがきっかけとなって編集業界へ足を踏み入れ、ひいては出版へのめり込むことになってしまうのだが、『名古屋ジャーナル』廃刊後に個人通信として出し始めたのが月刊の「マイタウン名古屋」だった。これはB5判・8頁から12頁ほどのもので、延々と100号手前(確か97号)までいった。

その間、本の販売促進を兼ね、書店店頭で配布する「ぱぴるす」という新聞を出した。仕事を取るため、企業向けに「えんぴつ」というPR誌を出した。零細出版をネタにした『鉛筆小僧』という雑誌を出した。友人とパソコンの難しさを嘆く季刊誌『まっく・ふれんど』も出した。もっと小規模・少部数のものなら、他にもまだいくつかある。

が、いずれも10号まで行かないうちに廃刊となってしまった。広告を取ることには無関心だったし、動いたところで取れないことは分かっていた。雑誌は広告なしで成り立つはずがないが、それが分からないのがライターゆえの悲しさである。

雑誌の継続は単行本の出版よりも難しい。新しい号が出れば、前の号はゴミになる。それは一旦出したら、休むに休めぬ金食い虫だ。

その点、メルマガはタダで出せる革命的な媒体だった。「よくやっとるなあ」と笑われるかもしれないが、活字媒体の苦しさを嫌というほど味わってきただけに、大変などと思ったことはいっぺんもない。それどころか夢をかなえてくれる魔法の杖のような気がする。

メルマガからプリント版が生まれた。そのプリント版を集めれば合本にもなるが、昨年分はすでにA4判で300頁を越す大冊となっている。また、連載の中からは単行本を生み出すこともでき、近くその第一弾『名古屋の宮本武蔵』が出来上がってくる予定だ。

創刊当初は「捕らぬタヌキの皮算用」で、かなりの期待を寄せていた。それがもうからぬと分かると、読者よりも自分自身が楽しむことに切り替えた。これは『名古屋ジャーナル』後に出していた「マイタウン名古屋」の再現のようなものだ。しかも、まったく元手いらずの。

「まぐまぐ」には「まぐまぐの本」というコーナーがある。先ほどメルマガを有象無象のように書いたが、中には出版社から本として出されるものもある。そんなものに交じって、たった100部出版の合本「名古屋なんでか情報」平成15年版も紹介されている。

最近、事情を知る人からは「一年もよく続いたなあ」と言われることも多くなったが、ナニガナニガ、今度ばかりは廃刊する理由が見当たらない。金はまったくいらず、こんなにも楽しめる。ぼくにとってコンピュータの与えてくれた最大の恩恵がメルマガを出せることだった。

1周年を迎えたのを機に、毎月1回、特集として組んでいた入荷情報をやめ、新たに無料のメルマガ「今月の入荷情報」(毎月月末)を出すことにした。かなりのスペースを取っていたし、関心の薄い人たちからは不評の特集だった。今回の処置によって誌面はより充実してくるだろうし、無料のメルマガは営業的にも貢献してくれるのではないかと期待している。

部門別でいまに金メダルを取ってやる。部数の伸びないことは百も承知している。いつまでも続けることによって、トップが転げ落ちてくれるときを密かにねらっている。

 

【第二話】デジタルとアナログのはざまで
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