どこへ行く「まっくふれんど」


 ええっ? そんなセッショーな

 「まっくふれんど」創刊号の原稿がどうにか集まった。完全版下にして印刷所に回す一方、内容見本として「地方・小出版流通センター」(以下「地方・小」と略)にそのコピーを送った。何はともあれ、これで一段落つけることができた。

創刊号 印刷部数は当初五百部を考えていたが、作っているうち、だんだん愛着が湧いてきて千五百部に。千部を「地方・小」で売ってもらい、残り五百部を地元書店でさばいていくケーサンだ。これぐらい売らないとペイしないし、雑誌を再生産してゆけそうにない。

 ところが思ってもいないことに「地方・小」の川上代表から「内容が私的で取り扱いはできない」とのファックスが。まさか川上さんから断られるとは思ってもみなかった。以前『名古屋名物・鉛筆小僧』という私的でチャチな雑誌を創刊したとき、当然のように全国の有力書店へ流してもらえたというのに。

 ちなみに「地方・小」というのは、取次(問屋)に口座を持てない「地方」の出版社や在京の「小」出版社が「地方・小」という共通の窓口を持つことにより、取次へのルートを確保しようとするものだ。いわば配本ルートのバイパスであり、二次取次とも言える。口座を持つことのできないわれわれレーサイ出版社にとって、これほど頼もしい味方はない。

 が、頼りとするその「地方・小」に、どしょっぱなから断られてしまったのだ。しかも創刊号はいまにできあがってくる。「こうなれば自分たちの足で売るしかない」と決心すると同時に、「こりゃひょっとすると、また水子本だぜ」という嫌な予感が走った(せっかく作られながら書店に並べられず、闇から闇に葬り去られてゆく本を「水子本」と名付け、しかも悪いことにこれまで何度も体験ずみだった)。

 そうこうするうち、創刊号ができあがってきた。喜びと不安が複雑に入り交じるが、これを手にするのは制作者の至福のひとときでもある。すでに読んだ原稿ばかりではあるが、雑誌という形を通して読むのはこれが最初であり、また特別の感慨も湧いてくる。

 そんな幸せもつかの間、ぼくの書いた原稿の本文「センセイ」(先生)が「セイセイ」となったままだ。尾曽さんの「ホームパーティ」とあるべきものが「ホームページ」となっている。校正はそれなりにやったはずだが、読み進むうちにボロが出てきて、背筋に冷や汗がにじみ出てくるのだった。

 が、そんなササイなこと?に、こだわっているときではない。犯した過ちをいまごろアレコレ思案しても始まらない。問題はできてしまったこの雑誌を、どうやって売りさばいてゆくか、だ。

 改めて「商品」を見ると、どことなく頼りない。表紙はスミ一色のたどたどしいデザインであり、いかにもシロウトが作りましたという感じだ(もっとも、そうだから仕方がないが)。本文はわずか三十四ページしかなく、中身に至ってはそれぞれが好き勝手に書いていて、単なる雑文の寄せ集めでしかない。

「こんなので、売れるかよ、なあ……」

 期せずして二人はこうつぶやいてしまった。できてきたばかりの「まんくふれんど」をペラペラやりながら。

 悲痛、書店に置いてもらえない

  日を改め、尾曽さんと書店回り。一番最初に訪れた千種区のT店では店長さんらと面識があったためか、思っていた以上の三十冊を置かせてもらうことができた。気をよくしてその姉妹店へ行くと、担当者から「悪いけど、これじゃあ売れませんよ」とはっきり断られてしまった(本当はこちらの方にこそ置いてほしかったのだが)。

 名駅前のS 店では雑誌担当者にも、理工書担当者にもあっさり断られた。その足でH 店へ行くと幸いにも店長さんにお会いでき、理工書担当者を紹介してもらって、その圧力?でやはり三十冊置かせてもらうことができた(Kさん、ご無理を言ってすみません。邪魔になるようでしたら、すぐ引き取らせていただきますから)。

 明と暗、捨てる神と拾う神。ここまでを打率に換算すれば五割と好調だが、その後はみじめそのものだった。「ええっ、こんなの売るの?」とびっくりされ、「どうせ置いても売れないから」とすげなく断られ、中には「この程度の内容じゃ、パソコン通信でやってることと同じじゃない」「果たして活字にする必要があるのか」(事実、われわれの中にもそうした思いがあるにはあった)と文句まで言われる始末。五軒訪問して一軒置いてもらえればいい方だった。

 こんな事態にならないためにも、定価三百円のうち百円をマージンとして取ってもらうことにしてある。書店さんにやる気を起こしてもらうための大盤振舞(普通は定価の二割強)だが、この優遇措置にも「売れなきゃ意味ないですよ」とすげない。そして「いまパソコン関係の雑誌は別冊や増刊号なども含めると三百誌ほどある。これを置くスペースがあるなら、並べられずに返品している他のものをもっと置きたいほどですよ」とまで言われてしまったケースすらある。

 なるほど、そんな状態では致し方ない。逆にぼくが向こうの立場だったら、きっと同じような態度をとっていたにちがいない。が、いまはそんなユーチョーなことは言っておれず、難しいとみた書店回りを数日であきらめ、今度はパソコンショップに新たな活路を求めることにした。

 パソコンと言えば名古屋では大須だ。東京の秋葉原、大阪の日本橋と並ぶ、わが国三大パソコン街の一つ。本や雑誌の置かれている店を選び、尾曽さんと二人で一軒一軒回り始めた。

 回っていて分かったのは、よほど本格的にやっているというのならいざ知らず(こんな店は名古屋で一軒しかないが、その店もやっぱり断られていた)、パソコンショップでは本や雑誌などは有力商品とみなされていないということだ。ほとんどが仕入れから管理まで取次まかせで、これに積極的にかかわろうとする姿勢は見られない。そりゃそうだ、本命はパソコン本体やその周辺機器であって、本など単価の低いものはメじゃなかろう。

 こんなわけで最後の拠り所としたパソコンショップの夢も、まるで蜃気楼か陽炎のようにはかなく消えていった。書店も駄目だった、パソコンショップも駄目だった。われわれ二人に残されたのは限りない疲労感と哀れな雑誌の山だった。

 結局、一週間ほど回って置くことができたのはわずか十数軒だった。厳しいとは予想していたが、まさかこれほどのものだったとは。これでは三分の二以上が水子雑誌となって、日の目を見ずに終わってしまうではないか。

 開けてびっくり?玉手箱

 置いたは置いただで、今度は売れ行きが気になる。尾曽さんの「一度、書店を回ってみましょうか」という言葉を「やめた方がいい。『ちょうどいいところへ来てくれた。持ち帰ってくれ』と言われるのがオチだから」と制した。それでも気になるのか、彼はこっそり様子を見てきたらしい。

 「おかしいですよ。T店もR店も店頭に一冊もないんですよ。ひょっとしたら売り切れたかも……」
 「まさか? 棚の下の引き出しか店の奥にでも置いてあるんじゃないのか」

 そうこうするうち、投書は郵送されてくるわ、電子メールは届くわで、読者からの反応が出だした。勇気づけられて書店を回ると、どこも完売かそれに近い。ある店の女性店員からは「主任さんは『こんなもん、売れるか』と言っていたわよ。一番すみっこに置かれていたけど、知らないうちになくなっていた」と内輪話まで披露されるのだった。

 雑誌は売り切りのものだと思っていたが、知らないということはオソロシイ。尾曽さんはいそいそと補充に回り出した。前と違って反応はいいらしく、「よそではどうか」「なぜ(こんなのが)売れる」としきりに聞かれたそうだ。

 仕入れ担当者はどの店もベテランぞろいで、その目は厳しくかつ正確だ。この人が売れると判断した本は優遇され、駄目だと思われたら哀れにも返品されかねない。そしてそれは大体において正しいのだが、今回ばかりはどうやら見事にはずれてしまったらしい。

 それは作っているわれわれ自身にしてもそうだった。置けた三分の二くらいは売れないかと密かに予測を立てていた。それが完売し、補充までして、そしてまた売れようとは。

 この「まっくふれんど」を読んだとしても、ためになることは何一つとして書かれていない(多分)。何しろ、編集しているぼくがパソコンを始めたばかりで、さっぱり分からないというのだから(尾曽さんの名誉のために言っておくが、彼はちょっとは分かる)。こんな状態の二人にためになることなど書けるわけがない(何も威張ることはないが)。

 しかし、たとえためにはならなかったとしても、もっと気軽に読めるパソコン雑誌があってもよいのではないかとという思いは常にあった。ちまたにあふれるビギナー用と称する雑誌ですら、ぼくにはさっぱり意味が通じないのだ。読みたい思いに応えてくれる、そんな面白いものはないのか−−これが雑誌創刊の出発点だった。

 編集の基本テーマはパソコンそのものの解説やら評論などではなく、パソコンが生活の中にあることの意義や楽しさだ。これならたとえパソコンを操作できない人でも、読み手どころか書き手にまでなれる。実際、創刊号は「分からん」とか「バクダンが出た」など、ちょっと詳しい人なら「何をいまさら」といったようなものばかりで埋まっていた。

「はっきり言って申し訳ないが、この程度のものがどうして売れるのか」

 補充した折、担当者にこう聞かれた。単に創刊号だからという理由だけのことかもしれないが、読もうとする意志さえあれば、すみからすみまで読めるパソコン雑誌は現在のニッポンではこの「まっくふれんど」をおいて他にない。なにしろ、難しいことは書かれていないし、一時間もあれば読めてしまうペラペラの薄さなのだ。

 最初はどうなることやらと心配したが、何とか二号は出せそうである。暇も見つけて編集作業に取り掛かることにしたが、すでに二号発行の予告日を目前にしていた。そしてそれに追い打ちをかけるように、とんでもない事件が持ち上がってくるのだった。

●2号の主な内容 巻頭言「花嫁はマックをかついで」・さらばウインドウズ、今日はマックよ・タバコとマックの日々・ウインドウズで悪戦苦闘記・オジサンはマックとお友達になれるか・やるぞインターネット、作るぞホームページ・名古屋発「お仕事の周辺」、その他、面白記事満載(ご注意・多少、変更される場合もあります)。



<閉じる>