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白内障手術はこわくない
体験レポート − 私の場合は − その3

●9月18日 網膜剥離という病気もあるゾ

 ああ、情けない。例会を休み、晩酌もしなかったのに、とうとう寝る前にやってしまった。焼酎をコップ一杯だったとはいえ、"三日坊主"にすらなれなかった。手術は明後日だ。

 16日、目医者さんの待合室でのこと。網膜剥離予防のポスターを見ていてドキッとした。文中に「飛蚊症が急にひどくなったり、光視症はその前兆」とある。左目には若いころから軽い飛蚊症の症状があって前者はなじみの病名だが、光視症というのは初めて知る言葉だった。

 実は10日ほど前から薄暗いところでまぶたを開くと、右目の上端あたりにキラキラ輝くダインヤモンドのようなものが出てくるようになった。しかし、見えるのは開いた瞬間で、すぐに消えていく。それもここ2、3日ごろからは現れなくなった。

 不思議に思ってはいたが、これが光視症なのだろうか。先生に相談すると「それくらいなら、心配することもないのでは」と言われたが、以前から気になっており、あえて検査をしてもらうことにした。結果は先生の言葉通り、何の異常も認められなかった。ホッ。

 ダイヤモンド以上に美しく輝いていた、あの小さな光は一体何だったのか。ひとまず異常がないと分かって安心したが、頼りの右目をやられたらまさにお先真っ暗である。なお、当日の料金はこの検査代も含めて1250円だった。

●9月19日 最近「年相応」と言われずめ

 いまの裸眼視力はどれくらいなのか。検査の結果を尋ねたら「右目が0.9、左目が0.2」とのことだった。右目には少し遠視と乱視がある。

 視力は自分が思っていたよりもかなり悪かった。道理で物が見づらいはずである。その数字に少々気落ちしたが、先生は「年相応ですよ」とおっしゃった。

 しかし、この左目が本を読んだり、原稿を書いたりするときには主役となる。それが白内障になってしまい、もうどうにもならない。明日が手術の日だが、ぜいたくは言わない、読み書きのできた以前の目くらいには"復活"させてほしい。

 入れるレンズは60センチぐらいのところに焦点を合わせたものになる。30センチぐらいがいいのでは......と思ったが、60センチでも近い方で、普通は1メートルほどにするとか。30センチではあまりにも近すぎるとのことであった(これで30センチも見えればいいのだが)。

 遠近両用のレンズはできてまだ新しく、評価も定まっていないらしい。これには保険も適用されていないそうで、両用というのがどちらにとっても中途半端なものになっているのか。ぼくの左目は近いところ専用でいい。

 今日はゆったり風呂に入った。手術後、数日は風呂もシャワーも差し控えなくてはならない。これはツライが、酒は解禁になる!?

●9月20日 さあ、手術 どうこう言うわけがない

 無事に店へ着いた。10時から瞳孔を開く目薬を20分おきに左目にさしている。悪い目がいよいよ見にくくなる。のろのろ運転で、後続車には迷惑をかけた。

 交差点の向こうにお巡りさんが立っていた。まさか「こらっ、瞳孔を開いたまま乗っちゃいかん」「ドーコーホー違反だ」などとは言うまい。信号待ちしたところで、また目薬をさす。

 今日は台風一過で青天井。幸い大きな被害はなかったが、この快晴がうらめしい。開いた瞳孔にまぶしすぎて、目を細めながらの運転だった。

 今夜は近くのホテルに泊まる予定。明日は9時に診察を受けなければならないし、とても車では帰れない。独り者はつらいよ。

 いま店で書いている。これから医者へ行く。心の中は明鏡止水、先生にすべてをお任せした。

手術は大成功、いま店に還っ帰ってきた

 手術は30分ちぃっとかかった。おかげでうまくいった。こうして術後、すぐに歩いてこれたのだから。

 眼帯姿を鏡で見てびっくり。絶対取れないようにと、大きな布がテープでしっかりとめられている。みた目もくそもあったものではない。

 夕方、人に会わなければならない。こんな顔で名古屋駅へ行ったら、周りの人はどう思うか。もうちょっとスマートな眼帯かとおもっていたが、これにもおどろかされた。

 書きたいことはいろいろあるが、目をいためてはいけないので、とりあえずこのへんで。

 

 

白内障の手術を受けるとき

●スワ、一大事! 左目失明

 手術直前の昼は日に4度さす抗菌点眼剤「ベガモックス」と、20分おきにさす散瞳点眼剤「ミドリン」が初めて重なった。店を出る前にさすと、いつもとは見え方が違う。左目がまったく見えていないことに気付いた。

 背筋に恐怖感が走った。右目を手で押さえて確かめるのだが、恐ろしいほどの真っ暗闇である。一筋の光さえもない。

 書庫にあるイスで休むことにした。薄暗い部屋だが、左目は墨を塗ったよう。真っ黒な平面で、奥行きがない。

 しばらく横たわったあと、恐る恐る目を開けてみた。するとぼんやりと書棚が見えてきた。このときのうれしかったこと。その後は急速にもとの状態に戻っていった。

 こうなることはまったく告げられていなかったし、説明書にも書かれていなかった。ぼくだけの特異な現象だったのかもしれない。しかし、この思いもしない体験で、目の大切さを再確認させられた。

●年の差はあっても"同期生"

 待合室には先に手術を受ける人が来ていた。患者はおばあちゃんで、そのお友達が付添人。いっしょに手術を受ける"同期生"といった感じで、初対面なのに妙な親しみが湧いてくる。

 ところがこのおばあちゃん、付添人とは違い、ものすごく緊張している。それが会話の端々に出ているし、わずかの間に3回もトイレに立った。「あまり緊張しない方がいいですよ」とは言ったものの、するなという方が無理か。

 「いってらっしゃい」(付添人)  「頑張ってね」(ぼく)

 手術は40分ほどかかった。終わるとベッドが出され、おばあちゃんが横になった。そうか、しばらくは安静にしていなくてはならないのか。

 こちらはすでに痛み止めの目薬をさされている。左の耳には耳栓が詰められ、頭にはビニール製のキャプを被せられて準備完了。名前を呼ばれて手術室に入った。

●先生が神様のように見えた

 左腕に血圧計、右手の指に心電図計を取り付けられて、いよいよ手術が始まった。不思議なほど緊張感はなかった。麻酔注射もよく効き、痛みはまったく感じられない。

 顔には布がかぶせられ、左目の部分だけに穴が。先生は頭の上に立ち手際よく進められてゆくが、その様子が白内障の目にもおぼろげながら見える。一仕事ごとに目を水で洗っているようだ。

 先生はメスやピンセット(のようなもの)を左右の手にし、目の方に持ってこられる。それが猛烈な迫力で、こちらに襲いかかってくる。まるでカマキリの振り上げたカマや佐々木小次郎の二刀流の剣を真下から見上げているような感じだ。

 レーザーがピコピコ照射され、足下では何かの異音がしている。先生は看護師さんにてきぱきと指示し、次々と作業を進められてゆく。その手術ぶりに感じ入っていた。

 「先生、手先が器用ですねえ」

 NHKの「仕事の流儀」に登場する人たちだけが名人などではない。この先生は若いのにまるで神の手でもあるかのような職人芸を発揮されており、巷にはテレビに登場しないこうした名人たちであふれていることだろう。身近なところにおられた名医に、いま手術してもらっているのがうれしくなってきた。

 実はだれが手術されるかについても興味があった。いつも診てもらっている先生が出てこられたときには少々驚いた。というのも、大学や大病院の先生が"出張"して執刀される眼科医院も多いと聞かされていたからである。

 「先生、虹彩の穴は問題になりませんか」  「そうね、ちょっとは問題ですよ」

 やがてプラスチック製というレンズが挿入されることになった。あんなところにも神経があるのか、それはヌルーッとした感じで入り込んできた。しばらくして手術がすむと眼帯をされ、そのまま歩いて帰れることになった。

 手術の間、痛みはまったくなし。強いてあげれば、最初にされた消毒のときか。こんなに手術が楽なものだとは思ってもいなかった。この日、もらった薬は朝晩各1錠ずつ飲む錠剤2種類と万が一のときの痛み止め1錠。

●人目ひく"歩くミニ・ブリーフ"

 手術室を出ると、おばあちゃんはまだ寝ていた。緊張感から気を失ってしまったのだろうか。付き添いのおばあちゃんが「困ったわ、いつまでおればいいのかしら」と心配そうだった。

 店へ戻って「手術は大成功、いま店に帰ってきた」とブログに書き込んだ。左目に眼帯があるからキーや文字が見にくい。わずかな文章なのに、入力ミスや変換ミスがいっぱいだった。

 左目は白内障を患いながらも、けなげに頑張っていたのか。遠いところは右目の担当、近いところは左目の担当。二つで一つだったのだ。

 ブログを書くとまた書庫で休むことにした。夕方、大阪から上京する友人と会食することになっている。名古屋駅へ行かなければならないが、とにかくすごい眼帯姿なのだ。

 それはホームべースに平体をかけたような五角形で、左顔面を大きく被っている。鏡に写してみると、その形はブリーフの形のようにも見える。眼帯をするとは知らされていたが、山本勘助か森石松くらいのものでは取れてしまい、用を足さないというのか。

 友人に笑われながらも、久しぶりに飲んだ。我慢してきたビールがまずかろうはずがない。駅で見送ってからビジネXホテルに入り、ここでもまたテレビを相手にちびちびやることとなったのである。

●9月21日 感謝感激、すべてが杞憂だった

 午前9時にお医者さんのところへ行く。酒の臭いがそこはかとなく漂い、「注意事項になかったので、久しぶりに飲みました」と"告白"。先生から「書いてないのは当然のことで、直後に飲んではいけません」と言われてしまった。

 眼帯をはずされると、パッと視界が広がった。検査の結果も問題なし。真っ先に脇にあった机の上の書類に目をやった。

 すごい! 見える! それも以前よりも鮮明に文字が見える!「先生、ありがとうございます。信じがたいくらい、よく見えます」。手を合わせて拝みたいほどだった。

 帰りに喫茶店に寄った。新聞や週刊誌が読みたい。どれくらいの視力なのか。

 おお、何とすばらしいことか。不動産広告の細かいデータまでがしっかりと読み取れる。感動がじわじわと込み上げてきた。

 これまで「手術後、1週間ほどは調子が悪い」とか「眼圧に影響があるので、無理はできない」とも聞かされてきたが、そんな心配はまったく無用だった。いまこうして手術の体験を書き、前以上によくなったことをレポートしている。こんなことなら、もっと早くやっておけばよかった、との思いでいっぱいだ。

 昨日のおはあちゃんも元気になって受診に来ていた。待合室にはもう一人の患者がいた。聞いてみるとその人は意外なことを言い出した。

 「日赤で(白内障の手術を)やってまったが、痛て痛ていかん。(違うところへ来るのは)気がひけたけどここで診てもらったら、何と糸が残ったまんまだった。日赤に文句を言うと、先生はそのうち溶けてなくなる、と。大きい病院だでえーと思って行ったのに、えりゃーめ(大変なめ)にあってまった」

 そんなこともあるのか。白内障は手術の翌日からまったく平常通りの生活ができるものなのだ。その証人がこうして原稿を書き、新聞を読み、パソコンをしているこのぼくである。

 この日、もらった薬は目薬、3種各1本(1日4回使用)。同時に渡された「手術後の注意」書きに「入浴は21日、洗顔・洗髪は29日ごろより可能」の文字あり。シャワーできないのはつらい。

●9月22日 白内障での入院を許すな!

 目尻に充血はあるものの、小さな文字も鮮明に見える。もううれしくてたまらない。手術がこんなにも簡単であってよいのかとの思いさえしている。

 白内障で入院する人も多い。する方もさせる方も、医療費の無駄遣いだ。白内障患者は手術後、みんな歩いて帰れ!

 あの気絶したおばあちゃんだって、日帰りで元気にやっている。自分の体験からして、いまや白内障は入院するような病気ではない。入院をすすめる病院は医療費泥棒の"共犯者"だ。

 そんな思いでいたら「入院しないかんわ」という人がいた。生命保険にいくつも加入しており、"入院成金"になれるというのだ。そんなこともあるのか。

 こちらは何にも入っていない。入院するだけソンである。あれ? ホテル代は自腹で払ったが、入院していれば国保がきいていた!?

●9月23日 結果は分かっても意味が分からない

 最初に訪れた日、採血されていた。手術の説明を受けた二度目のとき、会計時にその「検査報告書」を渡された。随分多くの項目があるが、これだけではいいのか悪いのか、さっぱり分からない。

 ほとんどの項目は「基準値」のところに「*」印があるだけ。これに意味があるのか、それとも正常と解釈していいのか。よく分からん。

 項目には「総ビルビリン」(0.5)、「総蛋白」(7.3)、「AST」(23)、「ALT」(16)「ALP」(219)、「γ-GT」(31)などと続く。なんのこっちゃ、さっぱり分からんでかんがや。「梅毒定性」が「−」(マイナスだろうな)ということは梅毒ではないことでしょ。「HCV抗体CLIA法」が「陰性」ってどういうこと?

 アルコールのせいで肝臓が心配である。これらの項目の中にそれを知ることのできるものもあるのだろうか。どうせ行き着く先は肝硬変か何かのガンくらいだと思っている。

 せっかくもらったというのに、この紙切れ1枚では訳が分からない。自慢じゃないが高校の身体検査以来、健康診断を受けたことがない。いっぺん人間ドックに入って自分の体の状態を知りたいとは思うものの、悪くならないとなかなかその気になれない。そう言えば肝心の血液型が書かれていないが、高校のときB型だったからいまもB型だろうな。

●9月24日 視界良好、経過は順調

 診察日。赤目がなかなか治まらない。先生は「血管が少し(人よりも)細いようだ。しかし、いずれは元に戻ります」と。以前、血管が切れて赤目になったのも、そのせいだったのか。

 虹彩の穴はやはり問題であチたらしい。「その分、レンズが浮いている可能性もあるが、診たところ支障はないようです」。手術するときも手間がかかったそうだ。

 しかし、順調な経過だ。今度行ったとき(金曜または土曜)抜糸してもらえることになった。本も新聞もしっかり読めるようになり、うれしい限りである。

 今日の会計。20日の手術代43060円、21日の検査代1430円、そして今日の検査代1530円、合計46020円なり。

 この日の午後、テレビ東京(「新説!?日本のミステリー」)の取材を受ける(今月28日放送とか)。目が赤いのでアップで写されると困ると言ったのだが、どうやらそうなりそうな気がしてきた。やっぱりお断りしておくべきだった。

●9月25日 夏場の白内障手術はツライよ

 洗髪が29日以降でないとできない。もう5日も髪を洗っていない。頭はかゆいし、体は汗くさい。

 しかし、へたにシャワーを浴びて、目にばい菌でも入っては一大事。それこそ失明しかねない。ぬらしたタオルで髪や体をふく程度だったが、いいことを思い付いた。

 スーパーのビニール袋だ。これを頭に被り、手持ち部分をあごで結べば、完全に水をシャットアウトできる。今朝、さっそく実行してみた。

 袋をすっぽり被るとすりガラスをかけられたようで、以前の白内障の症状が再現された。左目はいつもこんな感じで見ていたのだ。シャワーを浴びるとすごい水音がして、先ごろの集中豪雨までが実感されてくる。

 これはいい手だ。洗髪こそできないものの、シャワーは完全に“復活”させられる。もともと家では風呂に入らなかったので、シャワーさえあれば十分である。

 日に日によい環境になってくる。こんなことなら、もっと早くやっておけばよかった。あちこちに置いていた拡大鏡がいまは無用の長物となっている。

 

 

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