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“ぐうたら”マラソンのすすめ
 こんなワシでもウルトラランナー

【その3】

 

8カ月目 努力しないで完走する法

 楽しく走りたいけど練習はいや、練習しなくてもフルぐらいは完走したい――“ぐうたら”ランナーを目指したなら、これぐらいのことは願ってもいい。苦しい練習に耐えた、その上でいい成績を出すというのなら当たり前。それに、われわれは毎日のセーカツに忙しく、そんなに多くの時間を練習にさけるわけでもない。

 が、心がけ次第でこの夢が実現できる。練習には「継続性の原理」(三日坊主にならない)とか「過負荷の原理」(体力以上の負荷を与える)などが言われているが、その一方では、いくら真面目に練習したとしても、無意識にやっていたのでは向上しないという「自覚性の原理」というものもある。例えば、バーベルをやるとするなら「いまこの筋肉を鍛えようとしている」という強い自覚を持ってすることが大切になる。

 最近、一つの実験が行われた。ある特定の筋肉を対象に、実験台となったのはトレーニングで鍛える人とまったくしない人、それにトレーニングはしないけれども意識のうちではしているとイメージする人の3人。結果はイメージだけの人の筋肉はトレーニングし続けた人と同じくらいに発達していたというのである。

 “ぐうたら”ランナーがこれを応用しないという手はない。「継続性」や「過負荷」はいやだとしても、「自覚性」ぐらいなら容易にできるだろう。歩いているときは走っていることをイメージし、手足の筋肉を意識するように心がけると、走ったのと同程度の効果が得られる?!

 筆者が朝刊を読み出すころ、決まってラジオ体操の放送が流れてくる。実際にするわけではないけれども、やっていると思うと気分までさわやかになってくる。自意識過剰の人とは付き合いにくいが、こと自分の内に関しては自意識過剰であった方がいい。

 みなさんもこれまでの練習成果で、体力はかなりついてきたはず。あとは楽をして、これをいかに維持し続けるか、だ。だからこそ、この「自覚性の原理」にすがりつきたい。

 筆者自身の体験で言うと、始めたころの1年間は月間150キロから200キロほどと、われながらケッコー真面目に練習してきた。が、いまは週に1回やる程度で、それも月にして50キロぐらいでしかない。これで何とかフルは走り切れるし、先日は無謀にも犬山―彦根往復マラソン(162キロ)に挑戦して、どうにか完走することができた。

 厳しい練習に耐え、自己の限界に挑戦するもの、一つの楽しみではある。が、“ぐうたら”ランナーは練習をなるべく少なくして、完走の成果だけはいただきたい。この相反するものを手に入れるためには、イメージトレーニングによる「自覚性の原理」は大きな味方になってくれるはずだと思うが、さていかが。

 

9カ月目 ええっ!大会に練習?

 南区のBさんにお会いした。月間走行距離は100から150キロだそうで、なかなかマジメな練習ぶりである。ところが悩みはフルマラソンとなるといつも後半バテバテで、制限時間の5時間をオーバーして悔しい思いをすることもあるとか。

 「悲惨の一語ですよ。頭の中では走ろうと思うんですけど、体がまったくついてこない。どんどん追い抜かれて、しまいには走ろうにも走れないんですわ」(ふ、ふふふ。こちらはこういう人を追い越しているのだ)

 頑張ろうという意識の強い人ほど、後半こうした状況に陥りやすい。前にもふれたが、前半は押さえに押さえて走ること。ところが、大会となるとどうしても意気込んでしまい、仲間との競争心も募って、ついつい飛ばし過ぎてしまう。

 かつてぼくもBさんと同じだった。30キロか35キロを過ぎたあたりから足がつり出し、さらにこむら返りまで起きてくる。後は痛い足を引きずりながら、歩いては走り、少し走ってはまた歩くといった繰り返しで、しまいにはそれすらもできなくなる。

 ぼくがそうした状況を脱出できたのは、ちょっとした発想の転換だった。確かに大会ではあるが、10キロから15キロまでぐらいは練習だと自分自身に言い聞かせること。練習ならマイペースでゆっくり走ればいいし、普段、練習らしい練習はしていないのでする必要がある。

 自分にとってはそこまで走ったあたりから、いよいよ本番のスタートとなるわけだ。こう考えると気分を一新できるし、周りを走っているみんなより10キロか15キロ短い距離を走ればいい。これは精神的にもラクである。

 Bさんは「そんな子供だましのような考え方でいいんですかねえ」と不信の様子。「いや、だまされたと思っていっぺんやってみてほしい」とぼく。ぼくがそうだったので、実力的にははるかに上で若いBさんにできないわけがない。

 前半をそこまで押さえると、後半はびっくりするほどラクになる。足を引きずっている人たちをどんどん追い抜いていける快感はたまらない。頑張ってしまったランナーには申し訳ないが、そうした人たちがまるで敗残兵のように見えてくる。

 「それともう一つ、後半になると必ずと言っていいほど、足がつったりケイレンを起こしてしまうんですよ。だから走れない。これを防ぎさえすれば……との思いがいつもあるんですけど」

 それも結局は前半に頑張りすぎた無理がたたっている証拠で、疲れた足の筋肉が悲鳴を上げているわけだ。いま言ったような走法に切り換えれば自然と治るはず。これとは別に塩分の不足も考えられるので、事前に塩をなめたり塩昆布を食べるなどして塩分を補給し、走行中もエイドに梅干しや塩昆布などがあればつまむようにするとよい。

 後半、ガードレールなどに手をついて、必死に足のストレッチングをしている光景をよく見かける(事実、ぼくがそうだった)。が、はっきり言って、そんな程度で回復するようなものではない。そうならないよう、事前に注意しておきたいものである。

 

ウルトラマラソンは楽しいし面白い

 ここまで来ればもう立派なランナーだ。あとはこの調子で“ぐうたら”を楽しめばよい。当初と比べると、もう体力も意識も違っているでしょ。

 ハーフも走った、フルも完走した。経験が増すにつれて、どんどん距離は延びてくる。これが快感となりだしたら、次にウルトラマラソンに挑戦してみてはどうか。

 ウルトラというと「とても、とても」と遠慮する人も多いが、フルを走ったことのある人なら、すでにその資格を持っている。42、195キロをあと一歩越えれば、もうウルトラの世界に足を踏み入れたことになるからだ。とりわけ、ゆっくりのんびり楽しもうという“ぐうたら”ランナーには願ってもないマラソンなのである。 

 ウルトラは基本的にはタイムを競い合うようなスポーツではない。多くの人が目標とするのは完走することであり、それは苦しさに負けそうになりがちの自分自身との闘いでもある。ランナーの中には歌を詠んだりする人がいるのも、あるいはまた、大会参加者たちの間で盛んに文集が作られたりしているのも、背後にこんな精神性の高さが秘められているからなのかもしれない。

 ウルトラには楽しみも多い。一般のマラソンでは歩くとすごい罪悪感にさいなまれてしまうが、ウルトラは競争ではないので歩くのも自由である。それに長距離を走ることになり、その間に友達もいっぱいできる。会場にもレース中にも和気あいあいのムードが漂っており、これはフルなどには見られない特徴と言えよう。

 ぼくが初めてウルトラに参加したのは、サロマ湖の100キロマラソンだった。90キロちょっと走ったところで足がまったく動かなくなりリタイヤしてしまったが、あのとき知り合った人たちとはいまでも年賀状のやりとりなどをしているほどだ。以来、いくつもの大会に参加して多くの走友ができた。

 ウルトラは長い距離を走ることになるので、給水などのボランティアの助けに負うところも多い。競争ではないから調子が悪いと判断すると早々とリタイヤする人もあり、そうした人がボランティアに回っていたりすることもめずらしくない。もちろん、初めからボランティアを買って出る人もあり、ランナーとサポーターとの間に一体感が見られるのもウルトラならではのよさであろう。

 近年、ウルトラ熱は次第に高まりつつある。各地で大会も開かれるようになり、東海地方にもいくつかできている。そして、その距離も長さを競い合うかのように、200キロだとか250キロだとか、とてつもなく長いものも登場するようになった。

 しかし、一般のマソランに比べれば、まだまだマイナーなスポーツだ。また「42、195キロ以上は邪道だ」という頑固な人たちもいる。が、「楽しんだ方が勝ち」という“ぐうたら”ランナーには見捨てておけないジャンルではある。

 そこで手始めに5、60キロぐらいのものにチャレンジしてみてはどうか(いつでも大会が開かれているというわけではないので、それを探し出すのに苦労するかもしれないが)。フルを突き破ったその向こうに、これまでの走りでは味わったことのない、まったく新しい世界が待ち受けている。それは“ぐうたら”なあなたにとって、病みつきになるような魅力あふれるものであるかもし黷ネい。

 

マラニックやジャニーランという手も

 ウルトラと同じように長い距離を走るマラソンに「マラニック」というのがある。「マラソン」と「ピクニック」とを組み合わせた造語だが、この種の大会が次第に人気を集めつつある。何しろ、ピクニックが折り込まれているのだから、ウルトラよりもより一層遊びの要素が加わってくる。

 走りながらも周りの景色を楽しみ、ときにはエイドステーションで何かをつまむ。中には道端の自動販売機などの前に足をとめ、ビールを飲むランナーもいたりする。同じ走るにしても仲間と雑談を交わしながら、あるいは独りでのんびりゆったり走るなど、まさに「遠足」ならではのルンルン気分のマラソンである。

 それだけに“ぐうたら”を目指した人にはもってこいのものと言える。長い距離を走ったことが大きな自信となり、さらに上の目標に挑戦したくもなってくる。自己の限界に挑む充実感、それをやり遂げたときの満足感。これは実際に走ってみた人でないと、分からないかもしれない。

 この地方で代表的なものとして、岐阜県神戸町と福井県境の夜叉ケ池を往復する「夜叉ケ池伝説マラニック」130キロがある。約2日間かけて炎天下を走るわけだが、走るとは言ってもこれだけ長い距離になると、速足で歩くことも多くなってくる。歩きをいかにうまく取り入れるかも重要になるわけだが、それだけに一般の走るだけのマラソンとは違って苦しさはない。

 また、犬山走友会が中心になって「城盗りマラニック」という大会も行われている。こちらは毎回コースを変え、あちこちへ“遠足”に出ていく。「夜叉ケ池」に比べると規模は小さいものの、まるで同窓会にでも出たような和気あいあいの大会である。

 こうしたものとは別に、最近「ジャニーラン」という言葉をしばしば耳にするようになってきた。これはマラニックをさらに発展させたようなもので、まさに走って旅を楽しんでしまおうというマラソンだ。こちらは大会というよりもむしろ、独りないしグループで楽しむケースが多い。

 彼らに人気のなのが、東海道や中山道など、いわゆる旧街道を走る旅だ。地図を片手にマイペースで行うことができ、鉄道や自動車などで行く旅行とはひと味もふた味も違った旅を楽しめる。何よりも自分の足で自由に、気ままに旅のできる魅力は大きい。

 走るだけのマラソンにちょっと飽きてきたら、あるいは人とはちょっと違ったことをしてみたくなったら、あなたのメニューにマラニックやジャニーランを取り入れてみては。目の前にまた一つ新しい走りの世界が広がってくるにちがいない。

 ウォーキングから始まったこの記事も、いよいよゴールするところまで来た。あなたの生活に走ることが定着してきただろうか。まだだった方、まずは歩くことから始めてみてはいかが。

 

 

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