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■輝け!団塊世代の老春

「輝け!団塊世代の老春」ちょい読みコーナー

二、久平の高校、大学時代

 中学を卒業してから二人は別々の道を歩き始め、まったく会うことはなくなった。久平は自分の高校時代を話し出した。

 中学校を卒業して名中央高校に入り、大学への受験を目指した。変わったことと言えば、ベトナム戦争が激しいときで、「ヤングべ平連」という反戦団体に入り、名古屋の街を旗を持って闊歩したくらいだ。

 高校時代は部活にも所属しなくて、男子だけの色気なしの学校で、面白くない思い出しかない。小学生、中学生の少年時代は、卒業式を迎えるとあっ気なく去っていく。昨日までの友情も思い出も置き去りにして、あわただしい高校生活が待っていた。

 団塊の世代はものすごい数の高校生であった。当然、教室も教師も足りない。音楽室や美術室、倉庫も教室に変身し、ついには運動場に仮設教室を建てての急場しのぎである。

 教室の中は五十名を超える生徒であふれ、部屋の後ろを通ることすらできない。そんな中で高校生活が始まった。

 部活動と言っても、とても全員が所属することはできない。グラウンドも体育館も、色々なクラブがごちゃ混ぜになって使っている。よくこれで事故が起きないものだと感心するほどだった。

 近松が進学した県立高校も同じだと思うが、久平が行っていた私立の名中央高校では、卒業生の大部分が大学受験を目指していた。高度経済成長に乗って、ほとんどの中学生が高校に進学、そして大学進学もごく当たり前になってきた。戦後も二十年経ち、もはや戦後ではない、と政治家が声を上げていたのを覚えている。

 テレビでは地方から集団就職の汽車が若者を都会へ、都会へと運ぶ光景を映し出していた。自分と同い年の、中学校を卒業したばかりの者が、集団就職で見ず知らずの都会に出てくるのをテレビで見て、おれにはとてもできない、あいつらはすごいなあ、と内心思っていたものだ。

 都市近郊には鉄筋コンクリートの団地が次々と建設される。日本国中が毎日、お祭りのようにはしゃいでいた。頑張る者、努力する者がすべて報われる時代。六十年代の池田内閣時代に始まった所得倍増計画と、それに続く田中内閣による日本列島改造計画で明け暮れしていた思い出がある。

 こんな世相の中から、自由と権利を主張する若者が急速に育ってきた。久平も高校時代の受験戦争をへて大学に入り、学生生活を謳歌しながら新しい自由主義の空気に触れ、マルクスの赤い表紙の資本論を片手に、多くの学生と同じように学生運動に感化されていった。

 共産主義が世界を席巻するかの勢いであった。資本主義と共産主義のし烈な政治経済の戦いの中で、若者が感化されない訳がない。

 久平もゲバ棒を持った。白のヘルメットに薄汚れた茶色のジャンパー、顔は手拭いで被い、ぎらぎらした目だけが覗いている。

 今思えば、あのときの写真を撮っておけばよかった。大学の玄関には全共闘の闘争檄文の看板が立ち、夜な夜な反戦ソングが流れてくる。友達の引く下手なギターに合わせて「友よ」を毎日のように歌って過ごしたものだ。

  友よ 夜明け前の 闇の中で
  友よ 戦いの 炎を燃やせ
  夜明けは近い 夜明けは近い
  友よ この闇の 向こうには
  友よ 輝く明日がある

 そして国際反戦デー10・21が来た。集会の公園にある茂みの中に、角材とヘルメットを隠し、何食わぬ顔をして地下鉄から公園に向かう。すでに周りは警察官だらけである。機動隊の装甲バスも、道路封鎖の準備に集まってきていた。

 アドレナリンが全身にみなぎり、身体が熱くなってくるのがわかる。公園のあちらこちらから、雄叫びがわく。アジ演説が始まる。

 警察に捕まったときの連絡用にと、弁護士の電話番号が書かれた紙切れをポケットに入れた。手拭いでマスクをし、薄汚れたジャンパーを裏返しに着て、植え込みに隠してあったヘルメットをかぶり、一・五メートルほどのゲバ棒を握る。

 ジグザグデモの行進である。前は向かない。ただ前にいる同志の背中を見ながら、ひたすらに走った。

 道路の両横は屈強な機動隊員が盾を持って寸分の隙間もないように並んでいる。その盾にぶつかりながら、ジグザグに走る。

 機動隊の指揮車が大音響で何かをしゃべっているが、双方殺気だっているので何を言っているのかさっぱりわからない。両脇に立っている機動隊員も同年代である。

 小競り合いが始まった。ゲバ棒を振り回す者、盾で阻止する機動隊、広報車が逮捕するぞとがなり立てる。機動隊員が軍足で蹴りつける。

 一発触発の状況の中、目的地の公園に誘導されて取り囲まれ、身動きもできない。「解散しろ、解散しろ」。警察の広報車ががなり立てている。どこからかCンターナショナルが流れてくる。

  起て飢えたる者よ  今ぞ日は近し
  醒めよ我が同胞  暁は来ぬ
  暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えて
  海を隔てつ 我等 腕結びゆく
  いざ闘わん いざ奮い立ていざ
  あぁ インターナショナル 我等がもの

 久平はこの思い出から現実の喫茶店に戻った。

 「チカちゃん、このとき歌ったインターナショナルの替え歌を、ぼくは今、会社の社歌にしているんだ」

  立て若き経営者よ 今ぞ日は近し
  さめよ我が社員 暁は来ぬ
  マンネリの鎖立つ日 旗は血に燃えて
  過去をへだって我ら かいな結びゆく

  いざ戦わん ふるい立ていざ
  ああ山田事務所 我らがもの
  いざ戦わん ふるい立ていざ
  ああ山田事務所 我らがもの

  聞け我らが雄叫び 天地轟きて
  困難こゆる我が旗 行く手を守る
  苦難の壁破りて 固きわがかいな
  今ぞ高くかかげん 我が勝利の旗

  いざ戦わん ふるい立ていざ
  ああ山田事務所 我らがもの
  いざ戦わん ふるい立ていざ
  ああ山田事務所 我らがもの

 「へーえ、やる気満々の替え歌だね」
 近松が感心すると、久平が答えた。

 「ところが今時の若い者はこの歌を聞いて『なに? これ』って顔するんだ。やつら、わかちゃーいないんだよな」
 「当たり前だよ。こんなのわかる訳がない。われわれとは最早、人種が違うと言った方が正しい。昔風に言えば、当たり前田のクラッカーだ」

 近松が笑い飛ばすように言う。「ごめんごめん、デモのときの話だったな」と言いながら、久平は話を元に戻した。

 機動隊の隊列に挟まれて順次解散させられ、繁華街に出ると、酔っぱらいがネオン街を楽しそうに歩いているではないか。まるでよその国にでも行ったかのような光景だった。

 一体、自分たちは何をしているのだろう。どっちが正しいのか、頭が混乱した覚えがある。

 世の中を変えるためにと戦う若者、それを盾で防御する若者、ネオン街を闊歩している若者。すべての若者が達成感のない不確実な世界を、悶々として過ごした青春時代が通り過ぎていく。

 こんな日々も過ぎて、大学の三年生になった。就職という社会人としての道へ出る時期が来た。

 「チカちゃん、おれもサラリーマンになろうとしたことがあるんだ。あのころはね」

 大学の就職課の入口を開けた。部屋の中の正面には二名の女性と就職課長が忙しそうに事務を執っている。マンモス大学の就職課なのに、たった三名が対応しているだけである。

 部屋の入口には、企業からの求人募集のファイルがずらっと並んでいた。久平と就職課長の目が合った。

 「きみきみ、君は学校から就職推薦できないから、自分で就職先を探してきなさい。なぜだかわかっているね」

 就職課長が言った。周りの学生がみんな久平の方を見て、仲のよい同級生も素知らぬ顔をした。久平は何も言わずにその部屋を出るしかなかった。

 二度と訪ねるものかと強がりを誓ったが、気持ちは不安でいっぱいだった。久平の学生運動をすでに学校側がマークしていることは気付いていたが、まさか就職活動にまで影響するとは思ってもいなかった。

 万事休すと悟った瞬間であった。大人の世界は生半可な学生の考えなど許してくれないことを思い知らされた。

 久平の父親は信用金庫に努めている。いわゆる真面目な銀行員である。母は専業主婦として家庭の中を取り仕切っている。二男一女の長男としては山田家を受け継がなくてはならない。こんな環境に育った久平は今日学校であったことなど、口が裂けても言うことはできなかった。

 父親からは「大学を卒業したら銀行員になるか」とも誘われている。父親の口癖は「長いものには巻かれろ」。久平はこの言葉が大嫌いなのである。久平には真面目に銀行員として過ごすだけでは自分の能力を試すこともできないし、野心を実現することもできないと思っている。

 多くの若者と同じで「おれは野心家だ、冒険家だ」と思っていたが、その実、目標としている野心は何もない。冒険するぞと言ってはいるが、何の冒険すればいいのか、何も持ち合わせがない。空回りの野心家であり、冒険願望家なのである。

 この青年の悶々とした気持ちが、学生運動に駆り立てていた。本当はマルクスもレーニンも、ベトナム反戦も言い訳の出し汁、社会改革も自分に対する憤懣のはけ口でしかないのだ。

 だから、体制派の経済ルールを教える経営学部で勉強をしながら、学生運動を正当化するような真逆の行動を、自身の中で納得できる。久平は学校からの推薦で就職ができないことを、当然親には言えなかった。親には学生運動していることすら、内密になっているからだ。

 親父のコネで就職活動をすれば、学生運動をしていることが当然ばれてしまう。かといって単独で企業訪問しても、学校の推薦がなければ、受付すらも通過できない。青二才の久平の悩みは青年にとっては図り知れないものとして膨れ上がっていた。

 就職ができないなら、自営業をするしかない。自営業と言っても、世間知らずの若者には思いつくものがなかった。何のとりえもなく、何の技術もない、口先だけの青年であった。

 学生運動をしているとき、友達から「メーデーに出かけるが、お前はどうする」と尋ねられたことがあった。「おれは学生だからメーデーなんて関係ない」と言ったら、こう言って迫られたことがある。

 「労働基準監督署が労働者を守らないから、労働者がひどい目に遭わされているんだ。労働者も国家の餌食にされている。おれたちは資本主義国家と戦っているんだ。学生運動の全学連も全共闘も、国家と闘うことは同じだ。どうだ」

 そのとき、久平は労働者の手続きをする「社会保険労務士」という職業が世の中にあることを初めて知った。この人たちがどんな仕事をしているのかはまったく知らなかったが、なんとなく働く者の社会保障の手続きをする仕事ぐらいのことだと感じられた。

 就職の道が途絶え、自分で職業を探さなくてはならない。こんな若者には自由業として希望の職業のように映ったのであった。

 学生運動をしながら、社会保険労務士の受験勉強を始めた。始めてみると、考えていたこととはまるで違っている。労働者の守り神ではなく、企業経営者の権利擁護と労働者の就労行政手続きの業務でしかない。平たく言えば経営者が労働者から訴えられないようにするにはどのようにしたらいいのかということである。

 社会の改革を目指していた学生運動とは真逆の、体制派を擁護する職業である。が、しかし今更背に腹は代えられない、体制派の職業だろうがどうであろうが、親を落胆させることはできない。飯も食っていかなくてはならないし、長男として家も守らなくてはならない。

 学業もそこそこに、受験勉強の開始である。後がない。一日十時間の猛勉強が始まった。

 「チカちゃん、こんなおれでも大学時代の青春時代には、今に繋がるいい思い出があるんだよ」

 十九歳になったとき、世の中にゴルフなるスポーツがあると、学友の福島松雄こと福ちゃんが教えてくれた。

 「お前、ゴルフって知っているか、て言うんだよ」

 そんなもの見たことも聞いたこともない。町中にゴルフの練習場が大きなネットを張ってあるのを見た程度である。

 その福島が「今、デパートでゴルフ道具を売っている」と言って、チラシを持ってきた。物珍しいことに飢えている二人は、一人では足を踏み込めない世界だったが、「よし、見に行ってみよう」ということになった。

 

 

 


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