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■胃袋全摘ランナー世界を走る

病気が新たな人生を切り開いてくれる

 二度目のガンの手術を受けて5年が経過した。診察で「森さん、よく頑張りました。これで経過観察は終了します」と言われたときは本当にほっとしたものだ。

 7年前に第一回の手術を受けた。過去は早く通り過ぎるもの。いま思えば、こうして元気に過ごしておられるのが不思議な気がする。

 この先どれほど生きられるかわからないが、いまガンと闘っている方、人生や家庭に不満を持って過ごしておられる方、まんざら捨てたものではない。人間の潜在能力と残りの人生を大いに楽しんでみよう。

 病院の玄関で「病がまた新たな人生を与えてくれた」という言葉を見たことがある。人生は気持ちの持ちようで、いかようにも変化するもの。59歳まで大病も知らず、われながら仕事も家庭も順風満帆、飛ぶ鳥を落とす勢いの人生だったが、ある日、突然急降下。長い人生の中では何も起こらないで過ごすことの方がむしろ異常なのだ。

 「必ずやってくる」人生の危機に際して、それまでの蓄積が発揮されるもの。私に対して家族が、職場の同僚が、お取引先の方々が、多くの友人が助けてくれた。この場を借りて皆様にお礼を申し上げたい。(平成27年1月1日「はじめに」より)

ぼくにもガンがやってきた

1 まさか? 突然、奈落の底に

 一生のうちに日本人の2人に1人がかかるガンが、早くも59歳のぼくのところにもやってきた。

 「森さん、ガンです。急がないと間に合いません」

 親友を47歳のときにガンで亡くし、つい2カ月前、2人目の親友をガンで送ったばかり。どうも心配になって、行きつけの医院にガンの検診に出かける。

 「先生、忙しいので胃の検査と大腸の検査を内視鏡でいっぺんにやっていただきたいのですが」

 「どうせ腹の中を空にするのですから、では一緒に検査しましょう」

 平成18年12月の年も押し詰まった14日。睡眠導入剤を使って、無痛の内視鏡検査に入った。前日から食事制限をし、一時間かけて胃と大腸をきれいに洗浄。昼から検査に入った。

 「数を数えて下さい」
 「一・二・三……」

 どれくらい経ったのであろうか。数時間後だと思う。着替えをして先生の前に座ると、そこには内視鏡で写し出された写真が並んでいた。

 「森さん、大腸の方は小さなポリープがいくつかありましたが、取っておきました。問題ないと思いますが、問題は胃の方です」

 目の前に素人でもわかるガンが鮮明に映った写真を出された。大きさはミカンほどに見えた。なにも言葉が出なかった。

 「森さん、これガンです。藤田保健衛生大学病院に紹介状を書きますから、急いで出かけて下さい。明日までに紹介状を取りに来て下さい」

2 まさか、まさか? そんなバカな……

 翌日、紹介状をもらいに行きながら、病状をもう少し正確に聞きたいと思った。前日はあまりにもびっくりして、ほとんど何も聞かずに家に帰ってしまった。夜も寝つけずに朝を迎え、何も手に付かずに医院の玄関をくぐる。

 「先生、ガンの進行状況はどうでしょうか。手遅れではないでしょうか」

 「森さん、精密検査をしなくては何とも言えませんが、大丈夫ですよ」

 先生はこう言って下さったが、どうも歯切れが悪いように感じた。紹介状を持って藤田保健衛生大学病院の玄関をくぐる。

 予約時間は午前10時。この病院にはお見舞いで何度も来たことがあるが、診察に来たのは初めてである。

 朝からものすごい人だ。受付で紹介状を出し、診察室の場所を教わり、診察室の前に来ると、すでに何十人もの人が待っている。

 1時間……2時間……3時間……5時間……。「森さん、どうぞ」。やっと順番が来た。

 待っている間に隣の方と話をすると、皆さんガン。「どちらからおこしですか」と聞けば、県外からの方が。

 「宇山一郎先生はこの前、福岡ダイエーホークス監督の王さんのガンの手術をされた全国的に有名な方ですので、込んでいても仕方がないですよ」

 ええっ、そんなに有名な方を紹介していただいたのか、と感謝すると同時に、病状が相当ひどいのではないかと心配になってくる。宇山先生は紹介状に添付されていた内視鏡写真を見ながら、こう言われた。

 「すぐに入院です。年末ですから正月が明けたら、それもできるだけ早いうちに検査入院して下さい」

3 どうなるのか、検査入院が即入院

 平成19年1月8日、入院。検査入院の予定が検査後、

 「森さん、このまま治療に入りますので、入院を継続しますが、よろしいでしょうか」

 検査内容をお聞きしながら、

 「先生、どうでしょうか。助かるでしょうか」

 「急がないと間に合いませんが、手術の日程が立て込んでいまして、手術の予定日は2月23日になります。何とか間に合うようにいたします」

 ジェジェジェである。何とか間に合ううちに、ということは、間に合わないかもしれないということか。

 インターネットで調べると、素人判断でも第四ステージの初めのように思われる。5年間の延命率は40%以下か。

 担当の先生に、診察時に尋ねると「当病院は他の病院よりも延命率は高いから、あまり心配しないように」と心強い言葉をいただいた。が、5年以内に60%は死んでしまうかも?の本人は意気消沈である。

 抗ガン剤で治療している間に、不安はどんどん増してくる。90歳近い母親のことや息子の結婚、経営している税理士法人の存続が可能かなど。それも悪い方にばかり広がってゆく。

 職業柄、講演会や指導冊子では、年を取ったら遺言書や遺書、尊厳死宣言書を作るように指導してきたのだが、まさか自分がこんなにも早くすることになろうとは思ってもみなかった。

 病院のベットの上で、初めて遺言書を書いた。過去の自分を振り返り、葬儀で読んでいただくお礼の言葉や死後のお願いなど、脳裏を巡るのは死んだ後のことばかりである。シーツの上に涙が落ちた。

 情けない、悔しい、さびしい、悲しい気持ちが渦を巻いてやってきた。そんな折「お墓の前で泣かないで下さい……」なる歌が流れてくる。苦しいときを家族と親友、職場の仲間が支えてくれた。

 手術の日まで1カ月以上ある。それまでは検査入院を延長して抗ガン剤でガンをたたくことになった。2月23日は60歳の誕生日。生まれ変わるか、終了になるか、運命の分かれ道のような予感がする。(続きは本書で)

四六判・236頁・1500円+税
 

 

 

 


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