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第1章 玉子・球平、ボウリングに目覚める 1、いまからでも青春を取り戻したい 何十年ぶりかの熱帯夜が続き、夜も熟睡できない昼下がり。テレビから高校野球の実況放送が流れているのを、主人公の玉子が見ている。 特に知っている子供が出ているわけでもなく、当然、まったく知らない学校の対決である。ただボーッと見ている。9回の裏2アウト、ランナーなし。得点は「5対2」すでに勝負はついている。最後のバッターが空振りし試合終了。 「ウウウゥゥゥーー」。気高くも悲しげな終了のサイレンが鳴り、選手たちが応援席に走り、最後の挨拶をしている。勝ったチームの3年生の選手はもう数日間だけ野球を続けられる。負けたチームの3年生の選手は、今日で少年時代からの夢の終了である。 野球少年にとって、少年時代からの夢の集大成が「甲子園」での決戦。玉子の息子も野球少年だった。小学校5年生のときリトルリーグに入り、高校3年になるまでの7年間は明けても暮れても野球・野球・野球の日々であった。 高校は県下でも甲子園を目指す有名な県立高校に入学、1年365日のうち350日は練習。朝、始発の電車に乗り、夜は玄関で倒れ込む毎日。そんな息子の夢をかなえるために、玉子もルールすらよくわからない野球と7年間も付き合うことになった。 しかし、息子の甲子園は残念ながら遠かった。すでに15年も前のことであるが、玉子の人生にとって甲子園の大会が始まるたびに、昔懐かしい気持ちが身体に湧いてくる。玉子の心に沁みついた記憶は消えることはない。 22歳で結婚しそれから40年間、子育てと家族のことに追われ、ほとんど自分の時間などなかった。今では娘の子に「バアバ」と呼ばれてうれしそうな顔をしている。 そんな玉子が岐阜県中津川で行われた「椛の湖還暦マラソン」で何と準優勝したことにより、スポーツに目覚めた。それは土の中から表面の土をグイグイと持ち上げて出てくる植物の芽のようでもあった。 はるか遠くに置き忘れてきた「青春」を拾いに行く人生の旅路。青春のやり直しというよりは、取りかえしに近いものであった。 2、不良ババアと不良ジジイの誕生 ボウリング場の玄関をくぐるのは40年ぶり。玉子は短大のとき、友達に誘われて夢中に投げた。隣のレーンで投げるイケメン男子から声をかけられ、顔を赤らめたことを思い出していた。 今は40年近く連れ添った主人と、キョロキョロしながら玄関へ。大型ガラスの自動ドアが開いて中に入ると、ガン・ガン・ガンと音がしている。ゲームセンターのやかましい音、子供が叩く太鼓がドンドンと響き、ボウリングのピンの倒れるガーガーガシャンという音が身体の芯にまで響いてくる。 還暦過ぎのいわゆる常識人としての玉子と球平には、このような場所は不良少年少女の集まりという硬直した概念がある。まさか、常識人の自分たちが間もなく不良ババアと不良ジジイになるとは思いもしなかった。
「とりあえず投げてみますか」 40年前と同じように受付台がある。申込書には名前と住所、電話番号と参加者名を記入する欄があり、球平はまるで市役所の申請用紙に記入するかのように丁寧にその欄を埋めていった。記入用紙に老眼鏡を掛けなければ見えないような小さな文字で何か書かれている。
「マイボール有・無の欄があるねえ」 昔やったことがある3ゲームにしよう。玉子が声をあげた。
「えーっと、アメリカン・ヨーロピアンと書いてあるけど、これなあに。あなた知ってる」 申込用紙を持って玉子がフロントに行くと、
「3ゲームですか。6ゲームセットのほうがお安いですよ」 若い店員さんが「ヨーロピアンは一つのレーンでプレイヤーが交互に投げ、アメリカンは2レーンをプレイヤーが交互に投げる方法です」と言う。 40年前には一つのレーンを友達と交互に投げたことしかない。たった2人で1レーンを使うことすら引け目を感じているのに、2レーンを使ってゲームをするのか。 「ヨーロピアンでお願いします」 玉子と球平は、この段階で頭の中はパニックである。
「今ちょうど混んでいますから、40分ほどお待ち下さい」 言われるまま4番札を受け取った。昔取った杵柄と軽く考えていたが、とんでもない世界になっている。玉子と球平は待ち時間の間、場内を見学することにした。 「どう見ても、高齢者の方ばかりだわ」
と玉子。球平は自分が高齢者の仲間であることも忘れて、 「ええっ、ボウリングって1人で2レーン使ってもいいの」 素直な疑問がわいてきた。1レーンを4人で投げるのが普通でないはないのか。玉子と球平の頭の中はますます混乱してきた。 A5版・180頁・1500円+税 |