解明の鍵は応仁の乱後と船田合戦にあり
織田氏の尾張入国から信秀・信長に至る系譜には諸説あって定説がない。本家の岩倉が伊勢守を、分家の清須が大和守を称するが、そのままそれぞれが一筋の流れで来たわけではなかった。戦国史料『武功夜話』がこの謎を明らかにしている。
応仁の乱後、清須が岩倉を併合し、本家は大和守系のものとなった。しかし、その後に起きた"美濃の応仁の乱"船田合戦では美濃の介入により、先に敗れた伊勢守系が清須城主として復活することになる。応仁の乱の後の動向と船田合戦の解明なしに、織田氏の流れはつかめない。