マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
|
||
食通には一目置かれながらも、だれがどうやって作り出したのか、よく分からなかった“名古屋の名物”名古屋コーチン。肉はうまく、卵もよく生んだ。またたくまに全国の養鶏家を席巻したが、昭和37年末の自由化であっという間に消えた。 というのも、肉食用に開発されたプロイラーと産卵用のレグホーンとに挟み撃ちにされたからだ。一羽で二羽を相手に闘わなければならなかった。勝負はあっさり片付き、飼育されなくなってしまった。 ところが、グルメブームの到来が絶滅していた名古屋コーチンを復活させることになった。「肉が締まっていて、もっとコクのあるものを食べたい」「いまのは淡泊で歯ごたえがない」。こうした要求に愛知県農業総合試験場などが復活に挑んだが、当時のニワトリ博士らの苦労は大変なものだったという。 そのもととなった名古屋コーチンはどうやって生み出されたのか。時代は明治にまでさかのぼる。これは海部俊樹元総理の先祖にも当たる海部壮平・正秀兄弟が初めて新種のコーチンを生み出すまでの汗と涙、情熱と努力の知られざる物語である。 |
||