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■南区の歴史探訪
増補新装版の出版にあたって ――― 池田陸介

 今年92歳になりましたが、思えば郷土史と向かい合う人生でした。この年になったいまも地元の歴史の紹介などに努めさせていただいております。『南区の歴史探訪』もそうした活動の一つでもありましたが、このほど再刊されることになり、マイタウンの舟橋さんから何か一筆と言われ、市民参加で知られる南区の見晴台発掘調査についての思い出を書くことにしました。

 昭和47年、48歳のとき、東海市名和の友人と名和の新池の北に「名和民俗資料館」を作りました。当時、在職していた一柳中学校(名古屋市中川区)の歴史クラブの生徒数人とともに収集した民具、それに友人のものを加えて展示し、一般の人たちに見てもらおうと企画しました。これができると私の友人や教え子、地元の人など、大勢の人が見にきてくれました。

 彼は友人が少なかったこともあり、私のために建物を提供してくれました。しかし、奥様との関係もよくなく、やがて「お前のために作ってやったわけではない」と言われるようになりました。

 そこで私のものは全部、東海市の平洲記念館へ寄贈し、今度は生徒とともに見晴台遺跡の発掘調査に参加することになりました。私はこれをきっかけに発掘調査に夢中となり、朝8時、赴任していた南区の大江中学の歴史クラブの生徒と加わることにしました。

 当時、市民参加によるこの遺跡調査は話題になっており、新聞やテレビが取材に来ました。8月の第2日曜日、午前・午後の2回、市民見学会を行い、多いときは100人近くも集まってくれました。これを機会に見学はいつでもおいで下さいということになり、その説明係を置いたりもしました。

 これには名古屋市教委も応援してくれ、昼食代・氷代も出してくれ、ときには寿司の出たこともあります。また、生徒たちに日当300円、私たち教師には1000円くれました。

 この手当を集めて「見晴台教室」と名付ける機関紙を作りました。発掘現場が「教室」であり、これには参加した中・高・大学生らの作文も載せてました。

 発掘期間は夏休みに入った7月21日から8月いっぱいです。日曜日は休日としましたが、途中で休む者もなく、みんな熱心でした。始める前、終わった後はミーティングの時間にし、団長を引き受けしてくださった名古屋大学の大参先生のお話を聞いたり、参加生徒らの疑問に答えるなどしました。「見晴台教室」の役割は十分果たせたように思います。

 遺跡の発掘調査を始めたのは名古屋考古学会の吉田富夫先生を団長にした組織でした。しかし、後には私たち学校の先生、生徒が中心の態勢になってしまいました。当時、それに携わる民間の人たちは私たちを「掘り方の分からん人たちがやっている」と異を唱えましたが、やがてこの人たちは出てこなくなりました。

 そのころの発掘の仕方は木を切り倒し、草を刈って、2日ほど前から準備をします。調査が始まる前にモッコを天秤棒でかついで土を捨てていましたが、しばらくしてブルドーザーなどを借りてきて遺跡の土をはねるようになりました。この後、ジョレンや土かき、ヘラなどを使って丁寧に仕事をしてゆきました。

 昼は土方仕事、夕方からは発掘したものの整理をし、家へ帰るのはいつも9時、10時でした。それでもだれ一人として文句を言う者もなく、本当に楽しい発掘調査でした。

 現在、私は東海市名和の更地になった「北本郷遺跡」を調査しています。これは今年の6月8日に発見し、私一人で落ちている製塩土器3本、須恵器2片、ハイガイ・カキ・サクラガイ・キセルガイなどを採集しました。あとは東海市教育委員会の社会教育課、宮沢学芸員にお任せすることにしました。

 私にとって埋蔵文化財の調査は楽しいことの一つです。92歳になったいまも私を支えてくれ、これを大きな喜びとしています。

 話が長くなってしまいましたが、絶版になっていた『南区の歴史散歩』が装いも新たに再刊されることをありがたく思っています。これは教員を退職した59歳のとき、名古屋市南社会教育センターで多くの社会人の方々と勉強したときの成果でした。南区をより深く知るために活用していただけたら、こんなうれしいことはありません。
(2015.12)

 

 

 


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