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名古屋財界の風雲児、山田才吉
藤澤さんはかつての名古屋タイムズに「風雲児 山才―中京財界の異能」と題して330回にわたって連載された。本書はそれをもとに再構成し、一冊にまとめられたもの。とかく異端者と見捨てられがちだった才吉を、人間味あふれる生き生きとしたタッチで描き出している。 才吉は岐阜金華山のふもと、現在の大仏町で嘉永5年(1852)に生まれた。14歳のとき、家を飛び出して東京で板前の修業に入り、帰ってからは瀬戸で料理屋を開いたのを皮切りに、熱田から大須、末広町へと転ずるごとに実力を蓄えていく。幼いころに見上げた大仏のように、とにかくでっかいことが大好きだった。 名古屋名物となる守口漬を“発明”したのも才吉なら、缶詰工場でひともうけし、いまで言う総合レジャーランド東陽館や南陽館、教育水族館などを建設し、晩年には聚楽園(東海市)に日本一の大仏を建立したのも才吉だった。その間、オープンしたばかりの東陽館は火災で焼失し、南陽館と水族館は台風に押し流される悲運にあうが、これにひるむことなく挑戦し続けていった。いまの中部電力や東邦ガス、さらには中日新聞や中央卸売市場などの源流へさかのぼるとこの人に突き当たり、近代黎明期の名古屋で大暴れしていたことが分かる。 ![]() 詳しいことは本書に譲るとして、その全貌が明らかにされたのは初めて。才吉の型破りな生き方は痛快だし、この元気さがいまの日本にもほしい。「石橋を叩いて渡る」と言われる名古屋にあって、才吉の生き方や考え方に学ぶべきことは多い。本書は人間才吉を語るだけではなく、名古屋の優れた産業史や経済史にもなっている。 |