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■嵐に向かう名古屋の大正・昭和初期

 前作『讃えよう名古屋の明治』は慶応4年(1868年9月8日、明治と改元)から明治45年(1912年7月30日、大正と改元)まで、名古屋を中心としてまとめました。明治新政府が京都から東京に移り、廃藩置県から近代国家の諸制度を導入・整備し、文明開化と富国強兵政策を進め、日清、北清、日露の戦いに勝ち、近世における我が国最初の危機を乗り越えた時代の過程でした。

 明治は薩摩長州の武力による攘夷倒幕の維新で始まるのですが、戊辰戦争はかなり乱暴な経緯で徳川幕府を倒してはみたものの、勝者の薩長を中心に大小の乱が続き、明治10年の西南の役と東京の近衛部隊の反乱で一段落するまで、強引な力づくの治安維持でした。

 しかし、この維新の成功はその後も今日に至るまで良いとこ取りで、概ね賛美され肯定されるべき偉業として、ほとんどの史観が定着しています。戊辰戦争の早期終結のため江戸城の無血開城に尽力した尾張藩主以下の動きなどは、単なる保身を目指す腰抜け党の扱いで、この評価に疑問を呈する識者もまたほとんど見当たりません。

 しかし、これははなはだ偏った見方で、政権を取得した薩長と少壮公卿たちのコンプレックスを覆い隠す作用を持っています。坂本龍馬、高杉晋作の取り上げ方は、敵役の「新選組」も絡めて、維新に対する史観と人物を奇妙に脚色してやまないのです。

 明治の新政府は今日では考えられないほどの国費を使い、岩倉使節団以下の与党主流を欧米に派遣していますが、留守を預かった西郷隆盛、江藤新平等の傍流はのちに政権与党から追放され、その反乱を武力で制圧するため更に莫大に国費と人命を失っています。元の同志たちを容赦なく処断するのは、およそ革命政権の特色の一つでしょうが、強権専制の中央集権の形成には「問答無用」の冷淡非情や不条理を痛感します。

 「勝てば官軍」の戊辰戦争の力学は明治10年頃まで続き、権勢欲が希薄で清廉な人士たちの討伐に非情で容赦なく働きました。必要な革命とはいえ、まったくもってもったいない国費と人命の喪失で、ひどい知恵不足を感じさせます。

 こう考えてくると、戊辰戦争を頭から賛美肯定する史観ははなはだ疑問です。「あいつはこっちを賊軍としたが、こっちはあいつらこそ賊軍だと思って戦った」という感想は、東北地方のある新聞社主の言葉ですが、戊辰戦争に対する史観はいまだに偏ったままです。

 武力による制圧は鳥羽・伏見の戦いまでで十分で、上越東北の戦争は蛇足でした。そこまでしなくても、廃藩置県を経て新しい中央政権はできたと思われてなりません。そればかりでなく、武力による国内の制圧にめざましい成功を収めた明治新政権は、こののち強兵政策による軍備の増強と隣国との戦争に指向した結果、二度の戦勝を経て自信過剰の道に踏み込むことになったのです。

 日露戦争で賠償金が獲得できなかった我が国では、国際間の軍備拡張競争に巻き込まれ、陸海軍とも軍備の維持増強の予算不足に苦慮しました。この予算獲得に走る陸海軍からの圧力で、桂陸軍大将と西園寺公爵の内閣は短期間に交代を繰り返したのです。

 藩閥内閣に批判的な大正デモクラシーの開花で、昭和初頭にかけて政党内閣がようやく登場したものの、政党間の泥仕合、首相の暗殺、汚職疑獄などが続発した挙げ句、陸軍による政権掌握を目指す軍事クーデターまで登場します。弱体な政党政治に対する幻滅は、近衛文麿公爵と軍人首班の政権となり、第二次大戦への道筋を拓きました。

 この間、長らく貴族院議長を務め、国際連盟を擁護した徳川家達公爵(徳川宗家)が「英米本位の平和主義を排す」という主張を信条とする若い近衛文麿公爵と交代。この近衛公爵をエースとして陸軍が担ぎ上げ、戦時体制の促進を図ったのです。

 こう考えてくると、太平洋戦争に至るまでの動・反動の殺伐とした歴史の因果関係の原点は、遠く薩長による戊辰戦争の強行に由来するものと思われてなりません。政権擁護のため戊辰戦争を強引に美化し正当化した「勝てば官軍」の偏った史観が、昭和維新を唱えた軍事クーデターの底流にあったと思わざるを得ないのです。今日まで生きている明治維新の美化は、客観的に見て果たして妥当な史観なのかと再考せざるを得ないと思います。

 昭和維新の2・26事件は、幕末と同じく頻発したテロの総仕上げのようなもので、大正デモクラシーを完全に葬り、のちに政権を担う近衛公爵までが、うかつにものを言えない時代の恐怖を和歌に托すなど効果抜群でした。陸軍は国体明徴運動を強引に展開し、幻の天皇親政を指向して軍部批判を封じ、国内諸勢力を押さえ、それをばねにして、内外とも向かうところ敵なしの雰囲気を醸し出しました。

 ようやく世界の五大強国として欧米列強と肩を並べるに至った我が国が、大正から昭和初期にかけての次の四半世紀は、多事多端でまったく落ち着かない年々でしス。大正3年、独シーメンス社から海軍高官が政治資金欲しさに収賄した事件で、海軍の大御所山本権兵衛内閣が辞職。愛知県出身の太田三次郎海軍大佐は、事件発覚の前から山本権兵衛海軍大将の疑惑を公表の後に追放されることになり、海軍の外国からの兵器購入には見返りのリベートの疑惑がつきまといました。大正の出だしが汚職による内閣の瓦解に始まるとは、何とも前途多難を示唆してやまない成り行きとなります。(以下略、「はじめに」より)

    主な目次

第一章 前途多難、大正時代の始まり
第二章 第一次世界大戦と日本
第三章 内に米騒動、外に東シベリア問題
第四章 戦後恐慌下での軍拡・軍縮
第五章 悲惨、関東大震災とその教訓
第六章 社会運動の高揚と普通選挙の開始
第七章 軍靴高鳴る昭和時代の始まり
第八章 満州事変へ、軍部の台頭やまず
第九章 政党内閣の崩壊と国際連盟の脱退
第十章 2・26事件と渡辺錠太郎の惨劇

 

 

 


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