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1枚の絵図が語る、この村の江戸時代
尾張藩の二つの史料で、さらに深読みも

 江戸時代の後期、現在の名古屋16区内には200ほどの村があった。当店がバラ売りしている村絵図(『尾張国町村絵図―名古屋市域編』国書刊行会刊)は主に天保12年(1841)と弘化4年(1847)のもので、この年でないものでも多くはその前後に作られている。しかし、それほど数は多くないものの、当時の村絵図がなくて別の時期のもので代用したり、年号の明記されていないものも中にはある。

 いずれも一つの村を1枚の紙に描いており、狭い地域をこれほど詳しく書いた地図はあまりない。村内の集落や寺社、田畑、川(用水)、小字、村境、隣接する村々など、当時の村の様子がカラーで克明に記されている。おそらく尾張藩の命で庄屋が下書きを差し出し、藩の絵師たちによって仕上げられたのだろう。

 こうした村絵図の隅には庄屋など村役の名前が記され、それぞれが印を押している。村の有力者の名前も、また貴重な史料である。書き上げた絵が間違っていないかどうか、確認させたものでもあろうか。

 当時はどの村も小さな集落があるだけで、その周りのほとんどは田んぼや畑だった(ところによっては山林なども)。いまでは考えられないような、のどかな光景が広がっていたはず。また、ここに記載されている地名が住宅などの建て込んだ現在の町名になっていたりもしている。

 たった1枚の絵図から様々なことが読み取れるが、さらにこれを“深読み”することもできる。尾張藩では国勢調査とも言える記録を残しており、これによって江戸時代の前期と後期との様子を比べることもできる。前者が『寛文村々覚書』という本であり、後者が『尾張徇行記』という本である。

 両書には尾張藩内全村の状況が村ごとに報告されている。その村の石高、田畑の面積から家数、男女別の人数、馬の数、用水や杁、寺社名とその由来、その他にもいろいろ。当時を知る貴重なデータブックとも言えるもので、これと村絵図とを突き合わせて読むことにより、その村の移り変わりまでもが分かってくる。

 特に『尾張徇行記』は村の給人(支給されている藩士名)も書くなど『寛文村々覚書』以上に詳しい。村によっては通行する茶壺道中の人夫として狩り出されたり、水害の後遺症で悩まされていたりするなど、当時の村人たちの暮らしぶりまでもがしのばれてくる。両書を収録する『名古屋叢書 続編』はいまとなっては貴重で高価な本になっているが、多くの図書館には郷土資料の一つとして備えられており、その中から関心のある村を選び出して読み、あるいはコピーして手元に置いておくのもよかろう。

 さらに興味が湧いてきたら村絵図を手に、現地を訪れてみるのもよい。地図とはまるで違う現実に直面するが、村絵図にある小さな社(やしろ)が神社の末社としていまも祭られていたり、用水が道路に変わっても暗渠(あんきょ)として生きていたりするなど、村絵図で知っていたからこそできる面白い発見もあったりする。1枚の村絵図の語りかけてくるものは多いし、また興味深いものがある。

 

 


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