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■曼陀羅寺史料集成 武馬毅編

「尾張曼陀羅寺記録」の語りかけるもの

 愛知県江南市村久野にある曼陀羅寺は後醍醐天皇の勅願により創建されたと伝えられている。当初は円福寺と称し、天皇の「建武の親政」が実現して隆盛を極めた。しかし、やがて南北朝の対立から足利幕府の成立を迎える中で荒廃し、今度は逆に南朝との縁故を断つ必要性に迫られた。

 伝承によると一人の老婆から曼陀羅を授けられたとし、寛正3年(1462)、寺号を円福寺から現在の曼陀羅寺に改めている。同寺が南朝との政治的背景を断ち切り、これによって新しく生まれ変わりを図ったものとみられる。後奈良天皇の天文10年(1541)には勅願寺となり、本朝六檀林の一所に挙げられるまでになってゆく。

 曼陀羅寺の近く、東野(江南市)に「武馬」姓を名乗る南朝ゆかりの旧家がある。同家は曼陀羅寺に隣接してある上宮寺の有力檀徒だが、同家には「円福寺を建てるとき、大工でもないのに縄張りをした」との言い伝えが残されている。本書が取り上げた古文書「尾張曼陀羅寺記録 附美濃善恵寺記」は同家に所蔵されてきたものである。

 この古記録は善恵寺(ぜんねじ、岐阜県・八百津)の住職円海によって書き残された。一説に美濃の武将斉藤妙椿(みょうちん)の弟とも言われ、円海はまた一時期、曼陀羅寺の住職もしている。妙椿は美濃の守護土岐氏のもとで実権を振るい、応仁の乱では妙椿の動向一つで決まるとさえ言われたほどの人物だった。

 曼陀羅寺の創建は本当に後醍醐天皇の勅願になるものなのか。古記録を残した円海とはいかなる人物だったのか。武馬家と上宮寺、曼陀羅寺との関係はどうなのか。この古文書は地元の歴史を織り交ぜながら、これまで語られることのなかった曼陀羅寺の歴史を書き記している。

A4判・232頁・上製本・8500円

 

 


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