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■異説・藤原師長伝説 琵琶物語

なぜ「琵琶物語」は生まれたのか 「はじめに」より

  筆者はすでに「近世前期の尾張藩の芸能興行―宗春以前の芸能史」(『宗春と芸能』に収載)を発表し、初めて尾張藩の歌舞伎の担い手の姿を明らかにした。それを列記すれば以下の如くである。

 一、知多郡大草村に集住する芸団は猿楽能の系譜で、今日の能・狂言の家と同様、翁の面を神の依代とし、「お面様」として大事にしていたこと。

 二、広小路の牢番役をしていた傀儡も歌舞伎の芸団として成長し、清寿院を縄張りとしていたこと。

 三、橘町裏の御様場横に集住していた処刑役人が、常設の芝居小屋を建てるほど成長していたこと。

 そして、これらの芸団が共同で活動していた状況についても考察した。また、「濃尾地方における近世芸能の始まり」(『宗春と芸能』に収載)と題して、街道を放浪する中世に源を持つ説教者たちが近世社会の中で定住し、新たな歌舞伎芸団として成長していく姿を、美濃の神戸のささらたちに見いだした。ささら斧右衛門を座長とする彼らは享保年間には、美濃一円で活動するのみでなく、尾張一宮・名古屋でも興行し、先に挙げた芸団とも共演していたのである。

 しかし、彼らが如何なる神に奉祀していたかは明らかにできなかった。それに対して小田井のささらたちは、近世になっても定住しただけで活動は中世的形態のまま存続したので、逆に彼らが自らの祖先神として東岸居士を祀っていた事実を、我々に教えてくれたのである。

 世に言う「小田井人足」として笑われながらも、彼らの唯一の存在証明が今回復刻した『琵琶物語』なのである。この書の背後に我々は彼らの涙を、引き裂かれる恋を読み取らねばならないのである。

 なお、参考のため『尾張名所図会』等の図版を入れた。(古文書に親しむ会講師 鬼頭勝之)。

 

 


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