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■艦隊決戦の幻影 主力部隊

 

 渡辺氏は手術不可能なガンと宣告され、命を削るかのようにしてまとめられているのがこのシリーズ。(一)は「戦艦・重巡洋艦・軽巡洋艦」、(二)は「軽巡洋艦2・練習巡洋艦・特設巡洋艦・敷設艦・特設敷設艦・特設水雷母艦・特設急設網艦」、(三)は「補給艦・その他」の副題が付く。

 いまのところ、(七)まで予定されている。しかし、体調次第で先が読めず、出来上がり次第、残部を希望者に頒布していくことになった。購入された方には優先的にお渡ししていく予定でいる。

 渡辺氏の執筆・入力を補佐し、編集しておられるのが畏友の永井久隆氏である。同氏の「編集後記」を紹介しておこう。

このすさまじいエネルギーはどこから来るのか (一)の「編集後記」より

 渡辺博史氏の原稿の編集に関わらせていただくようになってから、2年近くになる。この間、海軍の個別艦艇に関する行動記録と人事記録をまとめた大部の艦艇シリーズ「護衛部隊の艦艇」「壮絶・決戦兵力 機動部隊」(計8冊)の刊行に関与させていただいたが、今回から新たに「艦隊決戦の幻影 主力部隊」シリーズが始まることとなった。

 本巻では海軍の主力部隊として、艦隊決戦を想定して準備された「大和」「武蔵」などの超弩級戦艦のほか、「愛宕」「那智」「青葉」といった重巡洋艦が取り上げられている。一般にもなじみのある大型艦艇が登場するだけに興味深い。

 ところで、読者からは渡辺氏の人並み外れた著作量について、感嘆の声と共にその秘訣は、と問われることが少なくない。実を言うと編集者としても、渡辺氏の情熱と猛烈なスピードに付いていくのがやっとというところ。間髪を入れず、次から次へと大量の原稿をアップされてくるのには、ただ愕くばかりである。

 実は、渡辺氏の執筆活動はこれだけではない。並行して同人誌に随想を寄稿されたり、幕末・明治期の郷土史に関する著作にも取り組んでおられるのだ。手術不能な状態のガンを抱えながら、その活動は超人的というほかはない。

 ご本人によれば、自身の余命を意識するようになってからは、むしろ研究に対する集中力が高まり、今は体力と時間の許す限り、机の上に向かって、執筆に全力を傾注されているのだという。これまで地道に収集・蓄積されてきた厖大な戦史資料と卓越した調査研究能力がこれを支えている。四十有余年にわたる海軍軍事史研究の成果が今、大きく開花しているといっていいだろう。

 これまで多くの著作をものされてきた秘訣について、ご本人はただ「虚仮の一念」と笑われるが、軍事史に止まらず、多岐にわたる学識やその根底にある見識は一朝一夕に養われたものではない。以下、私の知る渡辺博史氏の人物像を少しばかり述べてみたい。

 氏は昭和7年の横浜市生まれ。戦時中は母上の実家近くの静岡県立富士中学校に通学していたが、勤労奉仕の作業で左人差し指切断、左下蓋骨骨折という重傷を負われた。

 また、当時は米軍の航空母艦が駿河湾沖にまで出没。その艦載機が2〜3機の小編隊となって、同時刻・多発的に沼津や富士周辺の軍需工場に飛来し、機銃掃射で攻撃する戦法をとっていた。他方、硫黄島からも戦闘機が散発的に来襲。同様の攻撃を繰り返していた。氏自身も数度、戦闘機からの攻撃を身近に受けたことがあるという。

 とりわけ富士川鉄橋付近の河原にいたとき、突如現れたP51戦闘機が自分たちに向かって機銃掃射をしてきたときのことは、今でも忘れられないそうだ。P51戦闘機は陸軍の戦闘機「飛燕」に似ており、正面からでは機体のマークが見えないため、見張り役の生徒が味方機と間違えて、攻撃される直前まで全く気がつかなかったという。引率の配属将校が血相を変えて慌てていた姿も思い出すという。

 また、鉄道列車が攻撃されているのに出くわしたことがあり、氏がよく見ようとイチョウの木に登ったら、ちょうど戦闘機がこちらに向かってくるところだった。目の前の家の屋根に激しく何かが飛び散り(後日、薬莢と判明)、掃射されたと思って肝を冷やしたそうだ。このときは搭乗員の顔まで見えたという。

 これらのことは、まるで映画のワンシーンを見ているようだったという。青春時代のこうした経験もまた、渡辺氏が戦史に関心を持つきっかけの一つとなったであろうことは想像に難くない。

 戦後間もなく、氏は父上の任地にあった兵庫県立医科大学に入学された。多くの知己を得られたが、諸事情により中退。愛知県職員としての道を歩むこととなる。

 この間、恩師から医学部復学への口利きもあったと聞くが、結局は公務員・公団職員としての道を歩まれることとなった。これらのことは氏の心残りとなり、これが後年、氏を海軍軍医官の研究に向かわせる縁の一つとなっていく。

 昭和31年、氏は請われて発足直後の日本住宅公団に出向となり、名古屋支所勤務となった。以後、高度経済成長の時代からバブル期に至るまで、氏はその多くを団地開発事業や市街地再開発事業といった開発プロジェクトの最前線で、いわゆる事業屋のリーダーとして活躍されることになる。

 その後も、ショッピングセンターの管理運営事業で革新的なコスト低減の試みに成功されたり、商業・再開発コンサルタントとして、多くのプロジェクトに関与されたりもした。こうした仕事の場での経験もまた、渡辺氏のものの見方や人生観に多大な影響を与えていったものと思われる。

 現役時代の渡辺氏は私の先輩格に当たるが、氏の仕事の進め方はきわめて合理的かつ実践的なものであった。とりわけ問題の本質をつかみ取る力は抜きん出ておられたように思う。

 氏は何よりも現場を重視された。事務屋としては敬遠しがちな専門外の技術的事項についても、平気で関連実務のディテールにまで踏み込み、問題解決に役立てておられた。

 また、数字やデータ分析に強かったことも記憶している。困難な交渉にも臆することなく、自ら率先して当たられるのが常であった。従って、大規模プロジェクトのような多面的で難しい案件になればなるほど、氏の能力と力量が発揮されていたように思う。

 反面、組織内の上司にへつらったり、奥の院にこもって人事に策謀をこらすような内向きの行動は氏の最も嫌うところであり、そうしたことでは波風が立つこともあった。氏は無類の読書家であり、内外の古典にも精通しておられた。氏の教養とずば抜けた見識は、部内よりもむしろ外部から高く評価されていたように思う。

 ところで、本書記載の研究略歴によって、渡辺氏が防衛研究所の公刊戦史の購読を開始されたのが昭和42年であり、このときから海軍軍事史の研究を始められていたことを知った。渡辺氏の現役時代、私も仕事をご一緒したことがあるが、あのような激務の一方で、氏がこのような研究に取り組んでおられたなどとは到底信じられない。

 海軍軍事史の研究に専念し、あわせて母上の介護に当たるため、氏は57歳で早期退職の道を選ばれた。研究成果はできるだけ本にまとめることとし、執筆の目的を戦没者の鎮魂と定めて、氏の調査研究にも拍車がかかることとなった。その後の目覚ましい活躍は、著作一覧を見ていただければお分かりいただけることと思う。

 氏がお身体を大切にされ、今後とも自在に研究活動を進めていかれることを願ってやまない。平成26年3月

艦隊決戦の「幻影」にたどり着くまで (二)の「編集後記」より

 旧海軍の主力部隊の艦艇を取り扱う本シリーズのサブタイトルをどうすべきかについて、著者の渡辺氏から何かいい題名はないだろうかと意見を求められたことがある。メインタイトルは前「機動部隊」シリーズとの関連で「主力部隊」に決まっていたが、この部隊の本質をズバリ言い表すようないいサブタイトル名がなかなか頭に浮かばない。

 お話しているうちに渡辺氏からキーワードとして「艦隊決戦」という用語が提示されたので、これをベースに「艦隊決戦の蹉跌」という一案を思いついた。「蹉跌」という言葉で、艦隊決戦思想の表れとしての主力部隊とそれがたどった悲劇的な運命を暗示できるのではないかと考えたからである。

 だが、そのうち「艦隊決戦の蹉跌」というのは、第一義的には決戦が行われた場合の表現になるのでないかという気がしてきた。そうした誤解を与えないためには「艦隊決戦」の後に「思想」とか「戦略」という語を付け加えないといけないが、それだと本シリーズの内容からみてイマイチしっくりこないようにも感じられた。

 いくばくかの議論の後、日を置いて渡辺氏は「艦隊決戦の幻想」という題名を思いつかれ、さらに言葉の意味やイメージを吟味して、最終的には「艦隊決戦の幻影」を「主力部隊」シリーズのサブタイトルとすることに決せられた。

 「幻影」とは深みのあるいい表現だと思う。旧海軍の主力部隊は主力艦同士の艦隊決戦のために存在し、それを前提とした艦隊戦略が時代遅れとなっても、そのことに気がつかないまま整備・増強されていった。いつしか艦隊決戦はまぼろしとなっていたのである。

 航空機の目覚ましい発達とともに、これを海戦での攻撃に活用しようとする動きが出てきた。だが、それらはあくまでも来たるべき艦隊決戦を有利に運ぶための戦術の一環としかとらえられなかった。決戦の場における主力部隊の大艦巨砲こそが最後の勝敗を決するという伝統的な用兵思想を抜け出ることはできなかったのである。

 本シリーズで取り上げる主力部隊の諸艦艇も、いつか来るであろう艦隊決戦に備えて行動せざるをえないという戦略上の制約を負わされることとなり、その多くは悲劇的な結末を迎えることとなった。

 ところで、本書では本編のほかに著者の海軍軍事史に関するエッセイ「生かされなかった先見の明」を収録した。前著「主力部隊(一)」に収録したエッセイ「虚仮の一念 戦史研究と戦争史観について」と共に、興味深くお読みいただけるのではないだろうか。平成26年6月

よくぞここまで、三巻目こそ渡辺氏の真骨頂 (三)の「編集後記」より

 補給艦船は表舞台に立つことなく、目立たない存在ではあるが、戦闘艦がその能力を発揮する上ではきわめて重要な存在である。いかに強力な戦闘艦であろうと、給兵・給油・給糧、その他の支援任務を担う艦船の支えがなければ満足に活動できないのは自明の理である。

 しかしながら、これまでのスポットライトは華やかな戦闘艦に当たり、艦隊行動を支える補給艦船が顧みられることはあまりなかったように思われる。

 総力戦の名のもと、これらの補給艦船には「特設」の名を冠した民間徴用の船舶が充てられることが多かったが、艦船それ自体の防御力は皆無といってよく、任務遂行に当たっては大変なご苦労と危険にさらされることになった。ほとんど裸同然の状態で苦闘しながら任務遂行に当たられ、その多くは悲劇的な結末を迎えることとなったのは本書で明らかなとおりである。

 これらのことについて著者の渡辺博史氏にお聞きしたことがある。渡辺氏によれば「補給艦船は縁の下の力持ちではあるがあくまでも裏方。海軍組織ではいわばドサ回りとしての役回り。その苦労や敢闘が正当に評価されたとは言い難く、むしろそれだけに、こうした補給艦船や補助艦艇の活動ぶりに愛着を感ずる」と言われていた。

 戦闘艦であろうと裏方を務める補給艦船であろうと、1隻の艦船という点では同じ。ご自身の職務経験も踏まえ、現代の組織・人事にも通ずるところがあると教えていただいた。

 ところで、本シリーズは日本海軍の個別の艦船についてその活動記録と人事記録を記述したものであるが、編集作業をしていると、これらの淡々とした記述の中にも気になる箇所や疑問が出てくることがある。こうしたときには、私のできる範囲で調べてみるようにしているが、ときに思わぬ発見をすることがある。本書でも同じようなことがあった。

 例えば、本書201頁の「特設運送船(給油)第三図南丸」。記録を見ているうちにいくつか気になるところが出てきた。

 元の船主が日本水産というと、あのニッスイ。本来は漁船だったのだろうか。ただ、よく見ると排水量が何と2万トン弱もある。かなりの大型船だ。大規模な水産物運搬船だったのだろうか?

 また、同船の活動記録をよく見ると、空襲にも耐え、米潜水艦からの雷撃で中破しつつも復活。更に後日、同様の雷撃で大破したが沈没を免れ、トラック島に無事入港している。強運である。トラック泊地に長期停泊後、空襲でようやく沈没という船歴もなぜか気になった。

 調べてみたところ、「第三図南丸」はもともと南氷洋で捕鯨を行っていた捕鯨母船。排水量が大きいのは、船団の各船に供給するための大きな重油タンクや鯨油タンクを装備していたためであることが判った。給油任務の特設運送船として利用されたゆえんである。

 また、米潜水艦からの雷撃の際に爆発しなかった魚雷が4本船体に突き刺さったまま入港し、その姿がかんざしを刺した花魁(おいらん)のようであったことから、「花魁船」とも呼ばれたそうである。

 ところが戦後、昭和26年になって、日本水産は何と沈没した同船を海底から浮揚させ、30数柱の英霊と共に日本に曳航して播磨造船所相生工場で修理させているのだ。浮揚作業は世界が注目する屈指の難事業、曳航時も台風に遭遇するなど危険にさらされながら、何とかこれを乗り切っている。やはり強運の船としかいいようがない。

 そして、既に戦没していた「図南丸」の名称を受け継ぎ、捕鯨母船として南氷洋捕鯨に再就役したというから驚く。同船が解体されたのは、昭和46年、江田島においてであった。(1、山田早苗「日本商船隊の懐古 No.33」、『船の科学』、昭和57年3月号P30、船舶技術協会、2、「ふるさと相生再発見」
http://furusatoaioi.com/pdf/b100_4_hpsyasinsyu121-160.pdf 平成26年9月 25日アクセス)

 船にも歴史ありで、先の大戦では数奇な運命をたどった艦船が少なくない。本書の編集がきっかけで、こうした興味深い事実を知ることができるのも、編集者としてのささやかな愉しみである。

 さて、本書では前著に引き続き著者のエッセイを収録した。附論として掲載した「海軍の組織について 組織の体質と固定観念、その中での昇進管理」である。旧海軍の組織体質からする人事管理のあり方について著者が考察を加えたものであり、大組織での勤務経験を持つ著者ならではの指摘もある。ご一読いただければ幸いである。平成26年9月

 

 


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