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■壮絶・決戦兵力 機動部隊

軍事史研究家渡辺博史著「壮絶・決戦兵力 機動部隊」
第1巻の「まえがき」より

 大正3年(1914)夏、第一次大戦が始まった。その数年前、我が海軍が海上作戦に適した飛行機として、米仏両国から水上飛行機6機を購入し、明治45年6月、海軍航空術研究委員会を設け、横須賀軍港内の追浜に水上機飛行場を建設。気球研究を重視する傾向の陸軍に同調することなく、独自の組織と実用機の開発に向け業務を開始した。

 大正元年11月には初飛行を、翌年の大演習には、母艦若宮丸に搭載した水上機3機、水上機基地からの水上機3機を参加させた。

 翌3年の第一次大戦で、独租借地の中国山東省青島の攻略作戦に、特設水上機母艦若宮丸(搭載機4機)が参加。9月5日から11月7日までの間に、延べ50機で青島港内と陸上の偵察、爆撃を実施した。

 爆弾のない時期で、砲弾を機体につり下げて飛行し、索を切断して投下するという原始的な爆撃で、搭載機銃もなく、写真器は地上用のものを持ち込み、地上部隊との連絡は報告球を投下してというものだった。

 翌大正4年、英海軍に航空母艦の着想があることを知り、我が海軍も研究を開始。大正8年に世界最初の航空母艦「鳳翔」を起工。全く新しい艦種として模索の内に設計から建造へとなり、竣工後も実験の結果、改造を要する箇所が多く、大正14年に至り漸く使用可能の状態になった。

 この間、大正11年にワシントン軍縮条約で、建造中の巡洋戦艦赤城、天城の建造を取り止め、2.7万屯の航空母艦に改装することになった。天城は関東大震災による損傷が激しく、建造取り止めになった戦艦加賀が代わりに入れ替えられた。

 赤城、加賀の航空母艦への改装は、鳳翔での教訓を取り入れながらも、同じく模索の多い建造となった。赤城は飛行甲板を三層とし、島型艦橋を避けるなど、新規の工夫が凝らされた。

 昭和初期、こうした航空機の急速な発展を迎え、戦艦廃止論が航空部隊の間に広がる。昭和10年、当時航空本部長であった山本五十六中将は、横須賀航空隊を訪れ訓辞した。

 戦艦は金持ちの床の間の立派な置物のようなもので、実用価値はないが、その存在は金持ちに様々な利益を与えている。戦艦の実用価値は低下してきたが、未だ世界的な戦艦主兵の思想は強く、海軍力の象徴としての影響は大きいと指摘。若い航空士官たちが戦艦廃止論を主張することを牽制した。航空攻撃で戦艦は撃沈できないとする主張は、当時の航空機の能力では根強く、先見としては弱いものだった。

 他方、大正15年、重巡洋艦古鷹、加古に水上機発進の滑走台を取り付け、昭和3年に至り、重巡洋艦青葉、衣笠にカタパルトを装備、水上機の艦上からの発進を可能にした。

 艦艇類別等級別表に航空母艦の項が加えられたのは、大正9年4月1日。水上機母艦の若宮が航空母艦として登場した。次いで大正10年3月に翔鶴が、同10月に鳳翔が、いずれも着工に伴い命名され加えられた。

 その後、翔鶴は建造中止で削除。赤城、加賀が加えられた。試行錯誤の航空母艦の建造計画は、そこで一服。昭和2年に認められた8千屯の水上機母艦の建設が、制限外の補助空母龍驤に改められ、昭和4年に着工となる。

 昭和8年に要求が認められなかった航空母艦1隻に代わり、潜水母艦大鯨(のち航空母艦龍鳳に改装)が認められた。昭和9年に至り、軍縮条約の期限切れを予見して、約1万屯の蒼龍、飛龍、有事の際に航空母艦に改装を予定した給油艦の剣埼、高埼、水上機母艦の千歳、千代田、瑞穂の建造が計画された。

 更に昭和12年、2万屯の航空母艦翔鶴、瑞鶴、水上機母艦日進が建造を認められた。昭和14年、重防御の航空母艦1隻の建造が認められた。19年3月竣工の大鳳となる。

 このほか、特設航空母艦に転用する予定で、日本郵船の出雲丸、樫原丸、春日丸、八幡丸、新田丸が建造され、開戦を境に改装された。独汽船シャルンホルストを改装した航空母艦神鷹が登場した。

 また、戦争後半に、雲龍、天城、葛城の各航空母艦が、戦艦大和型の3番艦信濃が航空母艦に改装されて、次々と登場している。

 機動部隊としての行動は、昭和19年6月のマリアナ沖海戦まで、同10月の捷一号作戦では搭載機の不足もあり、囮部隊として米機動部隊主力を誘致する役割に従事して壊滅した。この間、深刻化する南西方面航路の船団護衛に一部の航空母艦が使用されている。

 太平洋戦において、機動部隊が編成でき米国艦隊と互角に戦えたのは、ミッドウェー作戦の時がピークであった。壊滅した第一機動部隊のほかに、第四、第五の両航空戦隊で第二機動部隊を編成、アリューシャン列島の要地攻略作戦を展開するなど、緒戦の勝利と成功を背負った勢いは、そこで頂点と分岐点を迎えた。

 手狭な艦内に積み込んだ搭載機を、燃料・弾薬満載の状態に準備して、昇降機で飛行甲板に上げ、次々と切れ目なく発進させる。その戦闘時の手際良い作業をまとめ上げる熟達した技量を備えた航空母艦は、米国と日本の両海軍だけで、のちに英国海軍が戦争終期に加わっただけである。

 あの大戦争の悲惨な敗北は、海軍について言えば、決戦兵力となる機動部隊の戦力の差にあったと言うべきであろう。少ない兵力の聯合艦隊主力を空母中心の機動部隊に改編できた時は既に遅く、単に兵力の頭数のみに留まらず、部隊や艦全体を動かすソフト面のノウハウも含めて、戦争後半の我が海軍は米国海軍に完敗した歴史であった。

 比島沖海戦ののちは、第一機動艦隊、第三艦隊の解隊により、機動部隊の編制は完全に断念されることになった。その後に残された新造の航空母艦は、載せる艦載機、使われる機会もなく敗戦を迎えることになった。決戦兵力は各種の小型の特攻兵器に期待される末期を迎えた。

 ところで、機動部隊と言えば、空母部隊のみを指すものではなく、護衛の兵力を含めて、決戦兵力として大規模な編制となる。「壮絶・決戦部隊」と題した各編に、航空母艦、水上機母艦のほか、戦艦、巡洋艦等の各艦、補給部隊の艦船、各航空戦隊、第十戦隊、第一航空艦隊、第三艦隊等を逐次、収録する予定である。

 また、護衛警戒兵力の水雷戦隊、所属する駆逐艦、駆逐隊については、護衛部隊の艦艇編に収録する予定である。水上機母艦を機動部隊の編に収録するのは、些か失当であろうが、飛行機隊を搭載しなかった航空母艦、つまり機動部隊に参加しなかった航空母艦も少なくないので、航空母艦に続きこの編に便宜収録した。

 もっとも、海軍航空全体としては、開戦後も航空母艦と水上機母艦との間の人事交流も少なくなく、一体同類としての扱いが見られる。船舶改造の特設航空母艦に類する航空母艦だけでなく、世界最大の航空母艦信濃をはじめ、せっかく竣工しながら機動部隊に編入されなかった航空母艦もあるが、本編に一括して収録することにした。

 本編のとりまとめに当たっては、闘病中の筆者は、永井久隆氏の支援を得なければ原稿の編集は覚束ない状態にあった。続編以降についても、引き続き永井氏の力を借りて、余命の続く限り続けたいと思っている。

 筆者は既往の戦争に対する安易な批評は控え、現在の平和が続くことを念願して、この記録をまとめることとした。最後に、戦役に参加された将兵のご労苦と献身に敬意を払い、戦没された将兵には、謹んで哀悼と鎮魂の意を捧げたい。合掌。(渡辺博史)

サポートの永井久隆氏、「編集後記」にかく綴る

「壮絶・決戦兵力 機動部隊」第1巻の「編集後記」より

 現役時代の先輩格にあたる著者の渡辺さんと久しぶりにお会いしたのは、まだ今年の春。愛用のワープロ専用機が壊れてしまい困っている、何か適当な方法がないかという相談であった。結果、渡辺さんはワープロに代わるメモ入力専用機とノートパソコンの二刀流で、執筆環境を再構築され、私もこれがご縁で、編集から出版までをお手伝いすることになった。

 本書は500頁を超える労作であるが、執筆から出版まで何よりもスピードが優先された。渡辺さんは、今年80歳。長年にわたる研究の蓄積があったとはいえ、これだけの量の出版を決意してから僅か2ヶ月余りで、一気にまとめきってしまわれたのである。

 実は、渡辺さんは、本書に先立ち、大著「護衛部隊の艦艇」を上梓されたばかり。体調が必ずしも優れない中、これまでの調査・研究の記録を後世のために少しでも残しておきたいとする渡辺さんの熱意には畏敬の念を禁じ得なかった。

 信じられないほどの執筆スピードを目の当たりにして、渡辺さんを日本海軍の英霊たちが後押ししているのではないかと感ずることが再々であった。まさに、神の見えざる手に導かれて、一連の著作が出来上がっていくのを目の当たりにした。

 本書は日本海軍の機動部隊における各艦艇の記録を、日を追って克明に整理・記述したものである。とりわけ士官以上の人事(特務士官を除く)については、網羅的に記載されている。いわば艦艇ごとの史実の集大成である。本書によって機動部隊各艦の動きのあらましを把握することができ、関係者や研究者にとっては貴重なデータベースとなるであろう。

 本書の題名の前段に、著者の渡辺さんは「壮絶・決戦兵力」なる言葉を挿入された。この言葉の中に、著者が本書を執筆しながら感じられた機動部隊への万感の思いが込められている。

 日本海軍の機動部隊は、太平洋戦争において米海軍機動部隊と幾多の激闘・死闘を繰り広げた。読者は本書に書かれている各艦の行動概要と人事記録の淡々とした記載の中に、我が国機動部隊の「壮絶」なあり様を見てとることができる。

 中でも、機動部隊の中心であった航空母艦については、記録されている各艦の艦載機の状況が「壮絶」さを一層際立たせている。訓練時でも「墜落」「殉死」の言葉が見受けられ、いわんや戦闘時ともなれば、刻々と報告される「未帰還」「喪失」「不時着」の機数の多さが搭乗戦死者の氏名と相まって胸を打つ。

 太平洋戦争冒頭の真珠湾攻撃、日米の機動部隊が激突した珊瑚海海戦、ミッドウエー海戦、第二次ソロモン沖海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦の各時期と、本書で記述されている各艦の時系列的な状況を突合していくと、それぞれの海戦における各艦の個別の状況がより鮮明に浮き上がってくる。機動部隊がまさしく海軍の「決戦兵力」であり、それゆえに日本海軍の機動部隊がいかに過酷な運命をたどっていったかが、各艦の個別の動きを通じて理解できるのである。

 本書のような意義のある著作に関係させていただく機会を与えていただいた著者の渡辺さんに深く感謝したい。

「壮絶・決戦兵力 機動部隊」第2巻の「編集後記」より

 重い病と闘いながら、著者渡辺博史氏の戦史研究に注ぐ情熱は衰えを知らない。「壮絶・決戦兵力 機動部隊」シリーズの第2巻となる本書の冒頭で、渡辺氏は、機動部隊シリーズの総論ともいうべき小論を展開された。

 それは日本海軍の機動部隊編成の変遷を概観した内容で、渡辺氏の史観を交えた「機動部隊小史」ともいうべき力作である。戦史研究に膨大な蓄積を有する渡辺氏の筆致は自在かつ溢れんばかりであり、本巻に至って個別の艦艇記録をつなぐ機動部隊の全体像を提示してくれたのである。

 本書では、機動部隊に関係した戦艦(前巻の続き)及び巡洋艦各艦の活動記録、人事記録が詳細に記載されているほか、駆逐艦・海防艦・潜水艦のうち機動部隊に所属したことのある艦艇が作戦ごとに一覧されている。

 さらに、これまであまり取り上げられることのなかった補給部隊についての記録がまとめられている。特務艦、特設運送艦、特設運送船などがそれで、あまり目立たない存在ではあったが、機動部隊の作戦行動を支える重要な役割を担っていた。

 広い太平洋で機動部隊が活動を継続していくためには、給油等の補給活動が不可欠であることはいうまでもない。その役割の重要性を認識した米海軍は、潜水艦部隊をして、わが補給艦船を最重要目標として狙い撃ちさせる戦略をとった。

 本書によると、機動部隊に所属した補給艦は、そのほとんどが米潜水艦の雷撃もしくは艦上機の攻撃により壮絶な最後を遂げている。これらは戦闘艦でないだけに、その状況を考えると心が痛む。

「壮絶・決戦兵力 機動部隊」第4巻の「編集後記」より

 著者の渡辺博史氏が戦没された方々への鎮魂を祈りつつ執筆されている一連の海軍関係の書籍は、本書で28冊目となる。現在、闘病中の渡辺氏は、前々著のあとがきで入力作業が続けられる僥倖と自らの思いを率直に綴られ、機動部隊の艦隊・戦隊編の完成時期を未定としておられたが、著者の卓越した能力とたゆまぬ努力で、早くもこれを実現されたことには畏敬の念を禁じ得ない。

 「壮絶・決戦兵力 機動部隊」の第1巻、第2巻では機動部隊に部署された艦艇等の活動が個別艦船ごとに詳述されていたが、第3巻ではこれらの艦艇が所属した戦闘グループである各航空戦隊、戦隊、水雷戦隊の活動記録、また第4巻ではより上位の組織である第一航空艦隊、第三艦隊、第一機動艦隊の活動記録がそれぞれ日を追って克明に記載されている。太平洋戦争におけるわが国機動部隊の作戦行動の軌跡を、細部にわたってたどることのできる貴重な戦史資料といえよう。

 機動部隊は、航空母艦と艦載機を核にした革新的な兵器運用システムとして生まれたが、その有効性が明らかになってからは、海軍の決戦兵力として位置づけられ、常に戦闘の最前線で戦うことを宿命づけられた。本書は、そうした機動部隊の敢闘と苦闘、そして部隊のたどった運命を明らかにしている。編年体による淡々とした記録・叙述ながら、その内容はときとして重く、戦闘状況の記述では、あまりの壮絶さに胸が痛む場面も少なくない。

A5判・計1600頁・セット4万円+税

 

 


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